【ASD青年の成長物語】第1章・第2話「小学1年生・夏休み~2学期」🕊️
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[1]🧶 はじめに──陽樹の記憶に導かれて
カウンセリングルームに初めて現れたとき、
彼はどこか怯えたような目をしていました。
社会人として職場でのストレスに悩んでいた陽樹さんは、
自分の過去に立ち戻るようにして、静かに語り始めたのです。
「小学校1年の夏休みって、7月23日から始まったんです。
翌年からは21日だったのに、その年だけ特別でした」
そう言って、彼は曇り一つない顔で、
まるで昨日のことのようにその夏の始まりを語ってくれました。
──私は、思わず彼の記憶力に息を呑みました。
臨床心理士として多くの方と向き合ってきましたが、
ここまで鮮やかに、かつ淡々と過去を語る青年は、正直なところ稀です。
それは決して記録魔ということではなく、出来事の印象や、
それに伴う感情が彼の中に焼きついているからなのでしょう。
言葉は少ないけれど、記憶には感情がしっかりと宿っている
──そんな印象を受けました。
今回、陽樹さんが話してくれたのは、
彼が小学1年生の夏休みから2学期にかけての思い出でした。
それは決して派手な物語ではなく、
誰にでも起こり得る、ありふれた日常の断片にすぎません。
ですが、その中には彼の特性や、
後の成長に大きく関わる『芽』のようなものが随所に現れていました。
この物語は、彼の声を通して、
そして私という語り手の視点で丁寧に拾い集めたものです。
記憶の粒をひとつずつ確かめるように、
あなたにも彼の夏の日々をたどっていただければと思います。
[2]🌼はじめての「夏休み」に芽生えた戸惑い
陽樹さんが小学校1年生のときに迎えた、はじめての夏休み
――その年だけ7月23日から始まったという事実を、
私は最初ただの偶然かと思いました。
しかし、彼の記憶の正確さには、驚きを隠せませんでした。
「2年生からは7月21日始まりでした。
でも、1年生の年だけは23日からだったんです。覚えてます」
彼の言葉は事実であり、
彼自身の記憶が持つ独特な鋭さを物語っていました。
人は誰でも、自分の興味や関心、
あるいは不安と深く結びついた出来事は強く記憶するものです。
陽樹さんにとって『はじめての長期休暇』は、
学校という規則的な世界から急に放り出されたような、
不思議な時間だったのでしょう。
夏休み中の彼の過ごし方は、どこかぼんやりとした日々の連なりでした。
朝から好きなテレビを見て、外に出て駆け回る。
田んぼのあぜ道や車のほとんど通らない道路を、ただ走る。
そんな中で、時々呼ばれる農作業――
「面倒でした」
と語る表情には、どこかあの頃の憮然とした気配が残っていました。
「特別、やりたいこともなかったし、命令されるのが嫌でした。
親からでも」
この言葉に、
私は陽樹さんの内面の核となる『主体性への渇望』を感じました。
彼は、自分から動くことが難しかった一方で、
誰かに決められたくない、という強い反発心も抱えていたのです。
幼さゆえに、それが上手に形にならなかった。
そんな不器用な彼の心が、初めての夏休みの中に確かに息づいていました。
[3]🌱夏休み、自由という名の不自由
陽樹さんの話を聞いていて、私が驚かされたのは、
その夏休みの「記憶の細やかさ」でした。
多くの子どもにとって、
1年生の夏休みなど曖昧な記憶の断片としてしか残っていないものです。
しかし彼は、7月23日から始まったこと、
そして毎日見ていたテレビ番組の名前、
ラジオ体操での上級生の呼びかけの声色まで
――ありありと話してくれたのです。
「自由」は、彼にとって本当の意味での「自由」ではなかったようです。
夏休みの宿題、「夏休みの友」。
算数はすらすらできたものの、
国語の読解や自由研究といった
『曖昧で正解がない』課題に戸惑い、苛立ち、
そして最後には放置してしまったそうです。
それを母に咎められ、無理やりこなした。
そこに達成感はなかったと言います。
それでも、彼の中には一つ一つの出来事が強く刻まれていました。
朝顔の鉢の支柱が、他の子の倍になっていたこと。
父が勝手に支柱を追加したことで、自分が驚かれることへの「気まずさ」。
彼は「自分がやったわけじゃない」と言いかけたけれど、
それを飲み込みました。
――ここにもまた、彼なりの『他者との関わり方の葛藤』があったのです。
自由に駆け回れるはずの夏。
けれど、その自由を楽しむよりも、周囲の声・期待・評価が気になって、
心からくつろぐことができなかった。
そう語る陽樹さんの声は、どこか寂しげでした。
「自由の中で、自分の居場所を探していたのかもしれません」
彼の言葉は、そんな風に私の耳に響いてきました。
[4]🌿誰かが勝手に“すごい”をつくった
陽樹さんが話してくれた、
夏休みの朝顔のエピソードには、私も思わず笑ってしまいました。
夏休み前、理科の授業で育てた朝顔の鉢を、
それぞれの家庭に持ち帰るのが決まりだったそうです。
陽樹さんも、母親の車に乗せられて鉢を持ち帰りました。
その後、ツルがどんどん伸びていき、
途中で父親が支柱を継ぎ足しに継ぎ足して――
なんと、登校初日に学校に持っていくと、
他の子たちの鉢の倍近い高さになっていたのだとか。
「みんなが驚いてました。
でも、ぼくは、別に自分がやったわけじゃないって思ってました」
そう言いながらも、陽樹さんは、当時の心の中にあった複雑な感情を、
言葉にして語ってくれました。
「すごいね!」
「どうやったの?」
「陽樹くんの、めっちゃ伸びてる!」
たくさんの声が飛び交う中で、
陽樹さんは『嬉しくなかったわけじゃない』とも話していました。
ただ、素直に「ありがとう」と言えなかった。
なぜなら、それは自分がやったことではなかったから――。
『他人の手によってつくられた成果』を褒められることに、
どこか引っかかりがあったのです。
その場で「父がやった」と言えばよかったのに、それも言えなかった。
「みんなの前で言っても伝わらないって思った」
そう呟いた陽樹さんの目は、
大人になった今も、少し遠くを見つめていました。
誰かの『よかれ』が、自分の『居心地の悪さ』になる。
幼い頃から、陽樹さんはその感覚にとても敏感だったようです。
[5]🌾“兄のような存在”との初めてのつながり
陽樹さんが小学1年生の秋、彼の記憶に深く刻まれた出来事がありました。
それは、4学年上の男子――
当時小学5年生の『お兄さん』と過ごした時間でした。
「11月23日、勤労感謝の日のことです。
初めて、人の家に遊びに行きました」
ぽつりとそう話した陽樹さんの声には、
微かに甘い郷愁が混じっていました。
その日は特別でした。
今までの彼にはなかった
『自分が誰かに誘われて、迎え入れられる』という体験――
それが、当時の彼にとってどれほど嬉しく、誇らしいことだったか、
言葉の端々から伝わってきました。
そのお兄さんは、
小学校を卒業するまで陽樹さんにとって『実の兄』のような存在でした。
けれど、彼が中学校に進学すると、少しずつ距離が生まれていきます。
「幼すぎたのかもしれません。しつこく思われてたみたいで…」
小さな陽樹さんにとって、
『好かれたい』という気持ちはとても純粋なものでした。
しかし、年齢差がある分、その気持ちの方向や温度にズレが生まれ、
知らぬうちに関係が変わってしまっていたのでしょう。
それでも彼は、そのお兄さんのことをずっと忘れずにいました。
「高校生くらいになって、その人の進学先を親から聞いて。
数年後、偶然見かけたんですけど、大人になってて……
もう、自分とは違う世界の人でした」
このエピソードの最後に、
陽樹さんが私にこう語ってくれたことが忘れられません。
「いつか、今の自分をその人に見てもらいたい。
ちゃんと、変わったよって」
幼いころに憧れた誰かへ、『今の自分』を伝えたくなる気持ち。
それは、自己肯定感や過去との和解への第一歩なのかもしれません。
陽樹さんの小さな記憶のかけらが、
今の彼の成長をそっと支えているように思えました。
[6]📕辞書との出会いと、漢字へのまっすぐな興味
「小学校で、漢字辞典を全校生にすすめられたとき、
僕は『どうしても欲しい』って母へお願いしたんです」
カウンセリングの中でそう語る陽樹さんの目は、
どこか嬉しそうで、自信に満ちていました。
小学1年生の頃、学校で配られた漢字辞典の申込用紙。
多くの子どもたちは親の言うままに受け取るだけだったかもしれません。
でも陽樹さんは違いました。
強く関心を示し、母親に「買ってほしい」と自分の言葉で頼んだそうです。
「そのとき買ってもらった漢字辞典、
小学6年生までに習う内容が書かれていたんですよ」
まだ1年生である陽樹さんが、
辞典を開いては6年生で習う漢字をいくつか覚え、
ひとつずつ意味を確かめていたというのです。
そして、覚えたばかりの難しい漢字を、
休み時間などで5、6年生のお兄さん・お姉さんたちに披露して
驚かせることもありました。
「『すごいね!』って褒められるのが嬉しくて」
それは単に学びへの意欲というよりも、
『自分の存在を誰かに認めてもらえること』への
純粋な憧れだったのでしょう。
漢字というルールのある世界。
調べれば答えがある世界。
感情や空気を読む必要もなく、誰かの表情を探る必要もない。
その安心できる『秩序』に、
陽樹さんはひそかに惹かれていたのかもしれません。
「人の言葉を理解することは苦手だったけど、漢字は理解できたんです」
陽樹さんのこの言葉は、今でも私の心に残っています。
周囲とのコミュニケーションに戸惑いながらも、
言葉そのものには強い興味を抱いていた――
それが、彼の心の内に確かに根づいていた一筋の光でした。
[7]🚗 お母さんの運転免許と、参観日の一言
「お母さん、自動車学校に通ってたんですよ。ぼくが小学校1年のときに」
そう語る陽樹さんの口調には、
どこか照れくさそうな響きが混じっていました。
このエピソードは、彼が語る中でもとりわけ印象的な一幕でした。
当時のお母さんは、
家庭の都合もあって車の免許を取得しようとしていました。
陽樹さんが小学1年の秋、
まさに運動会や文化祭で学校がにぎわう時期のことだったそうです。
「参観日の発表でね、
『うちのお母さん、自動車学校の最終試験に1回落ちたけど、
2回目で受かったんです』って言ったんですよ、ぼく」
おそらく、本人に悪気はなかったのでしょう。
ただ事実を話しただけ――
そんな無邪気な動機だったに違いありません。
けれども、
それを聞いたお母さんはかなり恥ずかしい思いをされたそうです。
「後から母に言われて気づきました。
人のことを話すって、考えてしないといけないんですね」
この経験が、
陽樹さんにとって「人の気持ちに配慮する」ということを意識する、
小さなきっかけとなりました。
そして私は、
彼の中にある『まっすぐさ』と
『遅れてやってくる気づき』の組み合わせに、
また一つ深い感銘を受けたのです。
[8]🌾 おわりに(次回予告)──忘れられない季節のこと
陽樹さんの話を聞いていると、
「あの頃」の空気が、まるで目の前に立ち上がってくるようです。
青空と朝顔、算数のドリル、呼ばれた「はるちゃん」の響き──
それらはすべて、彼の小さな胸に確かに刻まれていた記憶でした。
驚くのは、彼の記憶力だけではありません。
物事をどんなふうに受け取り、どう感じていたか。
その内面の「記録」が、
鮮やかに今も生きているということに、私は心を動かされました。
他人からの評価を恐れたり、誰かと自分を比べたりする以前の、
純粋な「なぜ?」「いやだ」「うれしい」「楽しい」がそこにある。
それがどんなに愛おしく、そして貴重なものか。
私は、陽樹さんが語ってくれるたびに、気づかされるのです。
次回は、冬休みと3学期の陽樹さんを訪ねます。
年末年始の独特な空気の中で、彼が感じたささやかな喜びや戸惑い、
そして新しい年を迎えるときに芽生えた、ほんの少しの「変化」──
彼の目線から見えた世界を、また一緒にたどっていきましょう。
👇 第1章・第3話へ続く
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