無かったんだ、悲しみの消し方。あの日の選択(ちび創作大賞弌)
私は自分が悲しんでいることを、
誰にも気づかれない方法を、
わりと早くに身につけた。
技術の話で、
気持ちの話ではない。
泣きそうになったら、息を止める。
喉の奥に力を入れて、上がってくるものを物理で押し返す。
顔は少し、笑っておく。
完全な無表情は逆に勘づかれる。
八割の平常に、二割の退屈を混ぜる。
そんな技術。
それで誰も、私の中で何が起きているのか分からなくなる。
なぜそんな技術を得て、覚える必要があったのか。
唯一の気持ちの置き場を亡くしたから。
幼い頃の私には、大きな決断のようなものだった。
悲しんでいると、人が寄ってくる。
寄ってくる人たちは、
心配な顔をする。
「大丈夫?」
「無理しないで。」
「何かあったら言って。」
優しい言葉のはずだった。
なのに私は、
その手が伸びてくるたびに、
皮膚が冷たくなった。
違う、これじゃない。
その手じゃない。
私が欲しかったものと、
差し出されたもの。
例えるなら、形が合っていなかった。
鍵穴と鍵が違う。
優しさは確かにそこにあって、
確かに私に向けられていて、
確かに私には合わなかった。
その違いを、
その人たちは気がつかない。
気づかないまま、
また手を伸ばしてくる。
違った鍵を。
だから私は、
悲しんでいる姿を消すことにした。
悲しみは消えていない。
悲しみは今もある。
消したのは、
それが外に漏れる外側。
漏れなければ、誰も気がつかない。
気がつかなければ、間違った鍵が差し込まれることもない。
蓋をした。
鍵穴ごと。
塗りつぶした。
これは、正しかったか。
あの頃の私に同じ場面をもう一度見せても、私はたぶん、同じことをする。
あの手の優しさに、
違った鍵を差し込ませてしまうくらいなら、最初から無いことにしたほうがいい。
判断として、間違ってはいない。
今でも、間違っていたとは思わない。
ただ、ひとつだけ。
鍵穴を塗りつぶしたとき。
その内側に、
まだ誰かに見つけてほしかった
私が立っていた。
蓋をする瞬間、
その姿が一瞬だけ見えて、
それから見えなくなった。
合っていなかったんじゃないかもしれない。無かったんだ。
私の鍵穴に合う鍵を持った人が、
あの頃
あの場所には、いなかった。
だから私は、自分で塗りつぶした。
持っていない人たちに、
「持っているふり」を、
させないために。
そう自分に言い聞かせ続けて、
私は今日もこれからも、
八割の平常に二割の退屈を混ぜている。
もう考えなくても
自然とできる。
できるのに、
これを書いた手は
書いて良かったのか
まだ葛藤している。
これを投稿した日は、
大きな選択をした日となる。
悲しみを漏らせたから。
私の投稿から、
素敵な投稿をしてくださった
Hikariさん。
ありがとうございます。
