第353話:欠落
夏と言えばスイカだが、去年はスイカを食べなかった。今年も食べないで終わるかもしれない。そう言えばかき氷からも、最後に食べたのがいつだったか思い出せないほど遠ざかっている。花火が鳴っても「ああ、鳴ってる」と思うだけで見に行かない。
老いたせいか、いろんなことから関心が薄れていっている。なんとなく寂しくも思うが、だからあえて動こうという気持ちにもなれない。
子供の頃、季節の行事は楽しみだった。子供の日には大きな鯉のぼりをおじいちゃんが立ててくれたし、潮干狩り、海水浴や花火は家族みんなで出かけた。節分には家の中だけでなく近くの神社にも行って豆を撒いた。
自分に子供が生まれてからも、旅行に行ったり、キャンプに行ったり、スキーに行ったり・・。そうでなくても運動会とか卒業式とか、息子の成長に合わせて生活にアクセントがあった。
だから、そういう季節にまつわる行事や儀礼の存在の意味は「子ども」にあるのかもしれない。
人は、自らの子供時代と、自分の子供と、孫の子供時代と、「子ども」を3回生き直すのではないか、そんな気がしたりもする。残念ながら孫はいないので、たぶん、今年もスイカを食べずに終わるような気がする。
ところで、残念なのはスイカを食べられないことだけではない。どうでもいいと思われるかもしれないが、トウモロコシも食べられない。いや、正確にいうとトウモロコシにかぶりつけない。
僕は茹でたぷりぷりとしたトウモロコシが好物なのだが、前歯の差し歯を折ってから、噛み切るとか齧るといったことができない。
前歯の差し歯が折れたことは前に書いた。(読まなくて結構です)。
中学生の時に差し歯にした前歯が、それを歯の根っこに刺していた金属の棒がボキッと折れたのだった。ちょうど50年前に入れたのであって、高度経済成長期に作られたインフラがあちこちで壊れているのと同じように、僕の前歯も限界を迎えたことになる。
歯医者に行くと、歯医者は「これはとても手間がかかるので、とりあえずくっつけておきます」と言って接着剤でくっつけてくれた。これが2025年の2月。
そこまでが前の記事だが、その後、2、3ヶ月して、案の定くっつけた前歯はコロっと落ちたのだった。
仕方なく少し大掛かりになるかもと覚悟して歯医者に行くと、歯科医は「もう一度くっつけて様子を見ましょう。今度取れたら考えます」と言ってまたくっつけてくれた。それが正しいかどうかはわからない。周囲の人には「歯医者、替えれば?」と言われる。
今度もすぐにダメになるかと思ったが、以来現在まで1年余り、歯は頑張って落ちずにいる。
けれど前歯に負荷をかけないように細心の注意が必要で、餃子でさえ箸で半分に割ってから口に入れる。ラーメンもなるべく一回ひとすすりで口に入れる。リンゴも一口大にしてもらう。トンカツなどとんでもなく、したがって大好きなトウモロコシにかぶりつくことができないのである。
恐る恐る生きている、と言えるだろう。
ところで、この間、カミさんに
「スノーマンって知ってる」と聞くと、
「えっ、スニーカー?」と聞き返された。
「違う、スノーマン」と言うと、
「えっ、スウェーデン?」とまたまた聞き返された。
仕方がないので紙に「スノーマン」と書いて、やっと話が通じた。
この間はラーメン屋で、二人で味噌タンメンを食べたのだったが、
「タンメンはいいんだけど、途中から野菜ばっかりになっちゃうなあ」と言ったら、
「えっ、田んぼの稲がどうしたの?」と言う。
どうして「タンメンはいい」が「田んぼの稲」に聞こえるのかわからない。
今朝はまた、薬を飲んだ、飲まないで、混迷の論争になった。
進みゆく老いも、トウモロコシに齧り付けないことも、どのくらい悲観すべき欠落かはわからないが、欠落を欠落としてのんびり笑いながら大事に生きていきたい。
*付記:今日の短歌
僕のおっきな心の凹みを埋めるため 梯子をかけて月取りに行く
◾️土竜のひとりごと:第353話
