【実話】第五十二話。彼女の家族が四国上陸。面と向かって告げられた「日本人には娘をやらん」「高卒の皿洗い」という冷徹な拒絶と、僕の戦い。|GLAY×小悪魔=恋。#52
どうすることもできない絶望を抱えていても、明日は容赦なくやってくる。またあの系列レストランでの、心を削るような皿洗いのアルバイトが始まる。
あの日、良子ちゃんと重苦しい話をしてから、本当に日を空けることなく、彼女のご両親が四国へとやってくることになった。
事の始まりは、私の携帯に入っていた見知らぬ番号からの着信だった。夜、仕事を終えて帰宅してから折り返しかけてみる。
相手は、良子ちゃんのお姉様だった。
「あんた、こんな時間までなにしよん?」
お姉様の声は低く、張り詰めていた。
「来週の日曜、そっちに行くから時間空けておいて」
それは、良子ちゃんのご両親とお姉様の家族総出での「四国上陸」を意味していた。
日曜日にレストランを休むなど、本来なら御法度に近い。だが、私はマネージャーに無理を言って休みをいただいた。
「まぁ、俺さんはいつも真面目にやってくれてるし、普段はこちらが無理なシフトをお願いしてるから良いですよ」
普段、マイスターの教え通りにがむしゃらに皿を洗っていた姿勢が幸いしたのか、意外なほどあっさりと休みをもらうことができた。
良子ちゃんのご両親に会うのは、はじめてだった。
どうすればいい。これはスーツを着て行くべきなのか。いや、ただの恋人の実家との話し合いにスーツは何か違う気がする。悩んだ挙句、私は少しでもきちんとして見える、小綺麗で地味目な服を選んだ。
迎えた日曜日。待ち合わせ、いや、私にとっての「決戦の場」は、彼女の家だった。
指定された時間よりも30分近く早く到着してしまったが、あまりに早く行くのは失礼にあたる。私は近くの路地で、ただ無為に時間を潰した。
ようやく時間になり、行き慣れたはずの彼女の部屋へと向かう。緊張で激しく震える両足を、パンパンと手で叩いて誤魔化しながら、階段を上った。
ピンポーン。
いつもは合鍵で開けるあのドアのチャイムを、はじめて指で押した。
出てきたのは、良子ちゃんではなく、お姉様だった。
狭い部屋の中には、良子ちゃん、そしてご両親、お姉様。そこに私が加わり、5人が押し込められる形になった。
(余談だが、良子ちゃんのご両親は2人とも非常に小柄だった。だからこそ、姉妹揃ってあんなに小柄で可愛らしいのだなと後から思ったが、その時はもちろん、そんなことを考える精神的な余裕など微塵もなかった)
部屋全体を、コンクリートのように重い空気が支配していた。私は意を決して、車の中で何度も何度も練習してきた最初の挨拶を口にした。
「良子さんとお付き合いをしております、俺です。ご挨拶が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません」
まずは、頭を深く下げた。
父親が、冷ややかな声で切り出してきた。
「良子の病気の件は、知っているね」
この辺りからの記憶は、緊張とショックのあまり少し曖昧だ。とにかく父親からは、「本州へ帰って治療に専念するように、君からも良子に言ってくれ」と、私から説得するよう頭ごなしにお願いされた。
最初は、お姉様が私の側に立って味方をしてくれた。
「お父さん、それは2人が考えることでしょ。お父さんが強制することじゃないよ」
母親は、その横で終始一言も発さず、黙り込んでいた。
父親とお姉様のやり取りが、だんだんと激しさを増していく。
「だいたい、結婚しているわけでもないのに、なぜ2人で話し合う必要があるのだ!」
父親の口から出たのは、反論の余地もない、至極真っ当な正論だった。
お姉様がさらに言い返そうとした瞬間、父親がそれを遮るように、怒声を被せてきた。
「だいたい、私は日本人との結婚を認めるわけにはいかない! しかも、君は高卒だろ」
父親の鋭い眼光が私を射抜く。
「今は、どんな仕事をしてるんだ?」
高卒、高卒、高卒――。
頭の中で、その言葉が乱反射する。あの事業本部長のいる会社だけでなく、ここでもまた「学歴」の壁が、私の前に立ち塞がるのか。私は拳を握りしめ、消え入りそうな声で答えるしかなかった。
「……レストランで、皿洗いのアルバイトをしてます」
この一言が、導火線に火をつけた。父親は完全にブチ切れた。
「アルバイトだと!? 確か君は、自動車関連の製造業に勤めていたんじゃないのか!?」
良子ちゃんは、私が会社を辞めて皿洗いのアルバイトをしているという事実を、まだご両親に告げていなかったのだ。父親の怒号が、狭い部屋に響き渡る。
「高卒でまともな仕事も辞めて、皿洗いのアルバイトでどうやって生活ができるんだ! ふざけるのもいい加減にしろ! 話にならん!」
父親は怒り心頭に発していた。さっきまで味方をしてくれていたお姉様も、これには完全に言葉を失い、フォローのしようがなくなってしまった。
情けなかった。辛かった。
最愛の人のご両親から、面と向かって「高卒のアルバイト」、ましてや「日本人に娘はやらん」と全否定される。情けなくて、惨めで、言い返す言葉なんて一言も持ち合わせていなかった。
重苦しい沈黙が続くなか、お姉様が信じられないといった表情で良子ちゃんに矛先を向けた。
「あんた、転職しとったこと、なんで言うてくれなかったの?」
そう、お姉様だって、私が正社員を辞めて皿洗いのアルバイトに身を落としていることなど知る由もなかったのだ。
これをきっかけに、お姉様の手のひらも返った。彼女もまた、向こう側――ご両親のサイドへとつき始めたのだ。
「あんたさ、皿洗いのアルバイトってどういうこと!? 良子を大事にするって、大切にするって言ったやんか!」
お姉様の非難の目が、私を突き刺す。
「何してんの? ちょっと嫌なことあったくらい、働いてたら誰だってあるわな。それでいちいち仕事辞めよったら、なんもできんやんか!」
さっきまで唯一の味方だと思えていたお姉様が、完全に「敵」へと変わった。
もう、私には何も言葉が出てこなかった。完全に四方八方から殴られ続ける、サンドバッグ状態だった。
父親は「もうこれ以上、こいつと話すことはない」と言わんばかりに、腕を組んだまま黙り込んでしまった。
その時、ずっと俯いていた良子ちゃんが、震える声で話し始めた。
「俺くんだって……そんなに簡単に仕事を辞めたわけじゃないよ! いろいろ事情があって……何も知らないお姉ちゃんが、勝手なこと言わないで!」
彼女は泣きそうな顔で、必死に私を庇おうとしてくれた。しかし、父親の冷徹なカウンターパンチが、彼女の言葉を無残に叩き潰した。
「どんな事情があるかは知らんが、高卒で、23歳にもなって仕事を辞めて、今はアルバイトで生活している。それは動かしようのない事実だろ」
あまりにも正論すぎて、ぐうの音も出なかった。
父親は私を見据え、冷たく言い放った。
「もう話すことはない。俺くん、もう帰りなさい」
私は動けなかった。というか、どうすれば良いのか全く分からなかった。
高卒だと見下され、ただの皿洗いのアルバイト。どんなに良子ちゃんを愛していても、今の私の状況は、誰の目から見ても酷く荒み、破綻していた。
追い打ちをかけるように、父親が再度、決定決定的な一言を告げた。
「今日はもう、帰ってくれ」
私は逃げるように、彼女の家を後にした。
車に乗り込んでも、不思議と涙は一滴も出てこなかった。あまりの衝撃に、自分の身に何が起こったのか、正直、脳の理解が追いついていなかったのだと思う。
頭の中がただただ真っ白で、ボーゼンとしていた。
だけど、ひとつだけ、残酷なほど確かな事実があった。
私は、あの世界で一番大好きな良子ちゃんの家族から、完全に拒絶されたのだ。
