漢字はなぜ日本語に残ったのか ― 「擦り合わせ」という視点から
「漢字は日本語にとって外国語である。」
この一文に、どれほどの人が違和感なく頷けるだろうか。
成瀬由紀雄さんによる「書籍紹介『漢字と日本人』(高島敏男、中公文庫)」という記事は、
この前提を改めて突きつけてくる。
漢字は中国の文字であり、日本語とは本来異なる体系に属する。
それにもかかわらず、日本人はそれを自らの言語の一部のように扱っている。
そして高島氏はさらに踏み込む。
漢字の導入は日本語にとって「幸運」ではなく、
むしろ発達を歪めた可能性すらある。
それは、
👉 日本語にとって身にそぐわない「不便で窮屈な服」であり、
👉 いまなお続く混乱の原因である
というのである。
この指摘は、率直に言って衝撃的である。
そして、この文章を読み終えた後、
私の担当編集者であるシンちゃんとの間で、
漢字と日本語、さらには日本文化そのものについての対話が自然に始まった。
その対話の中で、いくつかの違和感が浮かび上がってきた。
もし漢字がそこまで不適合なものであったのなら、
なぜ日本語はそれを捨てなかったのか。
仮に文字体系の問題として考えるなら、
ローマ字の方がより適していた可能性はないのか。
また、「漢字の導入によって日本語の発達が止まった」とするならば、
漢字が存在しなかった場合、日本語はどのように発達していたのか。
これらの問いは単純ではない。
しかし、この違和感を無視することもできない。
対話の中で、一つの視点が浮かび上がった。
漢字は「適合していたから残った」のだろうか。
あるいは「不適合であったにもかかわらず残った」のだろうか。
そのどちらでもないのではないか。
日本語は、漢字を使い続けた。
その結果として、現在の形に至ったのではないか。
ここで鍵になるのが、「擦り合わせ」という考え方である。
本来「擦り合わせ」とは、部品同士をこすり、
微細なズレを削りながら機能する状態へと近づけていく行為を指す。
ここでは、
• 最初から一致しているわけではない
• むしろズレを前提としている
• 完全な一致は目指さない
という特徴がある。
日本語と漢字の関係も、これに近い。
• 音は日本語に合わせる
• 意味は漢字を借りる
• 文法は日本語のまま維持する
• 読みは複数併存する
ここには体系的整合性よりも、
👉 使えるかどうか
が優先されている。
つまり日本語は、
👉 漢字を排除することも
👉 完全に同化することもせず
👉 ズレたまま使い続ける
という道を選んだのである。
この視点は、他国との比較でさらに明確になる。
韓国やベトナムは漢字を導入しながらも、
最終的にはそれを廃し、自国語に適した文字体系へと移行した。
👉 不適合なものは排除する
という判断である。
一方、日本は異なる道を歩んだ。
漢字を完全に保持したわけでも、完全に捨てたわけでもない。
仮名を生み出し、漢字と組み合わせて運用してきた。
👉 分解し、組み合わせ、使い続ける
これは適合でも排除でもない。
👉 擦り合わせという第三の道である。
中国語には「磨合(móhé)」という言葉がある。
もともとは物理的な摩擦を意味する語だが、現在では人や組織の適応過程を指す。
この語は、「擦り合わせ」とよく似ている。
いずれも、
👉 違いを消すのではなく、違いを前提に成立させる
という発想に立っている。
こうして見ていくと、漢字と日本語の関係は単なる言語の問題ではない。
それは、
• 異質なものを排除しない
• 完全な整合を求めない
• 矛盾を抱えたまま運用する
という、日本文化の特徴とも深く結びついている。
この性質は、寛容性とも言えるし、
曖昧性とも言える。
漢字は、日本語にとって異物であった。
それにもかかわらず、日本語はそれを捨てなかった。
その理由は単純である。
👉 擦り合わせられたからである。
日本語は、矛盾を解消して成立した言語ではない。
👉 矛盾を消さずに使いこなす言語である。
※ noteによる自動英訳版も公開されています。興味のある方は、下記からご覧ください。👇
🌐 Why Did Kanji Remain in Japanese? From the Perspective of ‘Adjustment’
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