キウイ畑で知った、理想の続き。
少しだけ、寄り道をしていた。
20代最後の大冒険。
アメリカで過ごした時間は、あまりにも濃くて、
その熱が冷めないうちに、言葉にしておきたかった。
だから、一度時間を置いた。
——けれど。
気づけばまた、あの景色を思い出している。
ニュージーランドで過ごした日々。
あの頃の自分が、何を感じて、何を見ていたのか。
この物語は、まだ終わっていない。
もう一度、続きを記していきます。
あの日、
確かにそこには僕の求めていた世界があった。
でも——
その世界は、
想像していたよりもずっと現実的だった。
キウイピッキングは甘くない。
同じ動作を、何時間も繰り返す。
腕はすぐに上がらなくなるし、
首も腰もじわじわと削られていく。
でも正直に言えば、
自分にとってその“キツさ”自体は問題じゃなかった。
100kmマラソンも走ってきた。
体力にも、精神力にも、それなりの自信がある。
耐えられる。
そう思っていた。
——けど。
一緒に暮らしていた2人の姿を見て、
考えが変わった。
同じ仕事をして、同じ時間を過ごして、
それでも彼女たちの身体には、
確実に負荷がかかっていた。
時に、涙を流すこともあった。
それを見ているのが、何よりきつかった。
自分が耐えられるかどうかじゃない。
「一緒にやっていけるかどうか」だった。
⸻
それでも、不思議とこの生活は嫌じゃなかった。
むしろ、濃かった。
仕事を終えて、1時間かけて帰る車の中。
3人で他愛もない話をして、笑って。

家に帰れば、料理をして、洗濯をして、
また明日に備える。
決して楽ではないはずなのに、
どこか“青春”みたいだった。
⸻
休み前の日は、決まってパーティーをした。
3人でスーパーに行って、食材を選んで、
「今日は何作る?」なんて言いながらキッチンに立つ。

誰もが一度は思い描くような、
友達とのシェアハウス生活。
僕たちは踏ん張れたんだと思う。
⸻
正直に言うと、
僕はこの生活を、少し美化しすぎていた。
キウイピッキング。
ニュージーランド。
シェアハウス。
全部が“ワーホリらしい”っていう理由だけで、
どこか華やかなものとして捉えていた。
でも現実は違った。
地味で、泥臭くて、
想像していたよりずっと人間くさい日々だった。
そのギャップは、確かに響いた。
⸻
それでも、
この時間を「楽しかった」と言える理由は、
間違いなく“人”にある。
一緒に暮らした2人は、
気づけば本当の兄妹みたいな存在になっていた。
同い年の1人は、
強さと不器用さを両方持っている人だった。
しっかりしているように見えて、
どこか抜けている。
そのギャップに、何度も救われた。
もう1人は、4つ下の妹みたいな存在。
誰よりも周りを見ていて、
さりげなく空気を整えてくれる。
自分ともう1人の関係がぶつかりそうになった時も、
自然とその間に入って、3人を繋ぎ止めてくれた。
⸻
もし、あの2人がいなかったら。
きっとこの生活は、
ただの“きつい思い出”で終わっていたと思う。

⸻
理想通りじゃなかった。
でも、
だからこそ、残ったものがあった。
