ドストエフスキーについて
私は、ドストエフスキーの5大長編小説でいうと、一番カラマーゾフの兄弟に心惹かれる。そして、その理由は、カラマーゾフの兄弟のスメルジャコフに心惹かれるからなのだ。この男は、父親殺しの真犯人であり、悪い奴なのだが、それでも同じ小説に出て来る善人アリョーシャなんかよりも余程心を惹かれる人物なのである。
そして、なぜこの悪人に惹かれるかと言われると、それは悪人だからだと答えるしかないのかもしれない。善人には善人なりの悩みがあり、善人並みの解決がある訳であり、悪人には悪人なりの悩みがあり、悪人らしい解決がある訳だが、少なくともこの小説の最後、アリョーシャの感動的な演説に私は然程感動しないのである。アリョーシャの行った解決にはなんの感動もしないのである。そういうと、作者に失礼な気もしないではないのだが、いや多少の感じがあるとしたら、それはスメルジャコフの悩みがあるからなのだ。もし、スメルジャコフがいなかったら、この小説は、私にとっては読む価値のない小説に成り下がるのだ。
で、スメルジャコフがなぜそんなに私の興味を惹くのか、そこを私は突き止めたいと思っている。思考をいつか整理したいと思っている。いまは、このスメルジャコフがまず、どう言う原型を持っていたかという点について、書き留めておく。ドストエフスキーは誰も知っている通り、なんの罪だか私はよく知らないが、なにかの罪で逮捕されて服役していた。その時のことに取材した小説として、死の家の記録という本を書いている。そこにペトロフという人物が出て来る。
ペトロフとはいかなる人間であるか?死の家の記録に書いてある事を箇条書きにして見る。
・毎日のようにわたしの獄舎に立ち寄る(ペトロフは特別監房に住んでいて、わたしの獄舎から一番遠い所に住んでいるのにも関わらず、毎日のように立ち寄るのである)
・わたしに言葉をかけるのを、義務だと思っているらしい。
・年齢よりも若く見える。40前後だが、30位にしか見えない。
・わたしと話す時は、いつもごく自然な態度で、完全に対等な立場に立っていた。極度に礼儀正しく、慎み深かった。
・面白いのは、彼が実際にわたしに心服していたにも関わらず、それ以上の関係にはならなかった事だ。正直、彼はわたしから何を望んだのか、わたしは今でも、こうとはっきり言う事ができない。
・彼はほとんど一度もわたしに金を無心した事がなかった。だから、彼がわたしのところへ来ていたのは、金のためでもなければ、何か美味い汁を吸おうとしていたのでもない。
・彼の目つきも、なんだか妙だった。じっと鋭く、ふてぶてしさといくらか人を馬鹿にしたような陰があるが、対象を超えて、どこか遠くを見つめてるような目で、すぐ前にある対象のかげから、もっと遠くにある何か他のものを見極めようとする風だった。それが彼に散漫な印象を与えた。
・何よりも不思議なのは、彼には仕事というものが全くなかった事だ。彼は全然何もしないで暮らしていた。手職は何も知らなかったし、金もほとんど持った試しがなかった。
・ナポレオン3世がナポレオンの親戚じゃないかと聞いて来る
・彼はいつも畳み掛けるように、ぽつんぽつんとものを聞く癖があった。まるでできるだけ早く何か探り出さなければ、という風で、1秒の遅延も許されぬ何か極めて重大な問題について、緊急調査しているかのようだった。
・アメリカじゃ、人間が頭を下にして歩いているとか?頭を下にして歩きゃしないよ。それは地球の裏側って事だろう。わたしはアメリカがどういうとこか、地球の裏側とはどういうことか、できるだけ説明してやった。彼は地球の裏側ということだけを聞きたくてわざわざ駆けつけたかのように、熱心に聞いていた。
・ところで、去年ラヴァリエル伯爵夫人の話を読んだんですが、アレフィエフ副官から本を借りましてね。ありゃほんとですかねぇ。ただの作り事じゃないんですか?デュマとかいう人の書いたものですがね。もちろん、作り事さ。じゃ、さよなら。ありがとうございました。
・あいつは、全囚人の中で一番向こう見ずな、一番命知らずな男だよ。どんなこともやりかねない男なんだ。ひょいと気まぐれを起こしたら、どんな障害があっても立ち止まることを知らない。ふとその気になったら、あなただって殺しますよ。あっさりね。鶏でもひねるみたいに。眉一つ動かすでもないし、悪いことしたなんてこれっぽっちも思いやしませんよ。頭が少し変なんじゃないかと思うほどです。
・情熱は彼の内部に隠されていた。しかもそれは強烈な、燃えるような情熱だった。熱い石炭がいつも灰を被って、静かに燃えていたのである。他の連中のように、気取りや見栄が、彼には毛筋ほども認められなかった。
・わたしは一度、彼が本気で怒ったのをみた事があった。この時は様子が違った。ペトロフは急に真っ青になり、唇がひくひく震え出し、血の気が引いた。吐く息も苦しそうになっていた。彼は立ち上がると、ゆっくり、裸足のまま足音を殺して、そろそろとアントノフの方へ近づいて行った。
・彼はもう何事もなかったように、退屈しきった様子で獄舎の中をぶらぶら歩き回っていた。それは、どこかで何か面白そうな話をしているところはないかな、あれば早速顔を突き出して聞いてやるのだが、とでも言いたげな様子だった。見ようによっては、腕はいいのだが、当分仕事らしい仕事がなくて、子供相手に退屈凌ぎをしてるきっぷのいい職人といった様子だった。
・わたしはまた、彼がなぜ逃亡しないのか理解できなかった。彼はその気になりさえすれば、ぐずぐず思案などしないで、さっさと、逃亡したに違いない。分別が支配力をもってるのは、彼等がそういう気持ちを起こさない間だけである。一旦そうなったら、最早この地球上に彼等の渇望を妨げるものは何もない。しかも、彼はみんなを騙して、まんまと逃亡するだけの頭があり、一週間くらい飲まず食わずで森の中か、河岸の葦の茂みに潜んでいる事ができる筈だ。ところが、どうやら彼はまだそういう考えまで行かず、全然その気はなかったらしい。
・大きな分別を、分けても健全な考えを、私は全然彼に認めなかった。こうした人間は生まれた時から一つの考えしかもっていない。そして一生涯訳も分からずにその考えに引き回されるのである。こうして彼等は全く望みどおりの仕事に行き当たるまで、一生うろつき回る。
・また、彼がこれほどはっきり私を慕っていながら、私のものを盗んだ時にも私は驚いた。そういう事が彼には周期的に起こるみたいだった。彼はわたしの聖書も盗んだ。これはある場所から他の場所へ持って行ってくれとわたしが頼んだのである。ほんのわずかな道のりだったが、彼は途中ですばやく買い手を見つけ、まんまと売り付け、すぐその金を飲んでしまった。
・その晩、彼は自分から盗んだ事を打ち明けたが、少しも悪びれたり、悔やんだりする様子はなく、ごく当たり前のことのように、けろりとしていた。
・わたしはよくよく彼に言い聞かせてみようと思った。聖書が何としても惜しかった。彼は苛々もせず聞いていた。ひどく神妙にさえ見えた。彼は聖書が非常に有益な本であることは納得していて、今それがわたしの手許にないことを、心から残念がったが、それを盗んだことを少しも悪いと思わなかった。彼がわたしの叱言を神妙に聞いていたのは、たぶんこんな事をしたんだから、叱言くらいは仕方ない事だし、気の済むように言わせてやれば、心も休まるだろうと考えたらしいが、しかし同時にこんな事は下らない事で、あんまり馬鹿馬鹿しくて、しっかりした人間なら口にするのも恥じるに違いない位にしか思っていなかっただろう。
・彼は大体わたしを、子供扱いして、世の中のごく簡単な道理もわからぬ坊や位にしか思っていなかったらしい。例えば、わたしの方から学問と本のこと以外の事を何か話しかけると、彼は返事はするが、それもわたしに恥をかかせないためにしているだけらしく、ごく短い返事に限っていた。
・しょっちゅう、うるさくわたしに聞くが、こんな書物の知識がこの男に何の役に立つのだろう、とわたしは自分に聞いてみた。こういう話をしている時、わたしはそっと横から彼の顔をのぞいて見ることがあった。こいつ俺を揶揄ってるんじゃないな?しかし、それは思い過ごしだった。彼はいつも真面目に、注意深く聞いていた、とは言え、この注意深さには少し欠けるところがあって、時々わたしを苛々させた。彼は質問ははっきり正確に出したが、どうもわたしの答えにはあまり驚きもしない様子で、漫然と聞いている風に見えた。またわたしについて彼は、ろくに考えもせず、他の連中を相手にするように話すわけには行かないが、といって本の話以外は何も分からないし、理解する力もないから、煩わすだけ無駄と決めてしまっていたらしい。
・彼がわたしに愛情をさえ抱いていた事は確かで、これにはわたしもすっかり面食らった。わたしをまだ育ち切らない未成年者と思っていたのか、わたしを弱者と見て、あらゆる強者が弱者に対して、本能的に抱く憐れみをわたしに感じていたのか、わたしは分からない。そしてこうした全てのことが、彼がわたしのものを盗む事を妨げなかったとしても、しかし、盗む時にわたしを憐れに思ったのは確かである。やれやれ!わたしの品物に手を伸ばしながら、彼はこう思っていたかもしれない。全く哀れなやつだ、自分のものもろくに守れないなんてな!しかし、その為に、彼はわたしを愛したのかもしれない。彼は一度、何気なくこんなことをわたしに言ったことがあった。あんたは気が良すぎるよ。全くお人よしだよ、あんまりお人よしなんで気の毒になるほどだ。こんなこと言ったからって、アレクセイ・ペトロヴィチ、怒っちゃ嫌ですよ。そして一分ほどしてから、彼はこんなことを言い添えたのである。わたしは思ったままを言ったんですからね。
・こんな人間が一生の間に、時として急激な民衆運動や革命などが起こったりすると、突然くっきり大きく浮かび上がって、一挙に自分の全活動を発揮することがある。彼等は言葉の人ではないから、運動の首謀者や指導者にはなれないが、その主要な実行者になって、運動の先頭に立つのである。彼等は別に勇ましいことも言わずに、簡単に行動を起こすが、その代わりろくに考えもせず、恐れもせず、まっしぐらに剣の林に突っ込んで真っ先に大きな障害を突破する、すると、みんなその後に続いて、盲滅法に突進し、最後の壁まで来て、大抵はそこで倒れるのである。わたしには、ペトロフがいい死に方をするとは信じられない。彼は何かの時が来たら、一気に死んでしまう人間である。今日まで死なずにいたのは、まだその機会が来なかったからだ。
ずいぶん長らく引用したので、書いておくが、これは新潮文庫の工藤精一郎の訳を勝手に筆者が書き写したものである。厳密に一言一句忠実に書き写している訳でもないので、その点はご容赦頂きたい。
さて、引用が長くなるのも仕方ないと思っている。なぜなら、ドストエフスキーがこう書いているのは、かなり端的に言ってもこの程度の文章になったんだろうと私は思うからである。そこには、ドストエフスキーがこのペトロフという男に出会った生な感じが偽ることなく出ているように私は思うのだ。この生な感じには何が表れているか?要するに、こんな人間がいるという発見に対する驚きだろう。
ペトロフはどんな人間、どんな驚くべき人間としてドストエフスキーの眼に映ったか?ペトロフは、まず死の家の記録の中のわたしに話しかけてくるが、なぜ話しかけてくるのかは、この作中のわたしには分かっていない。聞いてくる内容は、ナポレオンだの、地球の裏側だの、デュマの物語の中のラヴァリエル夫人だのである。なぜこれらについてペトロフは聞きたかったのか?ドストエフスキーは明確に書いてない。ナポレオンを聞くというのは、英雄に興味があったのか?地球の裏側を聞くというのは、地球が丸い事を確認したかったのか?ラヴァリエル夫人は、悲劇的恋愛をしたらしいが、悲劇的恋愛に興味があったのか?など、個人的に興味が湧くのだが。
なぜそんなことを気にするのかと言われれば、それはこのペトロフという人間とスメルジャコフという人間との間にどの程度の差があるのかに私は興味を持つからである。ペトロフは、たぶんそういう人間がいたのだろう。だが、スメルジャコフは、物語の中の登場人物であり、作者の思想をある程度背負わされていると思われるのだが、それはどの程度だろうか?と私は考えるからである。ペトロフは、どのような世界観を持っていたか?スメルジャコフのような憎人的世界観を持っていたか?持っていないのだとしたら、それはドストエフスキーの創作という事になる。
少なくとも、この死の家の記録を読む限りでは、スメルジャコフのような憎人癖は、ペトロフには認められない。だが、人間の命なんて屁とも思わないという意味では、スメルジャコフと同じなのである。聖書を有益な書物として認めてはいながらも、それを勝手に売ってしまって、罪悪感を感じていない。これがペトロフなのである。スメルジャコフは、自分の犯した犯罪について、罪悪感を感じていただろうか?これは、私には興味ある問題である。きっと、ペトロフだったら、何とも思わなかったに違いない。だが、スメルジャコフはどうだろうか?
それと、もう一点気になる点は、ペトロフは死の家の記録のなかのわたしを愛していたという点である。理由は、わたしの事をまだ育ち切らない未成年のように思って、憐れみを感じていたから。全くお人よしだと思っていたから、である。それなら、スメルジャコフは、イワンを愛していただろうか?ここら辺が、カラマーゾフの兄弟を読む私には気になる事なのだ。罪とは何か?罪悪感とは何か?愛とは何か?そして、気になるのは、アリョーシャのそれでも、ドミートリイのそれでも、イワンのそれでもなくって、スメルジャコフのそれなのである。
これは問題提起である。私はドストエフスキーはきっと、ペトロフをモデルにスメルジャコフを書いたのだろうと思っている。だが、物語の登場人物とする中で、そのモデルは、ドストエフスキー好みに形を変えたに違いない。それで、私がどうしてもこのスメルジャコフという人物に興味を抱くのだとしたら、それはドストエフスキーが脚色を加える前のペトロフになのか?それとも、ドストエフスキーがペトロフに脚色を加えて、スメルジャコフとした所に興味を持っているのか?
少なくとも、わたしはこの死の家の記録の中のペトロフという人間は嫌いではない。むしろ、飾り気がない点で好きでもある。だが、スメルジャコフに感じるような意味での興味を感じるかというとそれ程でもないという感じだろうか。
もう一つ最後に引用して置く。わたしは、ペトロフ達が起こした抗議活動に加わらなかった。それについて、ペトロフに怒ってないか聞くが、なんで怒るんです?と聞き返される。
わたしは慌てて彼の顔を見た。彼は全くわたしの言う意味がわからなかった、わたしが何を得ようとしているのか、わからなかったのである。だが、そのかわりに、わたしはその瞬間彼を完全に理解した。いま初めて、もう前からわたしの中にぼんやり蠢いて付き纏って離れなかった一つの考えがはっきりその全貌を表した。わたしは、自分がたとえ非常な重罪人で、無期徒刑囚だろうと、特別監房の囚人だろうと、絶対仲間に入れて貰えない事を悟ったのである。しかし、この瞬間に特に強くわたしの記憶に残ったのは、ペトロフの顔だった。あなた方が私達とどんな仲間なんです?という彼の問いには、あまりにも飾らぬ素朴さと、率直な疑惑がこもっていた。この言葉にちょっぴりでも皮肉、憎しみ、からかいがなかったろうか、とわたしは考えてみた。そうしたものは何もなかった。
この関係、少しでも仲間だなんて考える余地のない関係が、カラマーゾフの兄弟の旦那と下男という関係にまで続いていると言えるだろう。しかし、仲間でないとすると、彼等の関係は何なんだろうか?私はそれを解き明かしてみたいが、それを考えるのは次の機会に譲る。
