文学最強ヒロイン選手権
ま、全員最強なんですけどね❣️
以下、作品読んでる前提で書いてます!
個別語り
アンナ(『アンナ・カレーニナ』)
知性や優雅さや、美貌のほかに彼女には誠実さがあった。彼女は自分の立場のつらさも彼にかくそうとはしなかった。そのことを告げてアンナは溜め息をついたが、急にきびしい表情をおびたその顔はまるで化石でもしたかのようになった。そういう表情を顔にうかべた彼女は前よりも一そう美しかった。
最高のヒロイン。ほんとに大好き。引用はレーヴィンが訪ねてきた時のシーンで、文中の「彼」はレーヴィン。この時のレーヴィンのアンナへの印象は読者が抱いてる印象でもあると信じてるからな。自分と周りの人に誠実なアンナ。不倫は不誠実だろ!というツッコミもあると思うけど、うわべを繕って夫や世間の目を誤魔化していく選択をしなかったという点は誠実と言えると思う。(ただ、夫の体面を汚して自分だけ楽になろうとしたという非難もできるはできる……泣)
良人が彼女を残していってしまったあと、アンナは、これでほっとした、今度こそなにもかもがはっきりする、少なくとも、うそや欺瞞はなくなるのだ、と自分に言いきかせたものだった。
これ、中巻の最初の方。ウソはなくなったにせよここから丸2巻かけて加速度的にしんどくなっていくなんて……。自分もウソがつけない性質なので共感があるのかもしれない。精神病的な症状に対してモルヒネしか対処法がないのもキツいよなあ。
アンナにしても別に名案がうかぶわけでもなかった、が、心は兄嫁の一語々々に、その顔の表情の一つ一つにじかに答えていた。
私も人に難しい相談(作中では兄の浮気性を兄嫁に打ち明けられている)されたらこうしたいね。忠告や宗教の教えをくどくど言う必要はないのだ。この兄嫁はウロンスキイと暮らすアンナを訪ねた時、アンナから自分の立場をどう思っているかと聞かれ、「人を愛するっていうのは、そのひとのすべてをありのままに愛することで、自分の望み通りになってもらうことじゃありませんもの(下巻p124)」と言っている。
この作品については言いたいこといっぱいあるのでまた適当なタイミングで書きます。
カテリーナ(『カラマーゾフの兄弟』)
「いいえ、あの女の前で自分を罰するなんて、あたくしにはできないわ!『あたくしを赦して』と言ったのは、とことんまで自分を罰したかったならなのよ。でも、赦してくれなかった……あの女のああいうところが好きなの!」
好きだーーー。この謎のプライドたまらんね。この女がドミートリイ有罪判決の決め手だろという話ではあるけどとにかく好きなんだ〜〜。自分にも他人にも烈しい女、好きすぎる‼️
ああ、ことによるとその発作的な愛は、真の愛情に育ったかもしれないし、おそらくカーチャとてそれ以外の何も望んでいなかったのだろうが、ミーチャが変心によって彼女を魂の奥底まで侮辱したため、魂がもはや赦そうとしなかったのだ。
「魂がもはや赦そうとしなかったのだ」←好きすぎる。こういう時、ありますよね(?)プライド高い人間あるある:道理に照らせば許せること、許した方が自分も楽になるようなことでも"""魂"""が赦さないため、己をも苦しめるにも関わらず対象を憎むことしかできないのだ‼️
カテリーナ、『赤と黒』のマチルドと印象が似てる気がする。プライド女ァ……(suki)
グルーシェニカ(『カラマーゾフの兄弟』)
同作品から2人ノミネートしてしまった。だって好きなんだもん……。
あたしは獣よ、そうなんだわ。でも、お祈りをしたい。(中略)この世はすばらしいわ。あたしたちは汚れた身でも、この世はすてきだわ。あたしたちだって汚れていても、いい人間なのよ。汚れてもいるし、いい人間でもあるってわけ……
ここ一番好き。ミハイル・バフチンの言う「カーニバル性」がここに表れてるんだよね多分(100分de名著のテキストでこの概念を知っただけでバフチンの著作は読んでない……)。これは第八編八章の一部だけどこの章は全部好き。酔っ払いたくなる(?!)
「じゃ、本当に赦してしまったのね」グルーシェニカは考えこむように言った。「なんて卑屈な心なんだろう!あたしの卑屈な心に乾杯!」彼女は突然テーブルの上のグラスをつかんで、一気に飲み干すと、グラスをふりあげて、力まかせに床にたたきつけた。
この文脈の赦しは昔自分を捨てた男への赦しです(そのあとドミートリイとより戻すけど)。この女も烈しくて、良い‼️この作品のヒロイン2人は両方烈しいし卑屈なところがあるけどその受け入れ方がちょっと違うなと思う。両方好きだ〜〜〜。
ナナ(『ナナ』)
ーーああ、いやだ、みんな勝手なこと言やあいいわ、あたしのせいじゃあないんだもの!あたしが悪いもんですか?あたしは自分が持っているものは何だってやっているんだもの、(中略)あの人たちはあたしのスカートにへばりついてぶらさがったのよ、そうして、今になって、一文なしになり乞食になって、みんな絶望を気取ってるのよ……。
この無邪気さ、たまらん。読み始めた時は、「はいはい、ファムファタールファムファタール。」って感じだったけどいざ最後まで読むとナナが好きになっていたし、作中で亡くなった時は喪失感だった。「ベルリンへ!」が胸にこだましたね。
彼女は自分が属する階級、赤貧洗うがごとき人々や、社会から見棄てられた人々のために復讐したのだ。そして、彼女の性が、殺戮の野を照らして昇る太陽のように、栄光に包まれて昇り、一面に横たわる犠牲者の上に光り輝くときも、彼女は自分のしていることも知らぬ美しい野獣のような無意識を持ち続け、いつも優しい娘であったのだ。
女あるある:ファムファタールタイプの女が好き。憧れともちょっと違う(なりたいと思ってるわけではないので)けど、否定する気になれない。臨終あるいは死後のナナに面会したのもみんな女だったし。別にナナが復讐したとて上流階級の財が下層階級に回ってくるわけではないけど、復讐って誰かの利益のためにやるもんじゃないからね。義賊じゃないのがポイント。
サタンは彼女を門口まで送って行って、フォンタンがナナを殺してしまいはしないかと見守るために、一時間も往来に立ちつづけた。そして、翌日になると、二人はナナの仲直りの話に午後の時間を楽しんだ。しかし、口には出さなかったが、殴られた日の方がすきだった。その方が一層二人の話に熱が籠るからである。
ヒロインとはちょっと違うと思ったからノミネートしなかったけど、サタンも好き。これ百合の話してますか❓
サチ子(『青鬼の褌を洗う女』)
(中略) 私はその時まで、こんな媚態を知らなかったのに、久須美にだけ天然自然にこうするようになったので、つまり彼が一人の私を創造し、一つの媚態を創作したようなものだった。
それは一つの感謝のまごころであった。このまごころは心の形でなしに、媚態の姿で表われる。
カッコウだのホトトギスだの山鳩がないている。私はそんなものよりも青鬼の調子外れの胴間声が好きだ。私はニッコリして彼に腕をさしだすだろう。すべてが、なんて退屈だろう。しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。
この作品を読むといつも架空の桃源郷の絵を見てる気分になる(何を言っている❓)存在しない天女としてのサチ子(?)
日本語文学で普通なら(現代なら?)カタカナで書かない言葉にカタカナが使われているとなんか気持ちいいがち。この作品なら、オメカケ、モーロー、シマッタ、ツジツマなど。この技法(?)はこの作品の気持ちいい気だるさにピッタリだと思う。ウルサガタ、チャッカリズムとかも良い。具体的に説明できないけど文章全体に安吾節を感じる。
さてサチ子ですが……。こういう女めちゃめちゃ好きだ〜〜。テイカータイプ(?)の人大好きで、ただ、現実だと振り回してくる属性もセットでついてくるから長期的に仲良くするのがなかなか難しいけど、これはフィクションだしスローモーションタイプテイカーだからOK。自分と正反対なタイプだから好きなんだろうね。ニュウと手を突き出されたいんだ〜^^
分析
社会とぶつかりつつも自分の思ったように生きてる女のことが大好きなんだ〜❗️あとは情け深い一面がある(意図的かどうかは問わない)のはみんなに共通してると思う。かつ、みんな程度の差はあれど結局社会に対して無力だな……。
つまり、嵐が丘や風と共に去りぬ(1巻しか読んでないけど)のヒロインはちょっとちがうんだよな〜〜。強すぎんか君ら。(好きな人ごめん)
さらに言うと、我がなさすぎるキャラもあんまり好きになれない(実例は省きます!)……。たとえ良い子でも、もっと闘えや‼️と思ってしまう(??)
ちなみにディズニーだと、アリエル、ジャスミン、ラプンツェルが好き。みんな我がつよいな!(ディズニープリンセスみんなそう。その我は勇気と優しさとして現れるのだ!)そして結婚相手が3人中2人無職で草ァ!
おわります
男性キャラと同様女性キャラにも好きになりやすい傾向があることが分かりましたね。男性が6人だったから女性も6人挙げたかったけど、この5人以降だと同じくらい好きなキャラがわんさかいるから5人だけにした。次はFGO女性キャラで語りたい‼️
