「当たった」も「外れた」も、どうでもよくなった HWM#60
コンサルをやってた頃は、
「直感で決めました」なんて口にすることはあり得なかった。
「根拠は?」「データは?」「それ、再現性あるの?」
理系出身でもあったし、 数字で説明できないものは、無いのと同じ。
そういう世界に、長くいた。
だから僕は、ずいぶん長いこと訓練してきた。
胸のあたりでうずく「なんかヤだな」を、無視する訓練を。
「なんか、いい気がする」を、黙らせる訓練を。
そして、精神世界では、まるっきり逆のことを言われる。
「頭じゃなくて、体の声を聞いて」
ある時期は、
2つの世界観が自分の中に共存していて、
どっちつかずの感覚が気持ち悪かったものだ。
で、両方さんざんやってみて、ようやく腑に落ちたことがある。
直感が当たったとか、外れたとか。
──実はそんなに大事な話じゃない。
「外れた」ってがっかりするとき、
よくよく振り返ると、 それはそもそも直感ではなく、
怖れから生じた反応を「直感」と勘違いしていたことも多い。
僕がキャリアを変えた時、
大きな声は言った。「絶対失敗するからやめとけ!」
小さな声はささやく。「やりたいんでしょ?」
そして、僕はヒーラーになった。
本当にやりたかった、 その人が本来の自分を発揮するお手伝いを始めた。 嬉しかった。
本物の直感は、静かだ。
焦らせないし、急かさない。
「まあ、こっちかな」くらいの、小さな声。
逆に、「絶対こうだ!」って大声でまくしたててくるもの。
それはたいてい、直感の顔をした、エゴの声だ。
ずっと昔、まだ言葉を覚えるより前から身につけてきた、
「危ない」「守らなきゃ」という心身の反応。
その古い自己防衛の声が、今でもときどき大音量で鳴る。
だから今は、当たったか外れたかよりも、別のことを大切にしている。
あのとき、大きい声じゃなく、
小さいほうの声を選べたか。
今、見ているのは、そのこと。
▶️ 仕事について、正面から書いてます:
[頭ではわかっているのに、同じところでつまずくあなたへ]
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いただいた心遣いは、誰かへまた届きます。
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