家族になりきれなかった、でも家族だった時間
年末年始くらいから入退院を繰り返していたパートナーの父親が、昨日の午前中に息を引き取りました。
覚悟はしていたものの、やはり心は揺れる。
いまはパートナーとともに、葬儀の手配や諸々の手続きを淡々と進めている。
やるべきことがあることに、ある意味で助けられている感覚もある。
ただ、彼の様子を見ていると、いっけん強い落胆や動揺は見えず、むしろどこか肩の荷が降りたような、解放されたような表情にも見える。
実の親だからこそ、これまでの関係性のなかで、言葉にしきれない様々な感情があるよね。
一方で、介護や身の回りの世話、ケアマネジャーや介護士とのやり取りは、主に僕が担ってきた。
夕飯はテレビを観ながら一緒に食べることも、足が不自由なお義父さんがトイレを失敗してお風呂を手伝ったこともあった。
だからこそ、お義父さんと二人で話す時間も自然と多くなっていった。
入院中、まだ意識がはっきりしていた頃に、こんな言葉をかけてもらったことがある。
「うちの息子のことをいろいろ支えてくれて、本当に助かっている。ありがとう」
その言葉は、どこか照れくさくもあり、でも自分の関わりが届いていたのだと感じられるものだった。
お見舞いの帰り道に少し泣いた。
およそ12年前。
思い返せば、三人の関係の始まりはずいぶんと不穏でいびつなものだった。
まだ僕たちがカミングアウトをしていなかった頃、僕は「20歳離れた友人」という立場で、彼とお義父さんが暮らす家に転がり込んだ。
あるとき、家で二人きりになり、「たつやくーん!」と呼び出され、「君はうちの息子とどういう関係なんだ?」と尋ねられたことがある。
本当のことを言うことができず、
「福祉の勉強会で知り合って、よくしてもらっているんです…」
と、どこか釈然としない答えしかできなかった自分のことを、今でもよく覚えている。
住み始めてひと月ほど経った頃の夕食時には、
「二人がホモとかそういう関係だったら、世間に顔向けできないから、早めに出て行ってほしい」
と言われたこともあった。
目の前が真っ白になり、ご飯の味がしなくなった瞬間。隣で彼が激しく怒っていたことも、はっきり覚えている。
(その一件以降、お義父さんから僕たちの関係について直接問われることはなくなった)
それでも後に、養子縁組の証人として署名をしてくれた。(その署名を書いてもらうのも、書いてもらった後も、一筋縄ではいかないことは多くあったのだけど)–––そして、今ふと思うのは、もしも養子縁組ではなく、日本で同性同士でも婚姻ができるようになっていたら、お義父さんは婚姻届の証人欄に署名をしてくれたのだろうか、ということだ。僕らが養子縁組をした2017年に、もしもこの国で僕らも婚姻ができるようになっていたとしても、きっとお義父さんは、養子縁組以上に拒んでいたかもしれない。それでも、僕らは時間をかけて婚姻届の証人をお願いしていたと思う。なぜなら、僕らカップルは親子関係になりたいわけではなく、ふうふ(夫夫)として、配偶者としての法的な、公的な関係性を今でも切に望んでいるから––––
それでも少しずつ、お義父さんなりに、言葉にはならなくても、僕らの関係のどこかを引き受けてくれていたのだと思う。
その後、お義父さんが代表をしていた福祉事業所を継がないかと声をかけてもらった。
一度、二度とお断りしたものの、その熱意に押される形で入職することになった。
結果的に、その経験がきっかけで、高齢者介護から精神保健福祉の分野へと自分のキャリアが広がっていった。
ただ、数年後、職場内の人間関係でうまくいかなくなり、体調を崩して退職することになる。
お義父さんの思いを継ぎきれなかったことに対して、申し訳なさは今も残っている。
すみません、お義父さん。
そして、忘れられない出来事がもうひとつ。
ある朝、睡眠薬を過剰に服用し、ベッド柵に紐をかけて首をくくっているところを僕が発見した。
あのとき、僕の感情が一気にあふれ出し、ドアを叩いて穴を空けてしまったことがあった。
その出来事をきっかけに、自宅での介護と見守りには限界があると判断し、特別養護老人ホームへ入所してもらうことになった。
こうして振り返ると、きれいな関係では決してなく、葛藤や迷い、後悔も多く含まれた時間だったと思う。
最後の最後まで、お義父さんにとって僕は、世間に対して正直に言える存在ではなかったのかもしれない。(それでも、周囲の人たちは知りつつ温かく見守っていてくれたことが、有り難かったです)
それでも、「自分と息子を支えてくれる存在」として、ある程度頼りにしてもらえていた感覚は残っている。
それで十分だったのだと、今は思えている。
だからこそ、今感じている喪失感や悲しみは、血縁の有無とは別のところで生まれているのかもしれない。僕からしたら、お義父さんは十分、大切な家族だった。
今、この時間は、パートナーを支える時間であると同時に、僕自身のグリーフを扱う時間でもあるのだと感じています。
三人で撮った写真はあまり多くないけれど、一緒に暮らし始めてまだ2年ほどの頃の写真が出てきた。
まだ距離感がつかめず、少し無理に笑っている自分の顔が、どこか滑稽だけど懐かしく思える。

関係性は、いつの間にか形を変えながら、ここまで来ていたのだと思う。
お義父さん、ありがとうございました。
これからも彼と一緒に歩んでいきますので、どうか安心して見守っていてくださいね。
安らかに。
