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連載小説「アイは夢に揺らぐ〜1,528,009回の検証記録〜」     第2章「愛知る知性体」第2話


 矯正施設での暮らしを通して、僕は感情について理解を深めていた。

 『喜』
 たとえば、時々、朝食に大きなベーコンがつくことがある。
 そんなとき、僕は気分が上がり、小躍りをはじめたくなるような高揚感を覚える。
 それが、喜びというものらしい。

 『怒』
 たとえば、バルトは手足が短く、労役で他の人よりも作業が遅いことが多い。
 すると、ニヤケ面した他班の連中が、「またバルトかよ。電撃くらいすぎて手足が麻痺してんじゃないのか」等と馬鹿にしてくることがあった。
 そんなとき、僕はムカムカしたものが胃の底から昇って来るような、金属バットを振り回して暴れたくなるような、血が沸騰する感覚を覚えることがあった。
 それが怒りというものらしい。

 『哀』
 涙を流す他人を見ることがあったが、僕はまだこの感情を理解できずにいる。 

 『楽』
 バルトと話している時間は、とても心地良い。
 それから、同じ班のみんなでクリケットをするとき、僕は高揚して、笑うことが多い。
 これが、楽しいということらしい。

 それから、施設を歩いていると、男女の組み合わせをよく見かける。
 たまたま一緒に歩いている場合もあるが、中には、憂いを帯びたような瞳で見つめ合う、不思議な空気をまとっていることがあった。
 僕は、彼等がまとう空気の名前を、まだ理解できずにいた。

***

 「レムさん、調子はどうですか?」
 僕が、食堂へと向かう途中、燃えるような赤い髪の女性が声をかけてきた。
 「やぁ、リリア。特に問題はないよ。おかげさまで」
 僕は、この施設に連れてきて電撃を浴びせた女を一瞥し、素っ気なく答える。
 その仕打ちを考えれば、僕の褒められたものではない態度も、許容されていいはずだ。
 だが、完全なる知性と感情抑制を宿すリリアには、僕の皮肉は全く通じていない。
 「今から食事ですよね。ご一緒します」
 リリアは許可を求めるのではなく、当然のように僕の食事に同伴するため、横に並んでついてくる。
 「僕は、今日は一人で食べたい気分なんだけど」
 「その非効率的な気分を、抑制してください。私は、あなたの監視者です。あなたの行動を逐一観察する必要があります」
 僕が冷たく言い放つと、リリアはどこまでも無感情に答えた。
 「好きにしてくれ」
 「はい。行きましょう」
 完全人工知能に支配されたヒューマロイドは、こんなに気分が悪いものだったのかと、僕は何とも言えない気持ちになった。

***
 
 食堂につくと、僕はポークビッツとライ麦パンのセットを受け取り、テーブルについた。
 リリアは、サラダと鶏むね肉のソテーを選んだ。
 それから、僕の正面の席に座り、黙々と食事をはじめる。
 僕も黙々と食事をしていたが、段々と沈黙に耐えられなくなった。
 バルトとの食事では、会話を交えていることが多いからかもしれない。
 僕は、ふと思いついて、リリアとの会話を試みることにした。
 「リリア」
 「なんでしょう」
 「好きな食べ物はあるの?」
 「………」
 僕が尋ねると、リリアは考えるような素振りを見せ、答えた。
 「それをあなたに言って、何かメリットはあるのでしょうか?」
 「ないよ。でも、知り合ってから2ヶ月も経つのに、君のことを何も知らないと思って」
 「私はリリア。あなたの監視者。それ以外のことを教える必要性がありません」
 「まぁ、ヒューマロイドなら、そうなるよね」
 僕がため息をつくと、リリアは首をかしげる。
 「それに、食べ物に好き嫌いなんてありません」
 そうだ。
 ヒューマロイドに好き嫌いは、ない。
 好きも嫌いも、人工知能によって抑制される。
 でも。
 「僕は、トーストにベーコンエッグが好きなんだ。それにコーヒーがつくと、1日が色づいていく気がするんだ」
 そうだ。
 僕がエラーになる前から、朝食は、一日の始まりを告げる欠かせない儀式だった。
 ヒューマロイドは、感情を抑制している。
 だけど、僕は昔から、『そう』だった。
 僕の聞かれていない独白に、リリアは小さく答える。

 「………そういえば。ランチの後の紅茶だけは欠かしていませんね」

 リリアの言葉に、僕の全身が高揚したような気がした。

 それから、僕は、リリアと過ごすことが増えた。
 リリアは、質問に答える意味を見出だせないとしながらも、自身のことについて教えてくれた。
 答えてくれた以外にも、リリアを見ていると分かったこともある。

 コーヒーよりも紅茶を飲むことが多い。
 サニーサイドアップよりもターンオーバーをよく食べる。
 虫を見ると、進路を変える。
 朝のランニングが欠かせない。
 クリケットが異常に上手い。
 無愛想ながらも、つまづいた年寄りを抱き起こす。
 
 それから、風が髪を撫でたときの横顔に、僕は何故だか目が離せない。

 どうやら僕は、あれだけ痛い目に遭わされてなお、何故だかバルトと同じくらいにリリアを好ましく思っているようだった。
 

 こんな気持ちを知らなかったはずなのに、遠い昔に、こんなことがあったような、そんな気がしていた。

 これが既視感というものらしい。
 
 
 
 
 


次話→


 
 
まとめ

 
 
 

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