「美味しそう」ってどういうこと?
テレビでグルメ番組を見ていた。
レポーターが「美味しい〜」なんて言いながら、ボクが食べたことのない料理を食べるわけだ。
それを見てウチの奥さんは「美味しそう〜」なんていうのだが、ボクにはその感覚がわからない。
だって、その料理を食べたことはないんだぜ。
なぜ「美味しそう」なのか、ボクにはわからない。
「美味しい」という感覚は五感が生み出すものだ。
メインとなるのは味覚と食感、そして嗅覚(香りも重要だ)、それに視覚と聴覚が加わることによって人は「美味しい」という感覚を得る。けれど、テレビから伝わるのは視覚と(レポーターが自分の言葉に変換した)聴覚による情報しかない。
「美味しい」は自分の五感で感じる事実(錯覚かもね)であって、「美味しそう」は単なる期待感だ。
それは、以前の記事で書いた「信用」と「信頼」の違いに似ている。
「信用」とは、過去の実績や事実に基づく客観的な評価であり、相手の能力や言動に対して「この人はまた同じようなことをしてくれるだろう」という期待を持つことです。
一方、「信頼」とは、相手の人柄や意思、考え方といった未来の行動に期待を寄せ、主観的かつ無条件に相手を信じ、任せる感情です。
信用は過去の実績に、信頼は未来への期待に重きを置き、信用が積み重なることで信頼へと発展します。
ボクはいきなり他人を信頼しないタイプだ。
だからボクはその人の経験を重要視する。自己分析すると、相手の過去の(そして現在の)経験を聞き出し、そこから期待値(=信用力)を算出し、その信用力が積みあがって一定レベルに達してはじめてその人を信頼をする…というような感覚で生きているように思う。
だから、ボクは自分の子供に過度な期待をしない。会社の新人の子たちも同様だ。なぜなら彼らは多くの経験値を持っていないからだ。そういった人たちは少しずつ経験を積んで信用力を上げていけばいい。いずれどこかでその信用力が信頼に変換されるタイミングが来ると思っている。
…考えてみると、
いきなり他人を信頼(=期待)しないボクは、何かにワクワクするようなことがないかもしれない。
当然「良いことが起きそうな予感」も感じることはないが、逆にいうと「悪いことがおきそうな予感」もあまり感じたことがない。
それが良いことなのか悪いことなのかは自分でもわからない。
