徹底的に課題文・問題文を読めば小論文は自ずと書ける!~『考える力をつける論文教室』(今野雅方)の感想と共に~【小論文対策】
更新日:2025/10/31
小論文・作文指導者の〆野が普段の添削・採点指導で教えている、作文・小論文・志望理由書作成における実践的な技法をレクチャーするのが、このシリーズ【文章作成の実践】。
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(〆野の自己紹介はこちらから見られます。)
課題文・問題文の読みとりからシームレスに小論文の作成に移行するには?
「どう書くか」に先立つ「どう読むか」
『考える力をつける論文教室』は、その名が示すように著者が主宰となっている「論文教室」での講義の記録です。「本書は、四月に論文のことをなにひとつ知らずに授業に参加した生徒たちが、課題文が読め、設問の要求に応えられるようになってゆく過程を追った、いわば成長物語」だと、著者は言います。著者は、東北大学建築学科、早稲田大学(仏文学)大学院博士修士修了、現在NPO日本論文教育センター代表を務める(2011年当時)今野雅方氏。こちらの本の感想と共に、「課題文・問題文の読みとりと小論文の作成との接続」について考えていきます。
しかし、「論文教室」の講義と聞くと「システマティックな小論文の書き方」がメインの話かなと思われるかもしれませんが、この本は「ややもすると泥臭い(失礼!)課題文の読み方」の本です。読み方については詳細にレクチャーしていますが、書き方について具体的に言及することは一部に限ります。それには、氏の「生徒の論文作成をめぐる状況」についての考えが関係していると言えるでしょう。
「書けない。なにを書いてよいかわからない。仕方がないから課題文をなぞる――これが論文の授業を受けはじめた生徒や学生ほとんどの状態と言ってよいでしょう。この状態は大学入試に論文が導入されはじめた時期から現在までの二十年あまり(〆野注:本書は2011年発行)、基本的に変わっていないと見られます。」と本書ははじまり、論文試験で要求されることをつかめずにそれに応えることができない生徒たちの苦悩や、その要求に応じた教育ができていない制度上の問題について述べています。これは私も「一小論文指導者」として全く分かる話ですが、その上で、論文試験とは何かについて、著者は次のように言っています。
要するに、論文試験の論文なるものは、世の中のことをどれだけ考えてきたか、自分のことをどれだけ知るようになったかを、かぎられた字数で示すものなのです。
本書でも指摘されているように、知識偏重の教育から脱却し問題解決型の教育へと移行する一手段として80年代から小論文試験が採用されました。ですから、「論文試験の本義」を考えれば、それは「その生徒にどれだけの思考力や問題解決能力があるのかを問うもの」であるはずです。であるとしたら、その論文作成の指導は「そうした力を育成するものでなくてはならない」し、生徒自らが行う論文の勉強も「そうした力を身につけるものでなくてはならない」はずです。
しかし、これは自省でもあるのですが、必ずしもそういう指導になっていないときがあります。受験テクニック的でマニュアル的な、表層的な指導にとどまってしまっているときがあります。これについて、「一小論文指導者」としては「そうするしかしようがなかったことに対する言い訳」をいくらでもできるわけですが、「それが本質的な指導か」と問われると「否」と言わざるを得ません。
今野氏はこう言います。
しかし、最初の段階では、そんなもの(〆野注:マニュアルやマニュアル授業)は全部ほうり投げて、とにかく書いてみることです。(中略)論の恰好などはどうでもいい。文章が下手でもなんでも一向にかまわない。現実と取っ組み合いをして、そのほんの一部でもいいからわかる手がかりが得られたら大成功です。後は同様の試みをくりかえせばよく、そのうちに形式やことばも整ってきます。
重要なことは、「どう書くか」ではなく、課題文などの課題資料が提示する現実と取っ組み合うこと、すなわちそれを「どう読むか」だと言います。文章作成能力はその後から自ずとついてくる、これが今野氏の基本的な考え方です。
思えば、私も「何かの小論文の書き方を学んだ上で書かれた空疎な中身のない小論文」をいくつも目にしてきました。そして、それは往々にして「課題文の内容や問題文の要求や意図を読みとれていないもの」でした。これは、別の複数の記事でも言っているように、「失敗している小論文のほとんどは課題や問題が読めていないもの」なのです。この点からも、今野氏の「『どう書くか』よりも『どう読むか』が大事」という姿勢は、指導者や生徒共に大事にすべきものだと思います。
(「課題」・「問題」に答えていないのがほとんどの小論文の失敗要因です)
論文とは課題文との対話
課題文をどう読むかについて、今野氏は「論文とは対話」だと言います。
(略)ことばのやり取りでは、一方がなにかを言い、他方がそれに応える、ということばの一往復が基本単位になっています。この一往復は、実は、そのまま論文試験にもあらわれています。論文試験では、その前半を課題文が受けもち、後半を受験者が受けもっているからです。課題文のほうがまず語りかけ、受験生が同じく文章でそれに応えることで、試験がなりたっているわけです。
これは、とてもシンプルに「課題文と小論文の適切な関係」を言い表していると思います。こうした関係性の下で、小論文や作文を最初から書けている生徒は、私の知る限りあまりいません。もちろん、だからこそ私のような仕事がこの世に成り立つわけですが、こうした「試験問題としての構造」を受験生も知っておく必要があるでしょう。
課題文で言っていることがその通りだと思うなら「うんうんそうだよね(賛成)」という返答(小論文)になるでしょうし、違うと思うなら「いやそれは違うよね(反対)」という返答になるでしょう。また、課題文が「この問題についてみなさんならどう考えますか?」といった問題提起的な文章なら、「私ならこういう風に考えるけどな」という返答になります。別の記事でも書きましたが、「その課題文に応じる姿勢」が小論文では必要です。そうした点で「論文は対話」と言えます。
(小論文では、課題文や問いに答える姿勢が必要です。)
ここまで読んできて、受験生なら「それなら簡単だ」と思う人もいるかもしれません。でも、話はそう単純ではありません。「言うは易く行うは難し」です。ここだけ理解しても、小論文試験に十分に臨むことはできません。「論文の勉強で厄介なことは、実は考えることではなく、課題文を理解することです。」と今野氏は言います。当たり前のことですが、相手の言うことをしっかり理解できていなければ、それに対して十分に回答することができず、とんちんかんな回答になってしまいます。
課題文に選ばれる文章は、ひとりの人が試行錯誤をかさねながら積みあげていった経験から語りだされていることが多いので、おしゃべりのときのように気軽に理解することはできません。これが演習で失敗した理由のひとつです。それでもそんな文章を読み解くのは、誰にでも、わかりたい、という気持ちがあるからです。試験はその成果を問う場なのです。
このように、小論文作成には課題文の徹底的な理解が不可欠であるわけですが、課題文の何を理解するのかを知っておく必要があります。それは、今野氏も言っていますが、課題文のメッセージ(課題文筆者の意見・主張)と、そうしたことをなぜ言っているのかという根拠です。これが何なのかを考えながら課題文を読むことが大切です。
(課題要約の大切さについて)
出題者というもう一人の対話相手
こうした「読解の基本を実行することが、そのまま論文を仕上げること」になると今野氏は語ります。こうした点から「書くべきことは課題文を検討すればおのずから生まれる」のであり、「課題文からはなれ、自分の頭だけで考えることはしない」ようになるというわけです。このように「課題文の読解から地続きに小論文の作成に入る流れ」が最も理想的だと私も思っています。
さて、「論文は対話だ」と言いましたが、課題文の筆者以外にもう一人対話相手がいます。問題文を書いた出題者です。これは、私も小論文の指導の中で常々言っていますが、「小論文試験も試験である以上『問題に応える』姿勢が大切」です。課題文の内容に対して答える姿勢も必要ですが、「試験問題の構造とたてつけ」から考えて「その課題文を出題者がどういう出題意図で課題文として採用したのか」をおさえる必要があります。課題文は当然課題文の筆者の意図に基づいて書かれていますが、その意図とそれを試験問題として採用した出題者の意図とが若干異なっている場合があるからです。「この文章をこういう問題としてとらえて答えて欲しい」という出題者の出題意図が別にある場合があるのです。その意図を伝えるために出題者は問題文に「工夫をこらし」ます。これについて、今野氏は東大後期の問題を用いながら、このように言っています。
この疑問(〆野注:なぜ設問に工夫をこらすか)を解く鍵は、やはり対話の第一の相手は課題文の筆者である、という点にあります。その筆者との応答を前面にだすなら、第二の対話者(設問の提示者・出題者)は自分を黒子にして、設問の文面を「次の文章を読んで、考えるところを述べなさい」、などとするのが当然でした。
しかも、この設問は、もっとも単純でありながら、もっともむずかしい設問になるのでした。(中略)ここではもうひとつ、それもおそろしく基本的な理由をあげます。
それは、例の「文章を読むことは簡単ではない」です。
「次の文章を読んで、考えるところを述べなさい」はとてもシンプルで制約がないため答えやすいと感じる受験生も多いでしょう。しかし、これは、こうした問題文の小論文を書いてみればすぐに気づけますが、今野氏も言っているように、かえって難しいものとなります。なぜなら、課題文の十分な理解の有無のみがその小論文のクオリティーを決めるからです。現代文や小論文で課題文として採用される文章は、評論家や大学教授、各種専門家が大人向けに書いている難解な評論文がほとんどです。それを果たして、高校生や大学受験生が試験時間内に正確に読み解けるのかどうか……。出題者には当然こうした危惧があります。課題文が正確に読めないのならば、「それに答える小論文の問題」としてそれは成立しないからです。そのため、「答えやすいように問題文に『導線』を設ける」ことがほとんどです。
実際、東大の問題でも、設問は「一切の痕跡を残さずに死んでいった普通の人々に個人性を与えるという、コルバンの試みについて」と課題文の核心にからんだ文面を作っています。試験でこれが課題文の核心であるとか筆者の言いたいことであると明示するのはやり過ぎだから明示しないだけで、これははっきり言って手助けです。
問題文には、こうした「手助け」や「導線」が出題者によって仕掛けられていることがほとんどです。こういう「誘導」には積極的に乗っかるのが小論文を作成する上でのポイントになります(というか乗っかって答えて欲しいのでわざわざ問題文に書いています)。つまり「これについて小論文では答えてください」と出題者は明示しているのです。回答する場合は、この「出題者の誘導を見逃さないようにする」ことが大切です。
また、本書で挙げている東大後期の問題文には「賛成または反対の立場から」という言葉も併せて記されています。これについて、今野氏は、「書く方向がわかる」、「何について書けばよいかがわかる」ようにしていると結論づけています。こう書かれることで、読む側(受験生)はどういう方向で読んでどういう方向で書くかが定まりやすくなるのです。これも一つの「誘導」であり、「出題者はこういう観点で課題文について考えて欲しいのだな」ということがわかるため、小論文の作成もしやすくなります。
こうした「出題者との対話」も小論文には欠かせないと言えるでしょう。
(テーマ型小論文もシンプルな設問形式ですが、簡単ではありません。問題文がシンプルであればあるほど、「誘導」がないので難しくなります)
まとめ ~課題文・問題文を正確に読むことから小論文は生まれる~
今野氏のこうした指導内容や指導指針に対しては、全面的に賛成します。
課題文・問題文を徹底的に読むことで「書くべき内容が見えてくる」、そういう点から、本書は書く技法についてほとんど述べていません。これも以前から私も別記事で言っていますが、受験小論文は文学賞ではありません。その論のオリジナリティーや独創性、また表現技術や能力が手放しで評価されるものではありません。受験小論文はあくまで「入試問題」です。理数系の教科などのようにただ一つの答えが決まるというものではありませんが、小論文にも「出題者が想定している答えの範囲」というものがあります。そこにはまらなければ得点や評価に結びつかないのです。ですから、書く技法が問題ではないのです。
その「想定される答えの範囲」を規定するのが課題文と問題文です。ここで言っている課題文・問題文を徹底的に読むことで見えてくる「書くべき内容」とは、そういうものだと思います。
なお、本筋とは関係ないですが、今野氏はこの指導は二年かかるというようなことを言っています。本書によると一つの文章に何回かの講義を重ねる「スローリーディング」スタイルなので時間がかかるだろうなとは思いますが、果たしてこういう指導を普通の塾・予備校や高校でできるのかどうか……。大学受験生は小論文だけ勉強していればいいわけではなく、むしろ主要教科に勉強時間を大きく割かないといけませんからね。ここまでの指導をしたいところですが、生徒さんが最後までついてきてくれるかどうかがちょっと疑問ではあります(笑)。二年も小論文の勉強してくれたらいいとは思いますが……。
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