第304話:バトンを渡す
埼玉での道路陥没事故の痛ましいニュースが毎日報じられている。
高度経済成長期に作られたインフラが一斉に耐用年数の上限を迎えつつある。道路といい、橋といい、トンネルといい、老朽化は徐々に忍び寄って僕らの日常を侵食しつつあるかのようだ。比喩的に言えば、ある日突然出現した大きな穴の闇に吸い込まれてしまう、そういう僕らの存在の危うさを象徴する事故だったと言えるかもしれない。
ただもっと痛ましく感じられてならないのは、この災難に遭われた運転手の方の年齢が74歳であることであって、それが僕にはなんだか「ああ、そうなんだ」と思われてしまう。
まだ救出方法の糸口さえままならない。
母も今度の4月で90歳を迎える。
先週の金曜日、その母の体調が思わしくないと兄から連絡を受け車で病院に送って行った。母の痴呆状態は数年前からかなり進んでいたが、最近、食事を取りたがらず、尿の状態も良くなく、食道や腎臓に異常があるのかもしれないという連絡だった。
病院での診断の結果は、肺に癌があるが、これは年齢を考えると無理に治療すべきものとは思えない。それ以外には特にどこが悪いというのでもなく、食事も最初に口に入れてあげれば食べるであろうし、水分を摂れば尿も普通に戻る。薬も治療も特に必要はない。
かなり苦労をされた方かと思うが、全ての内臓の機能が一様に劣って来ていて、いわゆる「老衰」の状態であろう。あと半年、一年かもしれない。静かに時間を送らせてあげてくださいということだった。
母の体も衰え、その限界を迎えつつある。
どことない寂しさと疲れを感じながら、その後、僕は授業があったので母と兄と別れて職場に向かったが、運転していると口の中に違和感を覚えて舌で探り手に取って見ると、歯が一本が取れていた。前歯だった。
車を停めてよく見ると、差し歯と歯の根を繋いでいた金属がちょうどその境目で綺麗に折れていた。

母のこともあった。自分のことでも、先週は再就職のための面接を2回受け、ちょうどその日に結果が出る応募先もあったり、なんだかモヤモヤしている時だったので、この前歯の「欠損」はドスンと身に応えた。
子供の頃から歯が弱く、それでいてするべきケアも怠っていたから当然の報いであったのだが、中学生の時に前歯の2本を差し歯にした、その一本だった。経年劣化ということになるのだろう。
考えてみれば、13歳だった中学以来、50年間をこの差し歯は僕の口の中にあって僕の「食」を支えていてくれていたことになる。よく頑張ってくれたとも言える。
そうか、50年か・・。
と思ってみたのだが、それは奇しくも高度成長期に作られたインフラの耐用年数と重なっているなあと何だかしみじみ思ってみたりしたのであった。
衰えはやむをえないことだが。
寂しい話になってしまったが、昨日、バレンタインデーで部員たちが「お菓子」をいっぱいくれた。
そうそう、こんなふうにこんなことで、嫌なことがあっても生徒たちに助けられて今までなんとかやってきたなあとも思った。

4月からは学校を離れることを決めているので、こんなこともなくなるなあと、またそんなことでモヤモヤとしてしまう今日なのであった。
でも、42年間の教員生活、そんなに多くはないがいくつかのバトンは渡せたような気もする。老体はいつまでも走り続けるわけにもいかない。バトンを渡したら、ゆっくり歩くことも大事なんだと思ってみたい。
■土竜のひとりごと:第304話
