清明の日のお散歩【#私の二十四節気】
4月5日は、二十四節気の【清明】だという。
春分の日など一部を除けば、これまであまり馴染みの無かった二十四節気。
けれど、この清明は、沖縄の清明祭(シーミー、と発音するらしい)という風習で聞いたことがあった。
というか、基本的に食いしん坊の私は、以前、何かの本で見た清明祭の沖縄料理のお供えのお餅がとても美味しそうで、印象に残っていた。
沖縄の清明祭では、ご先祖の墓前にご馳走をお供えした後、参列者みんなでそれをいただくのだという。
大きな重箱に、色とりどりのご馳走が詰められているのは、北海道でも「おせち料理」でなら見慣れていた。
けれど、重箱のひとつにお餅がぎっしり詰められている、というのは、いわゆるおせち料理には無いものだった。
お餅が大好きで、出来ることならお正月だけでなく一年中お餅を食べたいと思ってしまう私にとっては、沖縄の清明祭の御重は憧れだった。
もちろん、墓前へのお供えに対して、こんなことを思うのは不謹慎かもしれない。
けれど、そのくらい、美味しそうな御重だった。
そんな、清明の今日。
本来ならば、立春同様、お墓参りに行くべきなのだろう。
しかし、私の今の住まいは故郷の北海道から遠く離れた宮城県仙台市である。
しかも、前日の土曜日も私は仕事。そのため、夫の地元の石巻にある義父のお墓にも行けなかった。
申し訳なさを感じながら、迎えた日曜の朝。
窓を開けると、風を柔らかく感じた。


最高気温20°超え。
そんな、暖かい一日となった4月5日は、私も夫も大好きだったプロレスラー・樋口和貞選手の引退セレモニーが行われる日でもあった。
午前11時半から、夫婦でネット配信で試合中継に釘付けになること約3時間。
ボックスティッシュが1箱カラになるくらい二人で泣いた後、どちらからともなく「散歩でも行くか?」となった。
泣きすぎてぼーっとしたまま外へ出て、歩くこと十数分。
郊外の公園では、桜が咲き始めていた。








時間は過ぎる。
季節は移る。
過ぎ去ってしまった日々や、会えなくなってしまった人に伝える言葉は「ありがとう」だけなんだろうと思う。
今日はどんなに泣いたとしても、明日になれば自分には自分の仕事があり、どんなに大好きなことも四六時中考え続けてはいられない。
生きてゆく、って、多分、そういうことだ。
ならば、「ありがとう」を繰り返し伝え続けてゆくためにも、長生きしたいと思う。
元気で、暮らしてゆきたいと思う。
清明の日に、そんなことを思った。
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