美意識
美意識とは何だろう
ボクはよく「美しい」か「美しくない」かを判断基準にする。
だけどよく考えてみると、ボク自身が何をもって「美しい」とか「美しくない」と判断しているのか曖昧だ。言語化されていない。
言語化されていないのは「美しくない」…とボクは思う。
だから、ボクは「美意識」について考えた。
ボクは今年の2月に「NAKED meets ガウディ展」を観に行ったが、ガウディの設計した建築物は美しい。多くの人がそう感じるだろう。
しかし、ボクが美しいと感じるのは建築や絵画だけではない。本や組織、人の考え方に対しても「美しい」と感じることがある。
その共通点はなんだろうと考えてみると、ひとつの答えを導き出すことができそうな気がする。
それは「構造」だ。
リバースエンジニアリング
リバースエンジニアリングという解析プロセスがある。
それは、既存の製品を分解または解析し、その仕組みや仕様、構成部品、技術や設計などを明らかにすることだ。
ボクはモノを見ると、無意識下で小さなリバースエンジニアリングをやっているように思う。もちろん専門外のモノに関しては、リバースエンジニアリングを進めることは不可能だ。
だけど、背景や思想を推し量ることはできる。
そのために本を読んでいると言ってもよさそうだ。
では、そのモノの背景や思想とはなんだろう。
それは「制約条件」のような気がする。
制約条件とは
まず、自然法則には逆らえない。
ガウディの建築で言えば重力だ。もっと言うなら、ガウディが信じていた神の存在も自然法則に入るかもしれない。
そこに外的要因が加わる。
その時代ごとの技術、法律、モラル、市場環境、マジョリティの人たちの行動特性などだ。
さらに、そこに内的要因が加わる。
これまでの経験、現在置かれている環境やポジション、それにその人それぞれの考え方の特性(受容型・抵抗型・展開型・停止型)だ。
人はこのような制約条件に縛られた上で、選択をする。
ハムレットのセリフじゃないが「人生は選択の連続」だ。
ハムレットの場合は、どちらか一方を選び、もう一方を捨てるという選択だった。だけど、ボクは「何かと何かを結び付ける」ときの最善パターンを選ぶことだと考えたい。
その選択基準が… いや、基準値を設定することはできないので、どちらかというと「評価関数」が一定であることが、その人らしさを表すのだろう。
その評価関数に一貫性を持たせることが重要だ。
設計図は思考の履歴である
そうなると、自然法則下で制約条件をクリアしたいくつかの選択肢から、最善と思う(1対1を結びつける)選択を繰り返すと、なんだか見たこともないパーツが出来上がっていくだろう。
そのパーツ単体はあまり意味を持たない。
だけどそれらをいろいろと組み合わせてみていると、急に新しい世界が見えるタイミングがくる。アハ体験だ。
それが「構造化」だと思う。
そして、その構造が美しいかどうかは、その人の信じる自然法則とその人を縛る制約条件の中で、その人が一貫した評価関数で選択を繰り返しているかどうかなんだと思う。
だから、その人の「美意識」とは、もちろんアウトプットに表れることが多いのだが、必ずしもそのアウトプットが完成品になるとは限らない。完成品(例えば建築物やエンジニアリングなど)としてアウトプットできるかどうかは、また別のフェーズの制約条件下に置かれるからだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿
だから、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿には、飛行機械、橋、人体、建築など、数え切れない設計図が残っている。きっと彼の時代には実現し得なかった技術だったからだろう。
その手稿に記された設計図の多くは実際に形になることはなかったけれど、そこにはレオナルド・ダ・ヴィンチという人間が、何を前提とし、どんな制約の中で、どのような意思決定を積み重ねたのかが、そのまま残されている。
美しい。
ボクはそう思う。
ただ、ガウディのように構造物が後世まで残ることは稀だ。
そうなると、ボクらがまずやるべきことは、自分の美意識を設計図に落とし込むことなのだろう。
