内も外もない
朝、布団の上で背筋を伸ばして座り、目を閉じる。
いつもの瞑想の時間。
からだの中に意識を向けようとすると、
ぐーー。
パートナーのいびきが聞こえる。
意識は一気にそちらへ向かう。
そっちじゃない。内側へ。
「うーーん」
彼が寝返りを打つ。
意識は水の上に浮かんだ風船のように、沈ませようとしてもすぐに上がってきてしまう。
そして沈ませようという意図が強ければ強いほど、意識はふわりと水の上を跳ねる。
ダメだ。集中できない。
いつもは一人で寝ているけど、今は泊まりに来ている娘家族がパートナーの部屋を使っていて、私たちは私の部屋で布団を並べている。
人の気配や音に敏感な私は、布団のすれる音すら気になってしまって、瞑想に深く入れない。
そのもどかしさが、じわじわ膨らむ。
一度、大きく口から息を吐く。
今あるものを見よう。
もどかしさがある。
焦りのようなものもある。
うん、全部ある。
それらに寄り添うように、そばにいる
いびきがある。
パートナーの気配がある。
そうだ、私の内側にあるものと同じように、外側もただ、ある。
どれかを消したり、どれかだけを整えたりしなくていい。
そのエネルギーをただ見るだけでいい。
そう気づいた瞬間、内と外の境界線がゆるんで、空間がやさしく広がっていく。
全部が同じ場に現れて、同じ場で消えていく。
彼、私、布団。
私たちは分かれているようで、分かれていない。
線がほどける。
世界が一つの場として立ち上がってくる。
もう外側で何が起きても、この感覚から離れることはないだろう。
そんなふうに思えた。
「魚は海の中にずっといるから、海があることが分からない」
あの言葉の意味は、こういうことなのかもしれない。
すべては私の中で起きてる。
内も外もない。
目を開けると、布団の端に落ちていた光が、部屋いっぱいに満たされていた。
