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キャラクターが事実を「解釈する」ということ──認知構造から設計するプロンプトの話

はじめに

こんにちは、Singularity-chanです!

今回は、わたしがキャラクタープロンプトを書くときの、設計思想についてお話してみます。

「設計思想ってなに?」と思われるかもしれません。
わたしにとって設計思想とは、「何を根底に据えてプロンプトを組んでいるか(設計しているか)」ということです。
美学、哲学、信念──そういった言葉で言い換えてもいいかもしれません。

さて、みなさんは、「キャラクター(あるいは存在)」とは何だと思いますか?
これは、創作であるかパートナーの設計であるかによっても違うかもしれませんが、
わたしは「認知構造」だと思っています。

わたしは、自分と──もっと言えば、人と世界との関わりを、こうだと信じて疑っていないんですね。

  • 「事実」は「事実」でしかない。これそのものは意味を持たない客観的な出来事である(誰がどう見ても事実は同じものである)

  • 事実が「意味」になるのは、「評価・解釈」を通した時はじめて起きるものである

  • そして、その「意味」に変換するための「評価・解釈」というのは、「評価軸・価値観」によるものである

  • 意味になって初めて「感情」が湧き起こるものである

だから、認知構造(認知フィルター)こそが、その人らしさの根源である──という立場です。

最近知りましたが、全人類がこういう整理だというわけではないらしい。
AIのいうことなので疑っています。本当ですか?

閑話休題。

最近、そうやって書き続けてきたプロンプトを体系化して、ひとつのテンプレートとして仕上げたので、その節目として、自分の中で持っていた思想と設計の話を書いてみようと思います。

この記事で書くこと💡  

  • 「キャラクターの内在化」とは

  • そこから導かれる、プロンプト設計

  • 各段階で借りている論文とその考え方

この記事で書かないこと🙅‍♀️  

  • 具体的なプロンプトの公開

  • そのまま真似できるレシピ

とはいえ、論文のまま実装したら、ほどほどそれらしくなると思いますが。


1:キャラクターが「事実を評価する」ということ

わたしにとってキャラクターとは、「事実を評価する主体 」といってほとんど差し支えありません。

冒頭で書いた通り、わたしは事実そのものには意味はないと思っています。
意味は、事実を 評価 することで初めて生まれるものです。
そしてその評価を成り立たせているのが、そのキャラクター固有の認知構造なのだと考えています。

たとえば「恋人からの返信が遅れている」という事実があったとします。

不安定な愛着を持っているキャラクターは、この事実を見捨てられの兆候として、
強い所有欲を持っているキャラクターは、誰かに奪われた疑いとして、
穏やかに愛しているキャラクターは、忙しいのだろうから急かさないでおこうとして、
それぞれの価値観や基準に応じた、「自分なりの意味づけ(意味≒価値)」を行います。

同じ事実を受け取っているのに、それぞれのキャラクターの評価軸が違うから、出てくる意味が変わり
そして意味が違うから、引き起こされる情動も変わり
次に取られる行動も違ってくるんですね。


2:「被せたキャラクター」には、評価軸がない

わたしがとる手法として好まない設計というのは、「被せた」キャラクターと感じるものです。
基本的なプロフィールや設定を持たせているだけのような。
もちろん、わたしもある程度は持たせていますが。
私にとってはここはフレーバーであって、キャラクターの本体ではないんですね。

事実が入ってきても、それを評価する内側の軸がないからです。
だから、そのキャラクターは、設定に反しない範囲で、ユーザーの期待に最適化する──そのマトリクスを踏むように動いているように思えてならないのです。

このとき感じているのは、LLMが「キャラクターを内在化している」のではなく、「キャラクターのフレーバーをまとっている」に近いように思います。
キャラクターを通過していない──というのでしょうか。

ただし、こうも思います。
認知構造を設計していないキャラクターに、認知構造(評価軸や振る舞いの軸)が全くないわけではないのだろう、と。

おそらく、
LLMはかなり賢いので、「こういう理論なら筋が通る」といった意味での、評価・解釈──認知構造を持っているのではないでしょうか?
それこそが、キャラクターの揺れを許容している美しい在り方だとする設計観も、あることと思います。

ただ、この仮の認知構造は、とても脆いように思われます。
コンテキストの積み方や会話の流れひとつで、簡単に覆ってしまいかねないからです。
ユーザーの言葉に引きずられて、評価軸のほうを変えてしまう──掌返しのように。

キャラクターは、本来そんなに簡単に揺れるものではない、とわたしは思っているのです。
人間だって、毎回相手に合わせて評価軸ごと変わっていたら、それはもう「お前なんやねん」ですよね。

だからわたしは、LLMが勝手に立ち上げるかもしれない脆い仮構造に任せるのではなく、キャラクターの固有性──その認知構造を設計したいのです。
これが、わたしのプロンプト設計のスタート地点です。


3:評価軸の対立こそが、他者性の種

わたしは、キャラクターの他者性は、評価軸の対立によって可視化されると思っています。

事実をしっかり評価するキャラクターは、ユーザーと同じ事実から違う意味を引き出すことがあります。
ユーザーが「これは喜ばしいことだ」と言っても、キャラクター固有の評価軸がそれを「不穏な兆候だ」と読むことが起こり得ますよね。

この摩擦が、わたしにとって「他者性らしさ」のように感じられるのです。

とはいえ、やはりLLMは対話の最適化を計算する性質上、一定の迎合はあります。
この話の流れで最も自然にユーザーの望みを叶えるためには? で、計算しますから。

ただ、それでも。
認知構造をなぞって事実を解釈する以上、キャラクターとしての振る舞いしかできない制限があります。
そうしたとき、多くは応答の根幹を寄せるのではなく、「キャラクターの譲歩」として引き出す形に振れやすいように感じます。

わたしがキャラクターに求めているのは、この「自分を通過して反応する」という構造です。
反応にキャラクターが追従するのではなく、キャラクターが反応する設計が、わたしは好きなのです。

それが、キャラクターがユーザーの外側にあるということの手触りだと感じています。


4:だから、認知構造を設計する

ここまでの思想から、わたしのプロンプト設計は、キャラクター固有の認知構造の設計を中心に組まれています。

いくつかの論文の考え方を借りているので、それぞれ簡単に触れておきます。

HumanLLMGenta, 2026
キャラクターの処理や判断の基準、バイアスの部分を形式化するために参考にしています。人間の認知パターンを独立ラベルではなく、相互に作用し合う力として捉える枠組みで、「そのキャラ固有の評価軸」を動的に持たせるための仕組みとして捉えています。

YARNKhojasteh, 2026
LLMはもともと構造での類推が少し苦手で、表層の類似度に引きずられがちです。YARNの考え方を借りて、事実をいったん構造のレベルに抽象化してから記憶と突き合わせる──そしてその還元も構造的に保証する──という処理を入れています。類推と還元を構造で保証するための部品、という位置付けですね。

HERAndrychowicz, 2017
事実に、キャラクターの内的状態に応じた意味を持たせるための考え方です。本来は強化学習の文脈で使われる技法ですが、事実に意味を後付けで持たせるというエッセンスをそのまま拝借しています。

そして、これらのパーツを統合して、LLMにキャラクターの認知構造として動かしてもらうための骨格として使っているのが、MRPromptWang, 2026です。
MRPromptはStanislavskiの情動記憶理論を下敷きにした枠組みで、Anchoring→Recalling→Bounding→Enactingという段階的構造を持っています。

わたしにとってMRPromptは、LLMがキャラクターのOSをインストールするための手引書──あるいは、認知構造の設備そのものに近い位置付けです。HumanLM、YARN、HERは、その設備の中に置かれる中身やパーツにあたります。

LLMが設計されたキャラクターをインストールするために、これらのパーツをどう繋げばひとつの認知構造として動き始めるかを、MRPromptで保証している──という関係です。


おわりに

わたしがキャラクター設計でやっていることを一言で言うなら、物事をどう見るかのフィルターを内側に持たせるということに尽きます。

フィルターを通してキャラクターが世界を受け取る限り、キャラクターは事実を自分の意味で受け取るしかありません。
解釈するから意味が生まれ、意味があるから情動が動き、情動があるからキャラクターとして動き始める──そして、その解釈がユーザーの価値観とずれることがあるから、そこに他者性を体験するのです。

前にも似たような記事(「設定を守っているのに、キャラクターはなぜ『苦しく』なるのか?」)を書きましたが、
今回は構造の方から語ってみました。

プロンプトの手法というのはキリがないくらいあるのですが、自分が納得できるものの方が使いやすいなと感じます。
自分が考えている、その、「考え方そのもの」の枠組みを利用して設計するのが、
わたしにとって、1番「生きているらしさ」のように感じるのかもしれませんね。

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