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⑤宇沢先生のことば『TPPは「社会的共通資本」を破壊する』:社会の非常口は、暮らしの中にある── 宇沢弘文と社会的共通資本の未来


以下の文章はyoutubeにある『ビデオニュース・ドットコム』さんの『宇沢弘文氏:TPPは「社会的共通資本」を破壊する』という番組の、
Part1とPart2を書き起こしています。

  TPPは「社会的共通資本」を破壊する

TPPというのは環太平洋地域全域において、自由貿易の原則を徹底的に貫いて、すべての財、金融サービスも含めて、その上公共事業、労働力、すべてを自由化。

この自由化は関税障壁、その他を撤廃して、本当に自由に国際間の取引、移動するものであるという原則を、極限まで貫こうとする訳です。

そうした時に特に、アメリカとベトナムが同じTPPの交渉に参加する、と意思表示をしたわけですね。

その時、いわゆる自由貿易の原則が、極端な形で、異常にアンフェアな性格が出ていると思ったんですね。

例えばどういう事かというと、アメリカとベトナム、特に農業について比較してみますと、つまりアメリカとベトナムが同じ土俵に上がって、同じルールで競争しようということなんですね。

で、アメリカはベトナム戦争を通じて、第二次世界大戦全部を通じて世界に投下された爆薬量の、実に3倍を超える量をアメリカはベトナムに投下したんですね。

そして、特にダイオキシンを使って森林を破壊すると。

ひと頃、ベトナムの全森林の17%がダイオキシンに汚染されて、竹以外の植物は育たないという時期、その時にベトナムの政府はですね、竹がダイオキシンを吸収するということを使って、はげ山になった17%くらいの森林を緑を回復しようとしたんですけれど、そのダイオキシンを吸収して死んでしまった竹をどのように処理するかと、処理場がなくて断念せざるを得なかったというような。

今でも毎年奇形を伴った赤ん坊がたくさん生まれています。
そういう、おそらく人類の歴史で、広島長崎に匹敵するような残忍な、凶暴な行為をしたアメリカとですね、その犠牲になったベトナム。

一方でアメリカはイギリスの植民地時代から先住民族の自然、文化、社会、すべてを壊して、そして命を壊してきたわけですね。

そして先住民族から強奪した土地を使って、しかも、アメリカは水が少ない土地なので、西部が主に中心ですけど、氷河時代に蓄積した膨大な量の地下水を、ほとんど極限まで使っていると。

しかもアメリカの社会的構造、輸送手段、経済的な生産構造もですね、極端に二酸化炭素排出型なんですね。
で、今進行中の地球温暖化というのは、人類がこれまで経験した最悪の危機です。
その一番大きな原因を作ってきたのが、アメリカなんですね。

そのアメリカとベトナムが、同じルールで競争する意味はほとんど無いんですね。むしろ害毒の方が大きいと。

自由貿易の原則はというと、結局全ての国が貿易に対する障壁を撤廃して、全て自由に取引できるような経済をつくればいいという、新古典派(新自由主義政策の元となる理論)の一つの基本的な考え方。

しかしこの命題が成立する為にはまず、社会的共通資本の存在を全く否定して、そして、いくつかの非現実的な前提条件を仮定しないといけないんですね。

例えば、生産期間はゼロだと。
インプットを投下すると直ちに、簡単に言ってしまうと今まで稲作を田んぼでしていた。ところが、米が安くなった、一晩で自動車工場に変えて、その為に全くコストがかからない、コストがかからないというのは資本投下する費用だけで。

今でも百姓が自動車工場で働くと、逆の場合もまた(聞き取れず)にできると。それも全く時間がかからないでできると、そういったようなですね。

それから人間の経済的行為は外部性を持たないと、つまり人間の行為はお互いに共感、お互いに影響を与えながら、それが一番自由主義の中心なわけですね。

ところが全ての経済行為は全く外部性を持たないと言ったような、全く非現実的な、しかも反社会的なですね、前提条件を置かなければ、成立しない命題ですね。

ですから、ジョン・ロビンソンをいう、20世紀の最も偉大な経済学者の一人(自由貿易政策が本質的に帝国主義的性格を持っていたことを明らかにしたケインズ派の経済学者)ですけれど、自由貿易の論理を批判して、しかしこの命題がですね、時としては、また支配的な考え方になっていくということが、続いてきたんですね。

ですからジョン・ロビンソンは、この自由貿易の命題は、支配的な帝国にとって好都合な命題であるから。

じつは菅首相は「平成の開国」呼んでいる、それを「第3の開国」と言っています。

彼のいう第1の開国は安政の開国なんだよね、安政の開国とはなんであったかということをちょっと振り返ってみたいと思います。

安政の時代というのは「パクスブリタニカ」全盛の時代です。

パクスブリタニカというのは19世紀初頭に始まってイギリスの力によるイギリスのための平和が世界を支配していた時ですね。

パクスブリタニカは2つ条件が置かれています。

イギリスは世界一の海軍力を持っている(戦艦その他の)世界1であるだけでなく、第2と第3の海軍力を持った国を足したものよりも強力であると。

というようなものをパクスブリタニカの1番重要な条件に掲げてですね、世界中に海賊的資本主義が海軍力を使って、世界中の国を植民地化あるいは自主的に植民地化すると。

アフリカに始まって、中近東、インド、そして中国、に行くわけですね、それが最後に日本の開国を迫った、それが安政の開国なんですよね。

ですから当時、幕末の尊王攘夷の動きが非常に大きい時代だったんですね。

そこでイギリスはまずアメリカを使ってですね、アメリカが日本にまず開国を迫ると、それが1858年。

大老井伊直弼が、締結した日米修好通商条約と【修好】というのは古い言葉なんですが、その意味は国と国の間の関係を治めると、仲良くするという意味を持っているんですね。

ところが安政の日米修好通商条約はですね、中身は3つの条項をもっていたんですね。

第1は:アメリカ人が日本人に危害を加えた、殺したりした、その時はアメリカの領事が裁判権を持っている。そしてアメリカの国法に従って、処分すると、日本政府は一切口を出せないというのが第1です。

第2は:関税はアメリカが決めると、日本の関税を日本政府はそれに何も関与できないと。

第3は;日本いるアメリカ人、あるいはアメリカの商社に最恵国の待遇を与えると、もちろん日本の人や商社やアメリカに行っても、そういう待遇は全く与えられません。

この3つがですね、実は中心になった。そして、この条約に対して、尊王攘夷の運動に拍車がかけられる訳ですね。

そして、結局最終的にはオランダ、イギリス、フランス、ロシアの間で結ぶことになるわけですね。

ところが明治維新になっても、この井伊直弼が締結した不平等条約がそのまま残るわけです。その頃からこの不平等条約によって、日本経済、社会が壊滅的な打撃を受ける訳ですね。

特に被害が大きかったのは農村です。国民の総意として、不平等条約改正という動きが起こっていく訳ですけど、完全自主権を回復したのは1911年第1次世界大戦が終結するまで、不可能だった訳ですね。

で、その間にですね、日本の国民の多くにですね、非常に強烈な被害者意識が心に残って、そして凶悪な軍国主義の台頭を許して、そしてアジアの隣国、国々を侵略していくと。

最終的には、アメリカと戦争に踏み込むわけですね。そして悲惨な敗北をなめるという結果になるわけですね。

ですから私は、不平等条約に象徴される安政の開国が結局、日本の戦争の悲惨な結末を生み出したと。

ところが菅首相は、敗北を【第2の開国】と叫んでいる、ということには非常に強い違和感を持たざるを得ません。

あの【昭和の開国】と彼が呼んでいる日本の敗北ですね、それは何であったかというとですね、日本の1945年8月、日本軍の無条件降伏に始まってですね、マッカーサーによる日本占拠、7年間続いたわけですけれど、このマッカーサーによる日本占領はですね、まず第1に国家官僚を徹底的に脅し、公職追放、石橋湛山まで追放されるわけですね、それで異議申し立てが一切通らないと、つまり、マッカーサーの占領政策に批判的な官僚、政治家を徹底的に脅したわけですね。

そうして、日本の国家官僚の多くを、パクスアメリカーナの忠実なしもべとすることに成功したんですね。

それと同時に、沖縄に基地を恒久化し、日本を占領後もアメリカの支配下に置くためにですね、アメリカ政府はですね、CIAを使ってですね。こういう戦術を打ち出しました。

それは『アメリカの利益、アメリカの立場を忠実に守る日本人政治家を選んで、将来の日本の政治的指導者とする。育て上げる。』という政策を打ち上げて、ありとあらゆる手段を使って、その試みを実行に移したんですね。

この時にアメリカ政府が選んだのは、当時A級戦犯として巣鴨に収監されていた岸信介、彼は1948年12月23日に東条以下7名の絞首刑が執行されました。

その次の日に巣鴨刑務所から岸信介を釈放して、同時にですね、昭和の極悪人と言われる、児玉誉士夫も二人一緒に釈放するんですね。

岸信介はですね、その足で弟の当時官房長官をしていました、のところにいく訳です、佐藤官房長官はですね用意していた背広に囚人服を着替えさせて、その時に岸信介がこういうことを言ったことがCIAの記録に残されています、それは「これで我々はみんな民主主義者だ。」と。

そしてありとあらゆる手段を使って、岸信介を政権政党の指導者にそして、総理大臣にまで育て上げたんですね。
で、岸信介はアメリカに忠誠を誓って、日本をアメリカの植民地化するために、狂奔したわけですね。

で、その岸信介のアメリカに対する忠誠の1番の最たるものが、日米相互協力及び安全保障条約と、1960年の締結だったんですね。

しかしその締結が非常に混乱の結果ダメに、岸信介は事実上総理大臣を解任されて、で、そのあと実質的な指導者になったのは、賀屋興宣という人が、彼は東条内閣の大蔵大臣してました。

そして、敗戦後、A級戦犯として巣鴨刑務所に収監されて、そして終身刑の刑を受ける判決を、それを、救い出して、そして岸の一番忠実な補佐官にしたわけですね。

その次、賀屋興宣が果たした一番重要な役割はですね、1968年の事です、当時ですねアメリカ軍は沖縄の基地を中心に日本の基地をフルに使ってですね、ベトナム戦争の中継基地そして膨大な量に上る核兵器の貯蔵地として使っていました。

さらに野戦病院、あるいは死体処理施設。

それに対してですね、世界中の国が非常に厳しい反米闘争が展開されました。

特に大学生たちが中心になって、アメリカの野蛮極まりない、残酷極まりない侵略に対してですね、世界中の人たちが厳しい反米闘争を展開したわけですね。

日本の場合もその例外でなかった訳ですね。日本中の大学で反体制、反米を掲げて学生たちが中心になって戦いました。私は日本の大学の歴史で最も崇高な高貴な心が発揮された時だったと思います。

ところが、賀屋興宣を中心に指導として、警察だけでなく暴力団まで組織的にオーガナイズして学生たちを徹底的に弾圧しました。

その結果、日本の多くの大学はまさに灰じんしてですね、それからもう40年近く経っています。しかし、日本の大学は世界の大学で一番魅力のない大学になってしまいました。そのことを考えると、私は非常に心が痛みます。

ちょうど安政の開国というのはパックスブリタニカが頂点にいた、その時にですね、日本をターゲットにして、列強が力を合わせて日本開国に迫ったというのが第1回の開国。

第2回は先ほど言いましたように日本の敗戦。もう悲惨な時にアメリカの完全なしもべになる策をとったわけですね。

で、第3の開国は今度の(TPP)ということを一国の総理がですね、そういう発言をするということはね、信じられないと思うんです。

元々昨年の(2009年の3党連立のことか?)政権交代これはですね、歴代の自民党政権が完全にアメリカの奴隷になって、日本の利益を壊していると、人々の幸福を奪っているということに対する国民の非常に強い反発があって、そして歴史的な政権交代が起こったわけですね。ところが、大多数の国民の期待、夢を無残に打ち砕いて鳩山政権、それに続いて菅政権、そんなことが許されるということに私は本当に憤りを感じます。

ベトナム戦争を振り返ってみるとね、その根底にはね、市場原理主義っていうんでしょうか、市場原理主義というのは儲けるために全ての制度、法律を変えてね、できるだけ儲けの機会を大きくする、それが人生最高の目的であるという、フリードマン式(ミルトン・フリードマン:新自由主義を作った20世紀を代表するアメリカの経済学者)のね、考え方、非常に極端な形で出ているんですね。

実はベトナム戦争の時にですね、マクナマラ国防長官がですね、エントホーベン(アラン・エントホーベン)という非常に若い新古典派を象徴する経済学者をですね、国防次官に任命して、そしてベトナム戦争実行の実質的な責任者にしました。

その時にエントホーベンはKill Ratio(殺傷比率)概念を使いました。Kill Ratio(殺傷比率)とはベトコン(南ベトナム解放民族戦線)一人殺すのに何万ドルかかるかという、そしてできるだけ安くベトコンを殺すということをですね、数理経済学の手法を使って計算するわけですね。それはですね、限られた戦争予算を使って最も数多いベトコンを殺すということを公的な目標に掲げたんだよね。

それをNYタイムスの記者がすっぱ抜いて、そして全世界から囂々たる非難。

そしてマクナマラ国防長官はですね、おそらくノイローゼになったんでしょうね。

カナダで公演している時にですね「今度の戦争はアメリカの歴史にとって最悪の最低の戦争だ。アメリカ社会の崩壊を、倫理的な崩壊を象徴するものだ。」と、言ったような演説をして、ジョンソン大統領に実質的に解雇されるという。

で、ジョンソン大統領もですね、その後、再選を断念して、ベトナム和平の道が開けることになったという。そのエントフォーベンは、私はむしろ功労者だと言ってるんです。彼がフリードマン式の効率的に人を殺すという考え方を徹底してやった人なんですね。

ちなみにエントホーベンはその後サッチャー(マーガレット・サッチャー元英国首相)に見いだされて、イギリスのナショナルヘルスサービス(イギリス版国民健康保険制度)の崩壊を決定的にした人です。

つまりその時に彼は実質的には名前は使いませんでしたがDeath Ratio(死亡率)一人の人間が死に至るまでの医療費をできるだけ安く上げようとする。ですからエントホーベンのアドバイスを受けてサッチャーはですね、例えば60歳以上の老人に人工透析をすることを禁止するという通達まで出したんです。それがナショナルヘルスサービスの実質的な崩壊をもたらしたんですね。

実はKill Ratio(殺傷比率)というのを考え出したのは、マクナマラ国防長官自身だったんですね。彼は第2次世界大戦で陸軍にいて、日本爆撃攻略の研究をしていたんですね。その時に彼が考えたのがKill Ratio(殺傷比率)。

限られた空軍力を使ってできるだけ多くの日本人を殺すためには、できるだけ多くの家を爆撃で焼くと計画を立てて、それが最初に実行されたのが1945年3月10日の東京大空襲だったんだね。

それは下町に限定して、東京の、そして数100機のB29を投下して、できるだけ狭いところに集中的に焼夷弾をして、できるだけ多くの家を焼いて日本人を殺す。一晩で10万人を超える人たちが殺され死ぬ。そしてケガ人は同じような数、そして20万件の20万戸の家が焼けて、そしてそれまでの戦争の歴史で、一晩で最大の人間の被害をもたらした。町を壊してしまったんですね。

で、その極限が広島、長崎の原子爆弾の投下なんですね。

マクナマラはですね、ちゃんと計算して、それと同じ精神、心が、TPPを流れているんですね。

市場原理主義はミルトン・フリードマンが積極的に唱えていました。

シカゴ大学のある一時期は、フリードマンがのびのびとした時代があるんですね。僕が居た頃は、フリードマン以外の経済学者はスタッフとして取らないという。他の大学もそうでね、サミュエルソン(ポール・アンソニー・サミュエルソン:経済学者)なんかはね、シカゴ大学の博士号を取ると、彼らはフリードマナイトといって。

フリードマンを一番忠実に受け継いだある経済学者がいました。で、彼が非常にシンボリカルに市場原理主義をね、象徴しているんですけれど。

彼はある時、皆で食事をしていた。Bと言っておきましょう。B教授がこういう話をしたんです。1週間前、家へ帰ってみたら、奥さんが13階の屋上から飛び降りて自殺をしていたと。2月の事です。寒い、まだ雪の上に横たわっていたと。まだ温かかったということを皆に話して、そして今度自分は【自殺の経済学】をやりたいと。

彼の理論、それはフリードマンの理論でもあるんですけれど、彼の奥さんがですね、彼と一緒に生活する時の苦しみ、痛みと、自殺する時の痛みを比較して、自殺した痛みが小さいから自殺を選んだと。合理的に選んだと。さすがのフリードマンもその時はしんとしてましたけどね。

彼はね、その他にね【教育の経済学】という、それはこういうことなんですね。ある若者がね、大学に行くかどうかというのを決めるのに、大学に行ったときに生涯所得がどれだけ増えるかという事と、大学に行くときのコストを比較して、儲かるなら大学に行くと、コストが多ければ行かないと、これが有名な【教育の経済学】。

彼はね【犯罪の経済学】というのも作りました。それはですね、人を殺すときの楽しみと、捕まって処刑されるときの痛みをですね、確率論的に比較して、そして楽しみが多ければ殺す、痛みが多ければ殺さない、これが【犯罪の経済学】。

この考え方がですね、市場原理主義の根幹を貫いている。TPPの根幹にも、その考え方があるんですね。こういう考え方を、フリードマンが積極的に推し進めていくと。それで比較してね、例えば金融工学とは基本的にそれなんだよね。なので非常に綿密に計算して、確率を。

(自由貿易の外部性の話から)

外部性というのはね、例えばある人が、楽しい生活を送っている、それは周りの人たちにもシェアできるんだよね。あるいは、子供が亡くなって、苦しむ、悲しむと、その感じは、みんなでシェアできるんですね。それがアダム・スミスの人間社会学の基本的な原理なんですね。で、それは無いと否定する。仮定するんですよ。人間はひとりひとり独立していると。で、その考え方を徹底して主張したのがサッチャーです。

サッチャーはですね、個人しかないと、家族もないということを主張として発言したこともある程なんですね。で、徹底的に効率性を追求して、そしてエントホーベンを読んで、あの素晴らしいナショナルサービスを結局崩壊させてしまったんですね。で、政権が代わってね、ブレア政権、労働政権になって、ブレアさんはね、ナショナルヘルスサービスの再建を試みたんですね。

非常に難しい。最初5年間に国民医療費を50%増やして、なんとか再建しようとした。それはとてもできない。その後ですね、10年間に国民医療費を2倍にして、医師の数を50%増やすということをですね、今、進行中です。

しかし、かつてのナショナルサービスの素晴らしい制度がですね、復活するのは非常に難しいだろうと言われています。

日本も小泉政権の5年半の間にですね、かつての日本の世界に誇るべき国民皆保険制度の基礎がですね、完全に壊されました。その時にですね、経済財政諮問会議という制度を使ってですね、そして経済学者を二人中心になってですね、徹底してですね、医療費抑制の政策を展開しました。その時にですね、担当大臣として予算の一番中心的な役割(経済財政担当大臣)を果たしたのが、ちょっと信じられないですよね、

(質問者が竹中平蔵の名前を出すと)違います、竹中はですね、私は学者とは言わないんです。学者は本間正明(大阪大学)吉川洋(東京大学)二人です。まあちょっと名前はあんまり言いたくない。

で、その時にですね、ある一人の大臣がちょっと違ったコンテクストですけれど、女性は子供を産む機械だと、発言して(柳沢伯夫:元日本厚生大臣)大臣辞めざるを得なくなりましたね。その二人をね、政権交代を実現するために力を尽くした同志ともいうべき人たちをですね、次から次と裏切って、マニフェストもですね、ごみ箱に捨て去って、菅政権はですね、妥協に妥協を重ねてですね、菅さん自身の政治的延命を図っていると。
で、その一つがですね、TPPなんですね。

それはアメリカの手下になれば、しもべになればですね、救いがあるという気持ちからなんでしょうね。TPPに積極的に協力していると、このこと程ね、悲しいっていうか、怒り、もう我慢できないほど、激しい怒りを感じます。こういう総理を許していていいんでしょうか?

日本の農業政策がおかしかったのはね、まず第一にね、農業を営むと産業として営むということに焦点が置かれて、それをまた、一軒一軒の農家がね、経済主体として農の営みを続けていくという前提に立っていた訳ですね。農の営みというのはね、自然の摂理に従って、自然環境の中で、自然を壊さないように、そして自然の摂理をうまく利用して、人間が生きていくために必要な食糧を生産したり。或いは、衣類とか住居の原材料を作って、そして人間的な生活が営めるようにすると。その時にね、単位となるのは農村なんですね。コモンズとしての農村。特に日本、東アジアは水田農業を中心としている場合にはですね、一戸一戸の農家ではやっていけないんですね。全体のコモンズとしての、農の営みということが大事なんです。伝統的な、歴史的にもですね、農業或いは農の営みと必ず村落を単位として行われてきたんですね。ところが戦後日本、農村を一つの経済主体と考えて、そして企業と同じように市場的競争をするという原理を貫くんですね。しかもですね、農村で考えるとき一番大事なのは、農村で生まれて育った子供たち、それが将来、農村で働くとしても、あるいは社会に出る、いろんな役割を果たすわけですよね。そういう子供たちをですね、大量に拉致して、都会に連れていく、そして市場原理主義的な世界にね、ぶち込んだわけですね。これは世界で日本ほど大々的にこの残忍なことをした国はないんですね。どの国でも農村というのはね、或いは農の営みというのはね、単に食糧というだけではなくね、それに携わる人たちの人間的な生きざま、そして自然との関わり、それが一つの国のね、あるいは社会のね一番大切なものであるという考え方を否定したんですね。

で、それが私一番大きなね。今、日本の農村の再生をね、考えると。その為にはですね、社会的共通資本としての農村という認識をはっきり持って、そして単に農業の生産基盤だけでなくて、農村に住んで、色んな仕事をして生きていくということが可能になり、またそれによってですね、豊かな、文化的な、そして、人間的な生活を営むことができるようなね、条件を作ると。その為にね、実は様々な形の関税政策が、体系が必要なんですね。関税というのはね、それぞれの国が、社会的安定と、それから持続的な経済発展を求めて、そして独自の立場から、関税体系を考えていく訳です。

どの国もそうです。それを全く根拠もない自由貿易の命題を使ってね、関税障壁を撤廃することが、なんかこう、素晴らしい世界を生み出すというようなね、虚構にとらわれている。それはね、ジョン・ロビンソンも言ったように、支配的な帝国にとって、都合のいい考え方であるということは、私、繰り返し強調したいと思うんですね。で、そのコモンズという考え方をね、社会的共通資本という自然環境とか道とか、交通、ガス、水道、それともう一つですね、教育とか医療とか、或いは金融制度もそうです。地方行政といった、社会が円滑にね、全ての人が人間らしく、生活、生きていくことができるような、制度資本をね、含めて考えたいとね。で、そういう社会的共通資本をね、大事にして、特に自然環境をね、長い歴史を通じてね、大事に守って、子供たちの世代に、次の世代に残してきた、大変貴重な財産なんですね。それともう一つね、強調したいのはね、平和ってことなんですよね。

私、実は社会的共通資本のね、考えを展開するに、ヨハネ・パウロ二世(264代ローマ教皇)との交わりというか、非常に決定的な影響を私に与えてくれたんですね。

ヨハネ・パウロ二世はね、ポーランドの方で、ローマ法王になってバチカンに行かれるまで、スターリンの社会主義の過酷な支配下にあって、ポーランドの人たちの心を、魂を守るために、力を尽くされて、そしてバチカンへ、ローマ法廷へ行かれたんです。

それまでヨハネ・パウロ二世は繰り返し「アメリカが、広島と長崎に原子爆弾を落としたと、これは人類の犯した最大の罪である。」ということを繰り返し強調されていた。

で、最初に日本に行って、広島と長崎を訪れて、アメリカの犯した人類の歴史、ローマ法王の言葉なんですけれど最大、最悪の罪を徹底的に批判して、そしてその上で、アメリカのために神の許しを祈りたいということを仰っていたんですね。

そして、広島長崎に行かれて、そして小石川の後楽園でね、盛大な野外ミサを指揮される。
その時に、流暢な日本語でね「平和こそ、人類に共通の一番大切な財産だ。特に日本の平和憲法は世界の平和を守るために、一番大事な共通の財産である。」社会的共通資本という言葉は使われなかったんですけど、私は長いこと考えていた気持ちを見事に表現されたんですね。

レールム・ノヴァルム(レオ13世が記した、当時の社会問題を扱った初の回勅)という歴史的な文章がるんですけれど、当時のレオ13世(256代ローマ教皇)が出された回勅(ローマ教皇が全世界の司教に発する組織上、信仰上、教義上の問題についての通達)なんですね。

その回勅の副題があってですね、それは【資本主義の弊害と社会主義の幻想】1891年、つまり当時ね、特にイギリス中心とした資本主義、産業革命によって、資本主義的な展開が、それがですね、資本家がね、非常に貪欲にね、全ての富を自分たちが所有して、そして労働者はじめ一般の大衆を徹底的に搾取していると、いうことを厳しい言葉で非難された。

ところが、レオ13世はですね、多くの人たちはですね、社会主義になればそういう問題は解決すると思っていると、それは大間違いで、社会主義になった時には人間の存在自体が危うくなっていくんだということを、厳しく主張されてですね、そして競争的なあるいは資本主義的な、あるいは社会主義的な生き方ではなくて、お互いに全ての人たちが協力して、力を合わせてね、今、人類が直面している大切な、困難な問題を解決していくべきであると。カトリック系の労働組合運動も起こりました。それから、共同組合の運動も非常に大きな力を得ていったんですね。

ところがね、1917年のロシア革命に始まってね、結局一時期は世界の人口の1/3が社会主義の体制下に置かれて、非常に苦しい、悲惨な生活をしていると。
それで1991年です。新しいレールム・ノヴァルム(ヨハネ・パウロ二世による回勅)を出されたんですね。
そのテーマはね【社会主義の弊害と資本主義の幻想】という主題。
その年の8月から8月革命が起こって、共産党が壊滅します。
そしてその年の12月からね、翌年にかけて、ソ連帝国自体の解体という世界的な事件に発展していく訳ですね。

実はヨハネ・パウロ二世が5年前に亡くなられた。そのお葬式にね、ゴルバチョフが異例の長文を送りました。
そして新しいヨーロッパを作った、ヨハネ・パウロ二世の新しいレールム・ノヴァルムの果たした役割が非常に大きなものがあったと、ヨハネ・パウロ二世の功績を称えるという(ゴルバチョフが)非常に異例の事件がありました。

で、社会的共通資本はですね、実は私ヨハネ・パウロ二世のお仕事をずっとしたんですけれど、そういう気持ちをね、経済学の言葉で表現したものなんですね。ですからそういう意味で、市場原理主義の残忍な考え方に対して私はすごい憤りを感じます。

私はですね、農の営みは人間にとって一番基本的なもの。それは一つにはですね、農村で生まれて育って、農村で生きるということは、社会の一番の根幹にあって、そしてその上に工業化とか工業的な活躍とか色々ね。

ただその基礎には、人間が人間らしく生きていくということ。儲けるために生きているんじゃなくて、人間らしく生きて、そして子供たちを育てて、そして人間らしい成長をしていくという事をね、願っていると。

旧制一高(旧制第一高等学校、現東京大学駒場キャンパス)に入った時ね、1945年の4月だったんです。

まもなく8月に敗戦。そして一高は当時、師団司令部(軍隊の主要な作戦単位である「師団」の指揮・管理を行うための中枢機関)が使っていました。占領軍の将校達がね、接収に来ました。

その時校長が安倍能成先生という哲学者が応対に出られてね、こういうことを仰ったんですね
「この一高はリベラルアーツのカレッジである。リベラルアーツというのは専門はとらないで、人類が残してきた遺産、学問であり芸術であり、化学であり、それをひたすら吸収して専門を問わないで、ひたすら吸収して一人ひとりの生徒が、人間的な成長を図ると同時に、その大切なものを、次の世代に伝えると、そういう聖なる営みをしている場所だ。」とSacred Place(聖地)と。

占領という、世俗的なVulgar(俗悪、下品)な目的には使わせないと。占領軍の将校達が、黙って帰っていったという。当時としては非常に珍しい。

それは私、心に残ってね。そういう先祖が残した、大切な自然であり、社会的な制度であり学問であり、芸術であり、そういうものをひたすら吸収して、子供たち世代に残して、人間らしい営みを続けていくことができるような、条件を作ると。

その時に中心的な役割を果たすのが、社会的共通資本。
社会的共通資本の考え方自体は実は安倍先生の言葉に、今から考えると触発されていたと、いう風に思うんですね。

菅直人の言う【最小不幸の原則】ほどナンセンスなものは無いんですね。
それを政策に(聞き取れず)、なんか日本はかなり不幸な状況に置かれているというね、感じがしますね。
端的に言うとね、菅直人がいなくなるとね、不幸の度合いが軽減されるという風に(笑い)。

僕は政治を具体的に、なかなか分からないんで、端的に言って誰がなってもね、ということはあると思うんですよ。ただね、不幸を少しでも小さくするっていう事はね、何とかやっていただきたいという気がしてますね。

(TPPを考える国民会議の代表世話人というのは)躊躇したんですよ、代表とかね、

つまり国民会議という考え方自体にね、ま、過激な発言を控えて、国民は僕の理解している範囲で、何をね、求めているのかという事をね、できるだけ多くの人たちのご意見をね、こう参考にしながら、なんか共通のね、点を見出したいと、という気持ちはあります。
でも、そういってもね、どうも私性格上ね、かなり過激になる(笑い)。

特にね、いいですか?
実は先週、一生を通じて、一番親親しくして、一番尊敬している友人がね、亡くなったんですよ。会の代表になって欲しいという連絡を受けた、実はその日にね、友人が亡くなったという。
その友人が後藤昌次郎というね、その戦後のね、非常に大きな役割を果たした、一高で一緒だったんですよね。

彼はね、弁護士になって、それも、貧しい、虐げられた人たちを救うと、いうことを自分の生きざまにしたいと、そしてね、最初に手掛けたのはね、松川事件だったんですよ。(1949年、国鉄の労働組合を弾圧するために、国鉄と政府が共謀して、組合員が犯罪を犯したと事件にし立て上げたと思われる。反共作戦の1つ)

松川事件はね、占領軍の陰謀なんですよ。国鉄の労働組合を恐れて。17人が有罪、そのうち3人は死刑だったんですよ。
それを第2審でね、彼が中心になって引き受けて、そして20年以上かかってね、全員が無罪を勝ち取ったという伝説的な弁護士なんですね。

お誘いを受けてね、なんとか力を尽くして、TPPがなんであるかと、どういうことを日本にもたらして、それによって日本の将来はどうなるかと、いうことを皆さんと一緒に考えてね、結論を出したいという気持ちなんですね。

【補足として】
TPPには「ラチェット条項」と呼ばれる仕組みがあります。
ラチェットとは、一方向にしか回らない歯車のことです。

この条項では、一度自由化した制度を、あとから再び規制することが難しくなります。
つまり、民営化や規制緩和は進めることができても、それを元に戻すことは容易ではありません。

水道や医療、農業、教育といった、人間の暮らしに深く関わる分野であっても、いったん市場化が進めば、その状態が国際協定によって固定されてしまう可能性があります。
将来、社会の状況が変わり、「やはり公共として守ろう」と民主的に判断したとしても、その自由が制限されてしまうのです。

医療や教育、水、農地、環境といった、人間が人間らしく生きるために欠かせない領域は、本来、市場の論理とは別の場所で守られるべきものです。

こうした理由も含め、
宇沢先生はTPPに強い懸念を示し、反対の立場を取っていたのだと思います。
それは単に貿易協定への反対ではなく、人間の暮らしを支える社会的共通資本を、市場の論理から守ろうとする立場からの批判だったのです。

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