読書感想文 | 伊与原新先生『月まで三キロ』

⚠️注意:
各話のあらすじに触れているため、「ネタバレ」タグを付けさせて頂きました。
日常生活とはかけ離れているかのように思える理工学系の専門知識と人間が融合し、人生を温かく照らし出す短編小説集です。短編小説は6作品含まれています。
『月まで三キロ』
死に場所を探していた男性が乗車した、タクシーの運転手は、天文学に異様に詳しかった。タクシーの運転手が天文学について語り出すうちに、2人の人生が明らかになっていく。
月までの距離と人との距離。向き合える距離に存在する人への想い。心温まる作品でした。
『星六花』
食事会で心が揺れた男性から「クリスマスまで持っていて」と黒い傘を渡された女性。女性の期待が膨らむ中、男性は気象予報に関する専門知識を女性に語る。徐々に明かされる2人の過去と今。
生きる勇気をそっと手渡してもらえるような、優しさに包まれた作品でした。
『アンモナイトの探し方』
アンモナイトを探している男性に会いに行った少年。男性が語る地質学と共に、「わかる」と「わける」について、少年は学ぶ。
少年の現状はまるで現実世界でも起きているかのように生々しい。しかしながら、アンモナイトを自分でも探すようになり、少年の人生に少し光が差し込む。自分の人生について考えさせられる作品でした。
『天王寺ハイエイタス』
おとんの兄貴である"哲おっちゃん"は、元プロのブルース・ギタリストであったが、今はプータロウとなり、父に金を無心している。久しぶりに帰郷した兄は、古気候の研究や研究過程で湖や海の堆積物を分析していると語る。
堆積物の専門知識と"哲おっちゃん"の人生が重なり、"哲おっちゃん"の意外な一面が見えてくる。主人公が自分の立ち位置を肯定できるようになる、人生に向き合う作品でした。
『エイリアンの食堂』
平日8時45分に必ず「さかえ食堂」にやってくる女性を主人公の娘はプレアさんと呼んで、プレアデス星からきた宇宙人だと思っている。プレアさんは「素粒子がわかると、宇宙がわかる」と語る。プレアさんは研究所で素粒子を研究していた。
宇宙の話を聞いていくうちに、悩んでいた娘の奇行について真実が明らかになっていく。死と向き合う静かで温かい作品でした。
『山を刻む』
主人公は置き手紙を残して、登山に来ていた。すると、火山を研究する大学の講師と研究所に所属する大学院生に出会う。彼らは山を刻んで、石を収集していた。噴火のシナリオを想定し、いざ山が活動しても、それに応じた対策が練れるようになるのだと講師は言う。
主人公は、「山を刻む」火山学の研究過程を聞きながら、家族と過ごし刻まれてきた自分の人生を思い起こし、最後に決断を下す。自分の人生の岐路に立ち決断を下す、力強さを感じた作品でした。
読書感想文
各話の中に、人生に悩みを抱えた主人公と理工学系の専門知識を有した登場人物が現れます。専門知識が語られる中、主人公は専門知識と自分の人生をいつしか重ね合わせながら、現在に至った出来事を思い起こし、最後に現時点での人生に立ち戻ります。
専門知識でうならせる小説は読んだ経験がありましたが、専門知識と人生を融合させる小説は、あまり読んだ経験がありませんでした。小説の中での専門知識の新たな使い方に目が覚める思いでした。
本作は短編小説が6作品含まれています。最初、ふとした描写から始まり、人生について考え、読者の想定を超えた結末に辿り着く。専門知識を扱う人物と主人公の過去が徐々に明らかになり、更に専門知識と融合し、本作でしか味わえないと思えるような読み心地を感じました。
各話で取り扱われている理工学系の専門知識ですが、非常に読みやすかったです。専門知識は門外漢からすると、難しく感じ、ページをめくる手を止めがちになる場合もあるかと思います。物語の中にスッと専門知識が入ってきて、更に登場人物の人生の中に専門知識がスッと入ってくる。そのため、専門知識自体は難しかったとしても、読者の頭の中にスッと入ってきました。
各話で扱われる理工学系の専門知識は、主人公たちの悩みを直接解決するものではありません。しかしながら、その知識によって、主人公たちは自分の人生を別の角度から眺め直していました。
専門知識によって鮮やかに人生が浮き彫りにされる。そのうえで、今を生きる元気をもらった温かな作品でした。
<月まで三キロ>

