涙を流しながら、笑っていた
目の手術を控えていた頃、
調子がよくない時期があった。
それでも、撮影の予定は入っていた。
卒業アルバムの、
個人写真だった。
一人ずつ椅子に座って、
カメラの前に向き合う。
場の空気を少し上げて、
表情を引き出していく仕事だ。
その日、目の調子がよくなかった。
涙が、少し流れていた。
それでも、シャッターは止まらない。
「好きな遊び、なに?」
そう聞きながら、
自分の顔も笑っていた。
涙を流しながら、
笑っている大人。
冷静に考えれば、
少し怖い絵だったと思う。
子どもたちがそれに気づいていたのか、
気づいていなかったのか。
正直、分からない。
ただそのときの自分には、
使命感しかなかった。
これをやらなければ、
という気持ちだけがあった。
体の状態と顔の表情が、
別のところで動いていた。
考えてみれば、
それは特別なことではないのかもしれない。
結婚式場のスタッフを見ていると、
いつも思う。
どんな新郎新婦の前でも、
どんな時間帯でも、
同じ質の笑顔がそこにある。
コーヒーを買いに行くときも、
似たような顔に出会う。
朝でも、夕方でも、
忙しい時間でも、
レジの向こうには、
ちゃんとこちらを迎える笑顔がある。
あれは、
生まれつきの表情ではない。
その場に立つために、
身につけてきた笑顔なのだと思う。
どの仕事にも、
同じような笑顔があるのだと思う。
この文章を書こうと思ったきっかけは、
空風マナミさんの記事だった。
幼い頃、
悲しんでいることを
誰にも気づかれない方法を、
早くに身につけたという話だった。
泣きそうになったら、息を止める。
顔は少し、笑っておく。
完全な無表情は、
逆に勘づかれてしまうから。
その一文を読んで、
あの日の自分を思い出した。
涙を流しながら、
笑っていた自分を。
あれもきっと、
同じ技術だったのだと思う。
悲しみを隠すためではなく、
仕事を全うするためだったけれど、
顔と、
その内側にあるものを
切り離して扱うという点では、
同じことをしていた。
写真の現場でも、
それに近い場面がある。
小さな子どもは、
声をかけると表情が戻ってくる。
でも高校生くらいになると、
少し違う。
カメラの前に座った瞬間、
すでに表情が決まっていることがある。
少し角度をつけた顔。
目の開き方。
口元の作り方。
どこかで見たことのある表情に、
似ていると感じることもある。
スマホの中には、
かわいい顔や、
きれいに見える表情が、
いくらでも流れている。
それを何度も見て、
何度も試して、
これがいい、
と思う顔を持って、
カメラの前に座っている。
私には、
もっと違う表情の方がいいように
見えることもある。
でも、
私がいいと思う表情と、
その子がいいと思う表情は、
同じではない。
作られた表情は、
偽物ではない。
その人が、
その場にいるために、
少しずつ身につけてきたものなのだと思う。
涙を流しながら、
笑っていたあの日の自分も。
同じ質の笑顔を保ち続ける、
式場のスタッフも。
レジの向こうで、
同じ笑顔で迎えてくれる人も。
悲しみが漏れる場所を、
自分でふさいだという、
マナミさんの技術も。
どれも、
本物ではないから価値が低い、
というものではない。
むしろ、
そこまでして差し出そうとしたものだから、
確かな重みがある。
作り笑顔は、嘘ではない。
それは、
その人が誰かのために、
自分を差し出した跡なのだと思う。
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