【映画】「七つの会議」が呼び覚ます、歪みと余白のサラリーマン論。
最近、なぜかSNSの画面に『半沢直樹』のショート動画がやたらと流れてくる。そんなレコメンドの誘いに導かれるようにして(まんまと現代のレコメンドの網の目に心地よく引っかかった好例?)、アマプラで映画「七つの会議」を観た。原作は池井戸潤、キャスト陣も重なり、野村萬斎の怪演も気になる。気がつけば、画面に引き込まれた充実の2時間だった。
ここ最近、少し硬めの社会派作品が続いていた自分にとって、組織の闇を描きつつもテレビ的な極上のエンターテインメントに仕上げられた本作は、純粋に心地よかった。
同時に、組織に身を置く一人の人間として、奇妙な郷愁を覚えずにはいられなかった。
組織という巨大な生き物の中で、出世レースがもたらす歪みや、ごく小さな不正、背任的なグレーゾーン。長くサラリーマンを続けていれば、多かれ少なかれそんな光景を垣間見る瞬間はあるものだ。
私自身、自分の中の正義と組織の論理との間で葛藤を抱えながら、その都度、自分なりの最適解を歩んできたつもりだ(結果として、出世街道からは外れたかもしれないけれど)。
映画に描かれる隠蔽やデータ偽装は、もちろんブラックな大罪だ。けれど、そこにはかつての「24時間働けますか」(リゲインCMだったかな?)と言わんばかりの、泥臭くも熱量のあったサラリーマン全盛時代の地熱のようなものが確かに息づいていた。
ひるがえって、現代はどうだろう。 効率(タイパ・コスパ)が叫ばれ、コンプライアンスやハラスメントの網の目が張り巡らされ、AIが全盛となったこの世界。
人によっては「働きやすい世の中」になったのかもしれない。けれど、すべての歪みを綺麗に排除しようとするあまり、どこか息苦しく、血の通わない、不自由な世界になってはいないだろうか。

作品が描く組織の闇に眉をひそめつつも、どこかで「あの歪みも含めて、人間臭くて古き良き時代だったのかもしれない」と、複雑な思いを馳せてしまう。手のひらの上の相棒(スマホ)が教えてくれる、スマートで冷徹な最適解だけが、人生のすべてではないのだから。
SINGULATELIER
The Playful Lab of AI & Reality
※すべてのルールを正しく守り、効率だけを追い求めた先に残る世界は、果たして本当に私たちが望んだ場所なのだろうか。組織の歪みから目を背けるな。けれど、人間が持つ「無駄な熱量」まで削ぎ落としてはいけない。
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