「最大の都市」からみる世界史/S字曲線の積み重ね【加速と減速の世界史5】
この記事は、世界史の約6000年の大きな流れを「加速と減速」という視点で論じています。つまり、時代によって「進歩・変化が急速になったり、ゆっくりになったりする」ことに注目しています。
前回(第4回)の記事では、「最大級の都市の変遷」というタイトルのグラフについて述べました。過去数千年における各年代の「世界で最も大きな(最大級の)都市の人口規模」を、片対数(後で説明)の目盛りに落としたものです。
それは、以下のグラフです。これが「加速と減速」に深く関わるわけです。
今回は、前半(6000文字余り)は前回の要約です。後半はこのグラフを前回とは異なる視点でさらに解説していきます。ただし、はじめての方も差し支えなく読むことができます(著者・秋田総一郎、世界史研究家)。

©Soichiro Akita 2025
*著者の秋田総一郎(そういち)は、世界史研究家を名乗っており、世界史の入門書を出版したこともあります(『一気に流れがわかる世界史』PHP文庫)。この本は、この記事で論じていることよりも入門的な、世界史の大きな流れについてまとめたものです。
前回の要約:「最大級の都市の変遷」からみる世界史
世界史における変化・進歩を可視化する
このようなグラフを描いたのは、「世界史の各時代において、進歩や変化の速度がどうだったか」を可視化するためです。こういうことは、世界史の概説では、あまり取り上げられません。しかし、本来は重要な事柄のはずです。
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このグラフには、メソポタミア文明のウルク、バビロン、ローマ、唐の長安、イスラム帝国のバグダード、ロンドン、ニューヨーク等々の、各時代を代表する都市のデータが落とし込まれています。タテ軸は都市の人口、ヨコ軸は年代(紀元前6000年~西暦2000年)。
グレーの点や棒状の印は、都市の人口規模を示します。1800年頃以前については、多くの場合、推定値に幅があるためタテ長の棒になっています。
黄色い線は、大まかな傾向を示すため、各時代の都市の推定値の上限を結んだものです。
そして、このグラフのタテ軸(都市の人口)は、対数目盛りという特殊なものになっています。1000→1万、1万→10万、10万→100万、100万→1000万……といったように「10倍」などの「比」が同じなら目盛りは等間隔になります。
このような「片対数グラフ」では、成長ペース(増減率)が一定だと、グラフの線の傾きも一定になり、ペースが変わると傾きも変化します。つまり、ものごとの変化(増減)のペースをみるのに便利なグラフです。
もしも、このグラフのデータをもとに、ふつうの目盛りでグラフを描けば「1800年頃以降、急速に大きくなった」という感じばかりが強調されるでしょう。しかし、片対数グラフを使えば、都市の規模の拡大が急速だった時期は1800年頃以降だけではなく、古代や中世にもあった、ということがわかります。
最大級の都市の規模は、その時代の「文明の水準」を示す
そして、このグラフは、つぎの前提に立っています。
各時代を代表する最大級の都市の規模は、その時代の文明が到達した技術や生産力の総合的な水準を示している。
「技術や生産力の総合的な水準」とは、「文明の水準」といってもいいでしょう。
都市の規模の拡大は、建設、輸送・交通、公衆衛生、組織運営などにおけるさまざまな革新や向上に支えられています。食料の生産力にも規定されます。現代の巨大都市が、さまざまな高度の技術や発達したインフラなどによって成り立っていることを考えれば、それは明らかなはず。
そこで、最大級の都市の規模が急速に大きくなっている時期(グラフは急勾配の右肩上がり)は、技術革新・イノベーションが盛んな時期だということです。
一方、規模拡大が停滞していれば(グラフの傾きは緩やか、または平坦)、それは革新の停滞を示している、というわけです。
世界の人口やGDPよりも信頼がおける数字
「進歩・変化の推移を示す指標であれば、世界の人口やGDPの移り変わりをたどればいいのでは」と思う人もいるかもしれません。
しかし、世界全体の人口やGDPの推移を数千年間にわたってたどることのできる、信頼のおけるデータは存在しません。その手の超長期のデータをまとめた文献もありますが、その数値はきわめて強引な推定を重ねたものです。
それによって数千年を追いかけても、その数値を算出した人の世界史像をなぞるだけになってしまうのではないでしょうか。つまり、客観性に問題があるのです。
しかし、各時代の最大級の都市ならば、大ざっぱではありますが、それなりの客観的な推定が可能です。何千年も前の都市でも、遺跡調査から面積や建造物の状況などがわかるので、そこからある程度人口を推定できるのです。その意味で、最大級の都市の規模は、世界の人口やGDPよりも信頼のおける数字だといえます。
私は、歴史書にいろいろとあたって、さまざまな時代の都市についての情報を集め、このグラフを描きました(出典は、今後の記事で示します)。
最先端を基準に世界史を論じる
そして、その時代の最大級の都市が示す「文明の水準」というのは、その時代の最先端・最高峰といってもいいでしょう。最大級の都市は、その時代の最も高度の技術、経済、文化などのたまものです。そうした「最高峰」は、スポーツでいえば「世界記録」のようなもの。
それは、各時代の平均値や多数派のあり方とはたしかに異なります。しかし、ここでは「最先端」を基準に世界史の動きを論じることにします。これは、多くの歴史の記述において、しばしば暗黙のうちに行われていることですが、それを自覚的に行っていくということです。
歴史記述において「最先端」が注目されるのは、やはりそれなりの根拠があります。ある地域で起こった最先端の動きは、やがて世界の広い範囲に影響を及ぼしてきたからです。たとえば、西欧で始まった産業革命(工業化)は、まさにそうでした。
これは、グローバル化がすすんだ近現代にかぎったことではありません。大規模な都市文明も、鉄器の普及やそれに基づく技術革新も、いずれも西アジアの一部からはじまったことです。しかし、数百年~1000数百年のうちに当時の主要地域(地中海沿岸、ヨーロッパ、インド、中国など)に広がり、世界に大きな変化をもたらしたのです。
世界史の歩みは、一本調子の指数関数ではなくS字曲線の積み重ね
そして、このような「最大級の都市の変遷」グラフを描くと、世界史についての一般的なイメ―ジとは異なるストーリーが浮かび上がってきます。
よくあるイメージは「古代・中世は進歩がゆっくりで、近代になって加速し、近年はさらに加速」というものでしょう。グラフ的に描けば、つぎのような指数関数的なイメージです(あくまでイメージ)。

しかし、このような一本調子(時代が下るほど変化が急速になるイメージ)の指数関数は「実際とはちがう」と私は考えています。
じつは、世界はこの数千年で数百年単位の長期的な加速と減速をくり返してきたのではないか。それは、グラフ的に描けば、つぎのような階段状の発展、あるいは複数のS字曲線が積み重なり、つながったイメージです。

そして、冒頭に掲げた「最大級の都市の変遷グラフ」は、まさにこのイメージです。
上記の「S字曲線の積み重ね」のイメージは、冒頭に掲げた「最大級の都市の変遷」グラフを抽象化したものです。どちらも、急な右肩上がり(変化の激しい加速局面)が3回、傾きが平坦な時期(減速→定常状態)が2回あります。

「最大級の都市の変遷」グラフが語るストーリー
以下、この「最大級の都市の変遷」グラフが語る世界史のストーリー。
(1回目の加速)
このグラフにおける1回目の急成長(加速)を、ここでは「文明のはじまり(の革新)」と呼んでいます。紀元前4000年頃~紀元前2500年頃、西アジア(≒現代のアラブ)のメソポタミアやその周辺で、世界で最初の本格的な都市文明が成立した時期です。この時期の革新で、メソポタミアのウルクのような人口数万~10数万の都市が形成されました。
*これらの紀元前の都市の推定人口は、1ヘクタールあたりの人口密度を「100~200人」として、遺跡調査からわかる都市の面積(100ヘクタール~数100ヘクタール)を掛けたものです。多くの考古学者がこれに類する計算をしています。
(1回目の減速→定常状態)
しかし、紀元前2500年頃以降(その前後数百年のうちに)、最大級の都市の規模は「人口数万~10数万」で頭打ちになります。さまざまな都市が興亡しましたが、従来の規模を大きく超えるもの(桁違いに大規模なもの)は、世界のどこにも生まれませんでした。その状態が1000数百年は続きます。たとえば、紀元前600年頃のバビロンは、当時の世界で最大の都市でしたが、10~20万人の規模です。これは、上記のウルクなどとくらべ大きくはなっていますが、何倍にもなったわけではありません。
(2回目の加速)
そして、紀元前1000年頃以降の数百年のうちに、最大級の都市の規模は再び明らかに大きくなっていきます。この加速の動きは、紀元前1000年頃以降に西アジアではじまった鉄器の普及から展開した、新たな技術革新を基礎にしたものです。そこで「鉄器時代の革新」と呼ぶことにします。その結果、西暦100年代のローマのような、人口数十万~100万の都市が生まれました。そして、この巨大都市を都とするローマ帝国も、鉄器時代の革新が到達した空前の大帝国でした。
(2回目の減速→定常状態)
しかし、100年代のローマ以降、最大級の都市の人口規模は「数十万~100万」で頭打ちとなり、そのような停滞がまた1000数百年続きます。中世(500年頃~1500年頃)を代表する都市である唐の長安も、イスラム帝国(アッバース朝)のバグダードの最盛期も、数十万~100万人で、ローマの規模を超えることはありませんでした。ただし、1200年代の杭州(南宋の都)のような150万人規模の都市が生まれた可能性はあります。しかし、100万規模を大きく超える、つまり人口数百万以上の巨大都市は、1800年代以前には世界のどこにも成立しなかったのです。
(3回目の加速)
そして、1800年代以降「近代の革新」が加速することで、それまでの「人口数十万~100万」規模を大きく超える都市が誕生しました。その先駆けは、産業革命が進行していた1800年代のロンドンです。1800年頃のロンドンの人口は約100万人で、江戸や北京と同レベルでしたが、1850年には300数十万人、1900年頃には700万人に達します。そして、1920年代には、ニューヨークがはじめて1000万人に達しました。現代(2000年代初頭)の世界最大級の都市は(都市圏の範囲の考え方にもよりますが)、3000~4000万人です。
このグラフが示すように、世界はこの数千年で加速と減速をくり返してきたのではないでしょうか。
そして、たしかに社会の実態として、最大級の都市の規模が拡大している時期(グラフの線が急な右肩上がり)は技術革新全般が盛んで、これに対し、都市の規模があまり拡大していない時期(グラフの線の傾きが緩やか・平坦)は、革新は停滞傾向だったと私はみています。このことは、今後さらに具体的な歴史記述を通して説明していきます。
世界史を「S字曲線の積み重ね」としてみることの意味
では、「世界史の発展はS字曲線の積み重ねである」などということを論じて、どういう意味があるのか?
それは、単に「過去の歴史を知りたい」というだけではなく、未来を考えるのに役立つからです。どう役立つかというと、未来への予想を柔軟に、豊富にしてくれるのです。
「古代・中世は進歩がゆっくりで、近代になって加速し、近年はさらに加速」という世界史のイメージに基づくなら、未来についても「さらに加速」と考えるのが最も一般的なはずです。そして、さらなる加速の先に「すごい未来」が待っていると考える楽観論もあれば、「行き過ぎた加速の果ての破局・崩壊」を予想する、悲観論もあり得るわけです。
しかし、「これまでの世界史の発展はS字曲線の積み重ね」という認識に基づけば、どうでしょうか。
「これまでの近代における加速も、いつか減速し、定常状態をむかえるのでは」という考えも、有力な予想選択肢として浮かび上がってくるのではないでしょうか。そのように予想選択肢が増えるのは、より柔軟に考えることにつながります。
そして、私は「この数百年(近代以降)急速な加速を続けてきた世界は、近年(1900年代末以降)は減速の局面に入りつつある」とみています。
私の現状認識と未来への予想
こうした「社会の変化はゆっくりになっている」という現状認識は、一般的ではないでしょう。しかし、たとえば先ほど述べた最大級の都市についての数字をみても、現代においては一定の減速の兆候がみられます。
1800年頃、最大の都市は人口100万程度でした(江戸、ロンドンなど)。それが100年後の1900年には7倍の700万となり(ロンドン)、1920年代には10倍の1000万となりました(ニューヨーク)。
つまり、1800年から1900年の100年間で7倍の拡大です。これに対し、2000年代初頭において、最大の都市圏が3000~4000万人というのは、100年前の1920年代に対して3~4倍の水準なのです。1800年からの100年間よりも、1900年からの100年間のほうが、「最大級の都市」の規模拡大のペースは落ちています。そして今後、そのペースはさらに落ちていくと私はみています。
なお、私は、以前のnote記事で「現代世界の減速」、つまり「現代において社会の変化はゆっくりになっている」ということを、詳しく論じています。
これは、「現代世界の減速」という大きくてみえにくい現象について、大小さまざまな捉えやすい事象を取り上げて浮かび上がらせようとしたものです。技術革新のほか、政治・経済、サブカルを含む文化など、多様な領域を扱っています。以下のリンクは、「社会の変化はゆっくりになっている」と題した全12回の一連の記事の最終回で、全体のまとめ・要約です。
ただし、「現代世界の減速」ということは、多数派の常識(世界は加速している)に反する見方である以上、簡単に納得していただけるとは思いません。
ここではまず、「S字曲線の積み重ね」という大きなモデルを、世界史の見方の「あり得るひとつの選択肢(そういうこともあるかも)」として受け入れてもらうことを目指します。
(前半終わり、以下S字曲線についての、さらなる考察)
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S字曲線で、世界の発展過程をみる
「現代世界は減速している」という主張
そして、世界史全体の大きな発展の動きを、一本調子(後になるほど急速になるイメージ)の指数関数ではなく、S字曲線として捉える見方は、私だけのものではありません。そのような識者も、少数派ですがたしかにいます。
その識者たちは、現代世界において、それまでの急な右肩上がりの変化が緩やかになっていると主張しています。つまり、「現代世界は減速している」というのです。この人たちのことを、ここでは「減速論者」と呼ぶことにします。
そして私も、減速論者の1人ということになります。先ほど触れた「社会の変化はゆっくりになっている」の一連のnote記事では、何人かの内外の減速論者の主張を紹介しています。
*これまで紹介したおもな減速論者……タイラー・コーエン、ロバート・J・ゴードン(以上経済学者)、バーツラフ・シュミル(技術史)、ダニー・ドーリング(人口論)、見田宗介(社会学者)、山口周(著述家、経営・ビジネスなど)、広井良典(公共政策・科学哲学)。このほか個別分野(ファッション、建築、映画)の識者による、各分野の「減速」についての指摘なども紹介。
減速論者が描く、この数千年の過程は、大きな一つのS字曲線であることが多いです。
つまり、近代以前のゆっくりとした変化が近代以降は大きく加速し、その後の現代においてはまた減速し、やがて定常状態に達するであろうというもの。グラフの線としては、平坦な状態から急勾配になり、その後また緩やかな勾配を経て平坦になっていく、ということです。
たとえば、日本における減速論者の代表格といえる社会学者・見田宗介氏は、一部の歴史家が「枢軸時代(軸の時代)」と呼ぶ時期(紀元前500年頃の前後数百年)を起点とするS字カーブの曲線を、現代にいたる人類史の大まかなイメージとして提示しています(見田『現代社会はどこへ向かうか』岩波新書、2018年)。

「人間の歴史の3つの局面」
『現代社会はどこに向かうか』10ページ
このイメージは、ほかの多くの減速論者と共通したものです。つまり、上記のような図で示していなくても、「近代以前の緩やかな変化→近代以降の急速な変化→減速から定常状態へ」という見方は、共通しています。ただし、急速な変化のはじまりを近代初期とする場合が多いですが、見田のように枢軸時代(紀元前500年頃の前後)とすることもあるわけです。
世界史は、一度きりのS字曲線ではない
見田氏のような減速論の先達が、世界史の動きをS字曲線で捉えたことは、たしかに重要な指摘です。そして、私もその考えに立っているわけです。しかし、「一度きりのS字曲線」として世界史を描くことについては、賛同しません。
私がここで主張する、世界史6000年間の進歩・変化の過程は、3つのS字曲線を段階的に積み重ねたものです。
つまり、紀元前4000年頃にはじまる「文明のはじまり」の革新にもとづく曲線と、紀元前1000年頃にはじまる「鉄器時代の革新」にもとづく曲線、そして「近代の革新」にもとづく(予想される未来を含む)曲線を重ねあわせたものです。それは、前時代が定常状態に達してからの線と、それに続く時代の加速局面の線を接続しているわけです。


さきほど述べた、見田氏による人類史をあらわすS字曲線は、枢軸時代を起点とする過程が現代まで続いているというものですが、私は、歴史の事実をそのようには捉えません。
「枢軸時代を起点とする過程」は、私の整理では「鉄器時代の革新」による発展と重なります。枢軸時代(紀元前500年頃の前後数百年)は、「鉄器時代の革新」が急速だった時期とおおまかにイコールです。
しかし、私は「枢軸時代を起点とする過程は、現在進行中の近代以降のS字曲線の前段階のもので、すでに完了している」と考えるわけです。
人類は、近代の革新がはじまる前に、枢軸時代以来の加速から減速し、いったん定常状態(文明のはじまり以降において2回目)をむかえているのです。そのことを「最大級の都市の変遷」グラフは示している、ということです。
また、見田氏は、枢軸時代以前の世界に一定の文明社会があったことについては、(もちろん認識しているとしても)あまり重視していないようです。著書では明確には述べていませんが、枢軸時代をもって本格的な世界史がはじまった(それ以前は「前史」)と考えているのでしょうか。少なくとも、読者にはそういう印象をあたえます。
しかし、私は西アジアを中心に展開した、枢軸時代以前の「文明のはじまり」の時代は、現代につながる文明の「基礎の基礎」が形成された時代であり、本格的な世界史はまさにここからはじまったと考えています。そして、このように数千年前の西アジアの文明を人類史における画期的なものとして評価することは、一般的な見方でもあるはずです。
そして、見田氏によるS字曲線の図は、具体的なデータに基づくグラフではなく、見田氏の世界史についての見解を図であらわしたものです。しかし「それだけではもの足りない」と私は考えます。そこで、世界史の大きな動きを反映した一定の数量的なデータ(最大級の都市の規模)に基づくグラフを描いたのです。そのグラフからは、S字曲線の積み重ねによる発展過程がたしかにみえてきました。
広井良典の「人類史における拡大・成長と定常化」
なお、上記で名前をあげた減速論者のうち、公共政策と科学哲学の研究者・広井良典氏は、人類史をS字曲線の積み重ねによる多段階の発展過程として明確に論じています。
広井氏は、「人類史における拡大・成長と定常化のサイクル」と題したつぎの図を示しています。つまり、人類は右肩上がりの拡大・成長と、その後の定常状態をくり返してきたというのです(広井『無と意識の人類史 私たちはどこへ向かうのか』東洋経済新報社、2021年)。

「人類史における拡大・成長と定常化のサイクル」
『無と意識の人類史』81ページ
このような人類史の捉え方は、「S字曲線の積み重ね」「階段状の発展」という構造については私と共通しています(つまり、広井氏も私の主張の先達の1人です)。しかし、つぎの点で私とは異なっています。
まず、対象とする事象の時間的スケールがちがいます。つまり、広井氏はホモ・サピエンス誕生以降の20万年間を対象としていますが、私が対象とするのは本格的な都市文明の成立以降の5000~6000年間です。広井氏のほうが、よりマクロな視点でみているわけです。
そして、そのためか、重要なトピックの評価や位置づけがちがいます。私が世界史上の重要な転換点とする「文明の始まり(都市文明の成立)」は、広井氏の図ではとくに大きな変革とされる「農耕開始」以降の、より小さな変化として位置づけられています。また、「枢軸時代(私のいう「鉄器時代の革新」と重なる)が、新たな発展の開始ではなく、農耕開始以来の過程の終わりとされていることも、私の整理とは異なります。
「20万年」という、きわめて大きなスケールで人類史を俯瞰することは、たしかに意味があります。しかし、ここでの議論では、それよりもいくらか対象に接近し「程よい解像度で捉える」必要があるのではないでしょうか。遠すぎても近すぎてもいけない。
私はここで、近代の革新(近代化)で生まれた現代社会が、今後数世紀かそれ以上のあいだにどうなっていくかを考えようとしています(その関心は広井氏も共通)。そのためには、「20万年」よりも「数千年」のスケールで検討するほうが適切ではないかと考えています。
たとえていえば、「目的に応じた、適切な縮尺の地図を使う」ということです。東京観光のために(世界地図や日本地図ではないにせよ)「関東」の地図を使っては、いろいろと不自由なはずです。一方で、銀座の地図だけでは「東京」はわからない。
広井氏の図が示すように「20万年(ホモ・サピエンスの歴史)」というスケールでみると、ほんとうに大きな変革は「ホモ・サピエンスの誕生(広井氏の図では“心のビッグバン”)」「農耕の開始」「近代化」の3つであるというのは、たしかにそのとおりだと、私も思います。
しかし、それで「現代文明の未来」を考えるのは、歴史の整理として大雑把過ぎるのではないでしょうか。
ただし、私のような「数千年」のスケールでの議論を「大雑把すぎる」と思う人もいるはです。逆に「20万年でも視野が狭い」と思う気宇壮大な人もいるかもしれません。
それでも、私は自分にとって「適切」と思う縮尺の地図で考えたいと思います。大事なのは、自分の広げている地図の性質や意味を理解していることです。
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また、広井氏の図は、自分の頭のなかの世界史像を描いただけのものではありません。広井氏は、ほかの研究者による、超長期の世界全体の人口やGDPの推定も参照しています。
それらの数量的データを踏まえているという点で、この図は見田氏の図よりも踏み込んだものです。しかし、前にも述べたとおり、超長期の世界の人口やGDPの数値は、信頼性や客観性におおいに問題があります。そのような基本的な弱点が、この図にはあるということです。
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なお、私の主張するS字型の曲線のカーブが、それぞれどのような曲がり具合であるかは、不明確なところがあります。
特定の時期に急速に局面が変わる、屈折の強いものなのか、それともなだらかな変化なのか、ということです。この点については、今のところは情報が不足しており、はっきりしません。「はっきりしない」のは、私の勉強不足があるとしても、現時点の歴史研究の限界による面もあるはずです。そこで、ここでの描き方はとりあえずのものです。
また、ここで描いているものが数学的にみてどういう成長曲線なのか――たとえば、S字曲線の代表的なものである「ロジスティック曲線」なのかどうかといったことも、データだけでなく私の数学の知識が不足しており、よくわかりません。
しかし、いずれにせよ、人類の発展のイメージを「平坦(ゆっくり)→急勾配(加速)→平坦(減速・ゆっくり)」という構成の曲線、つまり何らかのS字型の成長曲線をもとにあらわすことができると考えているわけです。
生物の増殖におけるロジスティック曲線
ここで、S字曲線というものについて、基本的なことを述べておきます。S字曲線は、この世界のさまざまな事象、つまり自然・社会・人間の発展過程をみるうえで、重要な道具です(ここでは踏み込みませんが、弁証法における「否定の否定」のひとつのあり方をS字曲線はグラフ的に表現している、ともいえる)。
ものごとの成長・増加の推移をS字曲線で捉えることは、生物学の世界ではとくにおなじみです。
たとえば、1匹のゾウリムシのような微生物を、試験管や水槽などの容器、つまり一定の閉じた環境に入れて栄養を与えると、指数関数的に個体数が増えていきます。しかし、その増加はずっと続くわけではありません。栄養を与え続けてもゾウリムシがこれ以上は増えない定常状態がいずれやってきます。このような増加の過程は、グラフ化すればS字型の曲線となります。
そして、「これ以上増えない」状況については、「環境収容力が限界に達した」いう言い方をします。試験管や水槽のような閉じた環境には、このような収容力の限界があるわけです。
このゾウリムシのような増え方についての有名な数学的な表現としては、「ロジスティック曲線」という、一定の微分方程式(ロジステック方程式)によるS字曲線があります(ただし、この方程式をきちんと説明する能力が私にはない)。ロジスティック曲線は、S字型の成長曲線の代表格ですが、ほかの方程式に基づくS字曲線も提唱されています。
そして、生物の増加だけでなく、人間の活動においても、増え方がS字曲線となる現象は知られています。日本国内などの一定の市場における、家電や自家用車などの耐久消費財の普及率は、その代表的なものです。耐久消費財の普及率は、ある時期に急速に高まったとしても、どこかで需要が飽和点(収容力の限界)に達して伸びがとまるものです。
世界人口のS字曲線
地球という「閉じた環境」における人類の個体数、つまり世界人口についても、S字曲線でとらえることは、現代では一般的です。
世界人口について、現在でも指数関数的な(日常語ではネズミ算的な)増加を強調する識者もいます。しかし、現代において世界人口の増加のペースは1960年代前半をピークに減速しています。そして、最近(2020年代)の国連の予想によれば「2080年代に世界人口は100憶人余りでピークに達し、その後は少なくとも2100年までは横ばい」だとされています。
つまり、急速な増加が終わりつつあるという意味で、S字曲線的な推移をたどるとみられているのです。
しかし、人口に関する従来の議論では、ロバート・マルサスの『人口論』(1798年初版)に影響を受けた指数関数的な増加のイメージが一般的でした。同書でマルサスは、人口が指数関数的に増えていくことを強調しています。ただし、『人口論』は改訂を重ね1826年の第6版まで出ているのですが、第6版では、人口と食糧などの生活資料の不均衡が起こった際に人口増加が抑制されるメカニズムについても言及しています。
それでも、数十年前までの識者の多くは、マルサスの主張のうち指数関数的増加こそが重要と考え、「将来において、世界人口はさらに急速に・爆発的に増え続ける」と考えました。
このような人口観に対し、マルサスより少し後の世代の数理統計学者フェルフルストは違和感を抱きました。そして、「人口は指数関数的に増加する傾向があるが、一方で何らかの抑制が働いて増加が減速する」というイメージを数学的にあらわそうと、1839年にロジスティック曲線を提唱したのでした。
しかし、彼の考えは、同時代には理解されませんでした。ロジスティック曲線が広く知られるようになったのは、1920年代に生物学者のパールらがフェルフルストの仕事を再発見して以降です。パールらは、キイロショウジョウバエの繁殖実験を行ったのですが、その繁殖による増加の過程はロジスティック曲線を描いたのでした。
「上達の理論」における、多段階のS字曲線
また、現代の認知科学やスポーツ科学などでも、S字曲線は登場します。
スポーツや勉強における上達・スキルアップの過程についての研究(ここでは「上達の理論」とでもいいましょう)では、「努力を重ねた時間と上達レベルの関係」について、「急成長する時期」とその後の「停滞」からなるS字型の成長曲線を想定するのが一般的です。「スキルアップのレベルは練習時間に単純に比例するわけではない」ということです。
また、このような「急成長のあとの停滞期」は、英語などの欧米の言語で「高原」を意味する「プラトー」とも呼ばれます。なお、見田宗介氏は、現代の減速の先にある社会を「高原社会」と表現しているのですが、それはこの「プラトー」を踏まえたものです。
スキルアップは多くの人にとって切実な関心事なので、上達のS字曲線やプラトーについての解説は、インターネット上でもかなりみかけます。
なお、「努力を重ねても、以前ほどの成果が得られない」ということは、プラトーでは、ある種の「収穫逓減」が起こっているともいえるでしょう(収穫逓減は、労働などの投入量あたりの収穫が時間の経過とともに減っていくこと。もともとは経済学で用いられるのが一般的)。
そして、「上達の理論」の解説では、「停滞(プラトー)につきあたっても、あきらめずに適切な努力を続け、停滞を克服しよう」などと述べられたりもします。
これに対し、ゾウリムシの増殖では、定常状態に達したあとにそれを克服してさらに増えることは、「ありえない」のが前提です。ゾウリムシが増殖や代謝の仕方を改良して限界をのりこえるということは考えられません(自然環境においては、突然変異などの進化はありえますが)。
しかし、人間のスキルアップの場合は、努力と工夫で停滞を乗りこえることが期待できるわけです。「高いレベルに達するには、成長期と停滞期を何度もくり返すことが求められる」というのは、上達の理論における一般的な考え方です。
そして、このような「“成長と停滞のくり返し”によるスキルの向上」をグラフであらわせば、多段階のS字曲線の積み重ねとなるわけです。スポーツや勉強などの上達の理論において、S字曲線の積み重ねのモデルは一般的なものです。
個人の上達過程と世界史の発展の共通性
また、ここで述べている、世界史における進歩・変化の過程のイメージは、S字曲線の積み重ねであらわされるスポーツや勉強の上達過程と似た線を描いていると、私は考えます。
同じくS字曲線であらわされる現象であっても、ゾウリムシの増殖や消費財の普及率の場合は、プラトーにいったん達したら、それで増加・成長は止まってしまうのが一般的です。しかし、文明の進歩・発展の場合は、そうではありません。人間や社会は、努力や工夫でそれまでの限界や制約を乗りこえようとします。
スポーツや勉強で、途中までは急速に成果が上がったとしたとしても、やがて努力しても伸び悩む「収穫逓減」が起こって停滞期に入る――これは、上達の過程において一般的なことです。しかし、それでも適切な努力を重ねると、新たな何かをつかむことがある。そして、その「何か」をもとにさらに取り組むと、以前の限界を超えてまた伸びていく……
このような過程をグラフであらわすと、これまで何度も出てきた「S字曲線の積み重ね」となります。

このようなS字曲線の積み重ねによる上達の過程は、世界史における技術や文明の発展といった大きなスケールの事象でも、大まかな構造としては共通しているのではないでしょうか。
つまり、スキルの向上という「個体発生」と似たかたちの成長曲線(S字曲線の積み重ね)が、人類全体の発展という「系統発生」でもみられるのではないか、ということです。
試験管のなかのゾウリムシとちがって、個人でも集団でも、人間は一般にそれまでの制約や限界をのりこえようと努力や工夫を重ねるものです。そこで、このような異なる次元(個と全体)のあいだで共通性が成り立つのです。
古田隆彦の「人口波動」説
最後に、「S字曲線の積み重ねとして、社会の歴史的な発展過程をとらえる」という見方を全面的に打ち出したひとりの先達について述べます。1990年代に「人口波動」説を主張した、社会学者・古田隆彦氏(1939~)のことです。
この「人口波動」説は、旧石器時代からの約5万年間の日本列島の人口の推移などに基づき提唱されました。
古田氏による日本列島の人口の推移のグラフは、次のとおりです。これは、タテ軸(人口)・ヨコ軸(年代)ともに特殊な調整が加えられたグラフで、5つのS字曲線の積み重ねになっています。(古田『人口波動で未来を読む 100年後日本の人口が半分になる』日本経済新聞社、1996年、以下同書)。

「日本列島における人口波動の推移」
『人口波動で未来を読む』11ページ
古田氏のいう「波動」とは、急速な人口増加と、それが減速し停滞するまでのサイクル、つまりS字曲線であらわされるプロセスのことです(スピリチュアルな世界観とは何の関係もありません、念のため)。
古田氏は、歴史においてその「波動(サイクル)」は、くり返されてきたと述べています。《人口の長期的な成長推移は「多段階・変形ロジスティック曲線」を辿る》というのです(同書8ページ)。「多段階・変形ロジスティック曲線」とは、「S字曲線の積み重ね」と同じことです。
人間は自ら自然環境を改善する能力、つまり文化や文明を創造する能力を持っているから、長期的にみれば、人口の推移は一つの人口波動から別の人口波動へと、次々に階を重ねる「多段階人口波動曲線」として描くことができる。
そして、古田氏は《人口容量〔一定の地域における人口の限界〕とは、自然環境とそれに加えられた文明によって決定される》とも述べています。また、これを数式化すれば《人口容量=自然環境×文明》であるといいます(6ページ)。
つまり「人口増加は、文明の発展状況を数量的に示している」ということです。古田氏はその前提に立ち、各時代の人口規模を支えた技術や社会について論じています。これは、「最大級の都市の規模は、その時代の技術力や生産力の水準を示す」というのと共通する発想です。
古田氏のこのグラフは、日本社会の発展の全過程をグラフで可視化しようとする大胆な試みです。私としてはおおいに共感し、先達として敬意を抱いています。
ただ、十分な資料のない江戸時代よりも前(古代~中世)の人口推定の困難ということは、やはり気になります。とはいえ、日本という一国に限定すれば、ある程度信頼のおける超長期の人口推定もどうにか可能なのかもしれません。
しかし、世界史は日本史のようにはいかないと私は思います。数万年あるいは数千年間の世界全体の人口推定となると、やはり日本一国の場合よりも桁違いに困難で不確かになるはずです。つまり、前にも述べたように、世界史の大きな流れを考えるうえで「基礎」となるデータは得られないのではないか。
そこで、私は世界史のグラフを「最大級の都市の規模」で描いたわけです。その結果、これまで述べたような「S字曲線の積み重ね」といえる発展過程がみえてきたのでした。

©Soichiro Akita 2025
(第6回に続く)
*私は、この記事の「最大級の都市の変遷」グラフの原型といえるものを、2013年には自身のブログ「団地の書斎から」の記事で取り上げています(下記リンク)。当時はまだ古田氏の仕事を知らなかったのですが、その後「似た発想の先行研究はないか(あるのでは)」とあたっていくなかで知ったのでした。
*著者そういち(秋田総一郎)の著書、全国書店・ネット書店で販売中
