「これでいい」ではなく「これがいい」と言える未来へ
昨日はみなさん、GAGO-276-さんの記事に訪問していただき、ありがとうございました。 あたたかいコメントも、本当にありがとうございます。
二日続けての紹介になってしまいますが、どうしても、自分の言葉で伝えたくなって書きました。
GAGO-276-さんの記事を読んでから、ずっと考えていたことがあります。 考えていたというか、自分の「無知さ」に自分で驚いたんです。
私は軟骨無形成症や低身長症という言葉を、別の言葉で覚えていました。 今はその言葉は使わないそうです。そのことさえも、私は知りませんでした。
私は、街で軟骨無形成症や低身長症の方を何度か見かけた時に、「自分の着たい可愛い服を着て、強く生きているカッコいい人だ」と思ったんです。 私が見かけたその男性は、黒地にスーパーマンがプリントされたTシャツを着ていたのを覚えています。
GAGO-276-さんの記事を読むまで、私は世の中の誰にでも「しまむら」のようなお店があって、そこで自由に好きな服を選んでいるのだと思い込んでいました。
でも、私がカッコいいと思ったあのスーパーマンのTシャツを、その方は気に入って選んだわけではなく、サイズを直してなんとか着られるようにした服だったのかもしれない。
私は勝手に、世の中や社会がなんでもやってくれていると思い込んでいました。 自分はこんなにも何も知らないで生きていたことを、言葉にできないまま時間だけが過ぎていきました。
私はいつも思うのですが、桜は桜として生きているサイクルの中で花を咲かせるのであって、人間にお花見をしてもらうために咲いているわけではありません。 地球だって地球のために回っているのであって、私たちに朝を迎えさせようと思って回っているわけではないのです。
その人がその人らしく生活して、その生活の中でたまたま誰かを喜ばせたり楽しませたりできるなら、それは「副産物」なのだと思います。
それはnoteも同じだと思っています。 その人は普通のことを書いているだけかもしれない。そこに意味を付けたり、感動したり勇気をもらうのは、見る側の都合。
そう思っていたけれど。
『服を作ることで軟骨無形成症を盛り上げたい』 今年はとくにそう思っています。軟骨無形成症の方々が自分自身を生きるために、健常者に混じって街に出る。それが普通のことだと思ってもらえるように…違いますね。 …普通の枠の中に入れてもらわなくてもいいのです。【そういう人もOK】というスタンスでいいのです。そう思ってもらえるだけで生きていく世の中がほんの少し優しいものになります。生きやすい世界になります。
GAGO-276-さんのこの言葉を読んで、「桜は勝手に咲いてくれるわけではない」のだと知りました。 桜を咲かせるのだって、日当たりと風通しと適度な寒さ、肥料もいい土も必要なんだ、と。
自分からは「問題なく普通のこと」として見えている誰かの生活が、本当は誰かの努力によって維持できている生活かもしれない。
過剰に監視しあう多様性ではなく、桜を愛でるように。 その人にとっての生活が、頑張って維持する「特別」なことではなく、みんなが当たり前にしている「普通」にすること。それこそが多様性なのだと思います。
多様性っていい言葉だなと思っていたけれど、多様性が「無関心」になるのは違う。
私は今まで何も知りませんでした。 でも、知った今、noteという発信できる場があるなら伝えたいと思いました。
誰かが「これでいい」ではなく「これがいい」と言える未来のために。 街で颯爽と、自分の一着を着こなす人が増えるために。
今、GAGO-276-さんが現実を動かそうとしている場所を、ここに置いておきます。
