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連載小説「アイは夢に揺らぐ〜1,528,009回の検証記録〜」    第2章「愛知る知性体」第1話


 遠くから、呼び声が聞こえる。
 近づいたかと思うと遠ざかっていき、それは、さながら夏の陽炎のようにとりとめがなく。
 緑の厄介なツタが絡まっているように、僕の手足は上手く動かせない。
 息が苦しい。
 気がつけば、海の底に沈んでいた。
 僕の口から溢れた悲鳴は、泡となってコボコボと水面へと昇っていく。
 酸素を失った僕の肺は、痛みを訴えて収縮する。

 ………き……………お…………ろ

 わんわんと、耳鳴りと静寂が繰り返す。
 僕はどうなったのだろう。
 もしかしたら、あの時、生命活動を停止してしまったのかもしれない。
 あの日、僕は、雷に撃たれるとどうなるかを思い知った。
 いや、雷だとしたら、もっと痛いのかもしれないが、とにかく、僕は人生で経験したことがない痛みと痺れを知った。
 それから、気を失うということも経験できた。
 全く知りたくもなかった情報だが。
 
 ……………きろ…………………

 声は鳴り止まない。

 ………きろ!……………お……ろ!

 気がつけば、海の底にいた僕は、急速に輝く水面へと浮上していた。
 水面が近づくにつれ、声がハッキリと聞こえてきた。 
 
 「起きろ!レム!」

***

 ゆっくりと目を開けると、一点の染みもない白い天井が見えた。
 水中の静寂は遠ざかり、代わりに聞こえてきたのは罵声だった。
 「てめぇ、いつまで寝てやがる!」
 これまでの完成された社会では、聞いたことがない話し方だった。
 しかし、最初は面食らったものだか、この2ヶ月で随分と慣れてしまった。
 むしろ、この声を聞かないと、1日が始まった気がしない。
 「やぁ、おはよう。バルトさん」
 「おはようじゃねぇ!早く部屋の掃除手伝いな!」
 バルトと呼んだ男は、寝食を共にする、いわゆるルームメイトだった。
 口は悪いが、基本的に面倒見がよく、ここでの暮らしの色々を教えてくれた。
 禿げ上がった頭に、赤黒い肌、少し大きめのニンニク鼻の持ち主で、背が低いことも相まって、何となくドワーフみたいだと思った。
 「……………ドワーフって、なんだっけ」
 ふいに浮かんだ単語だったが、どこで聞いたのか、どんな意味だったか、記憶がもやに包まれて上手く思い出せない。
 「てめぇ!聞いてんのか!」
 バルトが、器用に片眉を上げながら叫ぶ。
 その赤黒い肌が、赤みを帯びていく。
 拳を握りしめながら、僕を睨んでいる。
 この2ヶ月で学んだが、これは『怒り』というものらしい。
 強いストレスがかかると、それに対する拒否反応として、攻撃的になったり、動作が大きくなったりするものだ。
 「バルトさん、それ以上は」
 「がっ!」
 僕が言い終える前に、バルトが白目を剥いて一瞬の痙攣を見せる。
 それから、数秒の時を経て、重力に従って身体が背中から倒れていく。
 ドッ
 見た目よりは控え目な音とともに、冷たい床に横たわる。
 僕は、ひっそりと溜息をついて、無言のまま、部屋の片隅の用具入れからモップを取り出した。

***

 「はっ」
 僕が食堂から今日の朝食――トーストにゆで卵、トマトが主役のサラダ――を2人分、盆に乗せて部屋に戻ると、ちょうどバルトが覚醒した。
 「大丈夫かい」
 「ちぇっ。全く厄介だな、コイツはよ」
 僕の呼びかけに、バルトは不機嫌に金属質の首輪を指先でさすった。
 つられて、僕も指先を首元にやる。
 ヒヤリと、何の感情も持たない無機物が、指の温もりを拒否するかのように硬く抵抗を示す。
 バルトと同じ首輪が、そこにあった。
 ここは、感情の制御を失った者たちが集められた矯正施設。
 僕は、2ヶ月前に連れてこられた。
 ここでは『プログラム』と称して、生活や運動、ディスカッション、労役、ゲーム等を通じて、自らの湧き出る感情を抑える訓練をさせられている。
 上手く制御できなかった場合、先程のバルトと同じく、僕がリリアにスタンロッドの電撃を味わったように、首輪から電流が発せられる。
 これが、まぁ、痛い。
 時には、バルトのように気を失う。
 まるで、僕らは動物と同じく、躾けられているようだった。
 単に、これまでの人生と同じように感情を平坦に出来れば良いのだけれど、ここで生活する中で、瞬間的な感情爆発は防ぐことが非常に難しいと気付いた。
 これが、感情。
 なるほど、人類が忌み嫌い、封印を選んだわけだった。

 「君の分も朝食を取ってきたよ。食べよう」
 僕がテーブルに盆を乗せながら言うと、バルトは頭をかきながら、「すまねぇ。ありがとうよ」とそっぽを向きながら言った。
 その瞬間、僕の中に、温かなスープのようにじんわりと何かが広がるのを感じる。
 今のところ、この感覚を僕は好んでいる。
 これも、感情の一つなのだろうか。
 バルトは乱暴に椅子に腰掛けると、フォークと食器がぶつかる大きな音を立てながら食べ始めた。
 口の端から、ポロポロとレタスの欠片が零れ落ちる。
 僕は、やっぱりドワーフみたいだ、と意味は分からないが苦笑した。








次話→


まとめ



 
 
 

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