Episode 004 「現地での小学校生活開始」
記念すべきアデレードでの最初の一軒家(賃貸)は確か3LDKの家だった。1996年、当時12歳(Episode001参照)だった私にとっての、この家の第一印象は「ドアノブの位置が非常に高い」だった。正にオーストラリア仕様である。その家にはガレージがあり、車を(確か、二台分)停められるスペースがあった。この家は、比較的大きな道路に面していた。家の敷地には芝生の前庭があったが、その芝は青々とした芝ではなく、茶色と緑がまばらになっていた。また、前庭には大きな木もあり、その木から葉っぱが落ちてきた。その芝生の横に、ガレージへと繋がるコンクリートのスペースがあった。そこに初めて駐車される事になった車は、渋い緑色のボルボだった。かなり年季の入った中古のボルボだ。ボルボ特有の角張った形のセダンタイプの車である。色は、くすんだ緑色であった。まるで、緑茶のティーパックで3杯目に入れたお茶のような色だった。

のちに、その車はえんじ色のフォードのステーションワゴンタイプ(シルバーのバンパー付き)に乗り換えられることになるが、具体的にこのボルボの車がどれくらいの間活躍したかは、全く憶えていない。

ガレージを抜けると、裏庭に続いていた。裏庭にはオレンジの木が植わっていた。記憶する限るでは陽当たりが良くなく、じめっとしていた裏庭でった様に記憶する。

この記念すべき、オーストラリアのアデレードにて住む事になった最初の家に初めて遊びに来た友達はLuke(ルーク)。見た目は韓国人だが中身は完全なるオーストラリア人。私が(5歳年下の妹と)Nailsworth Primary School(ネイルスワース・プライマリースクール)という現地の小学校に通い始め、そこで初めて友達になったのがルークだった。オーストラリアの小学校では転校生に対し、担任の先生が「バディー」を指名する。要は、その転校生がひとりぼっちにならない様に付き添いとして、学校生活に慣れるまで色々とお供してくれる担当をあてがうシステムが存在するのだ。非常に理にかなっており、私はルークのお陰で後々彼の友達とも仲良くなる事ができた。ネイルスワース・プライマリースクールでの先生の名前だが、実はよく憶えていない。確か、Mrs(ミセス)スプライ、そんな感じの名前だったと記憶する。金髪の先生であった。元から金髪だったのか、染める事で金髪になったのか、今となっては確認の方法がないのだが、当時の私としては彼女の髪の毛は地毛の金髪ではない、という考えは全くなかった。オーストラリア人イコール、金髪、という先入観があった事に併せ、また、それくらいの知識(つまり、白色人種の人々の金髪は元から金髪である、という誤った理解)しかなかったのだ。
この先生がルークを私のバディーとして抜擢した。その理由は、おそらく(100%の確率で)、ルークが(少なくとも容姿という観点から)「アジア人だから」である。おそらく我々日本人が、イタリア人とギリシャ人、オーストラリア人とイギリス人、ナイジェリア人とエチオピア人の見分けがつかないのと同じように、先生にはルークと私の容姿だけでは国の違いを見分ける事は出来なかったと思われる。彼女の中では、きっと「国の違いはよくわからないけど、とにかく同じアジア人」という程度の理解だったのであろう。ただ、私にとってはそれが寧ろ都合が良かった。突然、「金髪で青い目のスティーブ」と言った人物がバディーについてくれるよりも、同じ(少なくとも生物学的な観点からの)アジア人であったルークで良かったと思う。英語が喋れないからコミュニケーションが取れない、という事に関しては変わりないのだが、「同じアジア人の容姿」ということだけで随分と精神的に安心した。

この小学校には、計三ヶ月間通ったのだった。学校の場所は、家から徒歩で15分くらいだったであろうか。ただ、日本とは異なり、オーストラリアでは、小学生は歩いて登下校をしない。それぞれの親であったり保護者が毎日車で送り迎えをするのである。治安の問題もあるのだろう。従って、私も妹も母親に送り迎えをしてもらい、学校に通っていた。この学校の制服は、青いポロシャツに青いハーフパンツというものであった。確か、お揃いの色(青)の帽子もあった様に記憶する。毎朝、学校が位置する道沿いに車を停めてもらい、車を降りて校庭の芝生を突っ切る形で校舎まで歩いていくのである。もちろん、日本の小学校では毎日の様に(近所の子供達から形成される)班を組んで登校していたし、帰りは友達と一緒に歩いて帰っていたので、オーストラリアに来て、「車での送り迎え」というシステム(またはカルチャー)に関しては少し驚いた。
この様にして、現地での小学校生活が始まったのだが・・・・。
