『置かれた場所で咲きなさい』 読書共有【第56弾】
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はじめに
今回は渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎、2012年)から共有です。
本書は、カトリック修道女であり教育者でもある著者が、日々の体験や気づきをもとに綴ったエッセイ集で、メインテーマはタイトルにもあるように「置かれた場所で咲くこと」です。
本書で一貫して説かれているのは、いま自分が置かれた場所で不平不満を言うのではなく、そこで自分なりに最善を尽くすことで自らの可能性を開花させ、また他者にも良い影響を与えていく在り方が大切だということです。
著者はキリスト教徒で、本書にも聖書やそれに基づく教えが散りばめられていますが、奇しくも禅仏教に「大地黄金」という禅語があり、それが意味するのは「たとえそこがどこであれ、いまいるところ、自分が置かれている場所で、精いっぱい尽くす。すると、その場所が黄金のように輝いてくる」ということだそうです(下記リンク参照)。宗教が違っても着地が似たような思想になることはあるようで、とても興味深いと思います。
今回は、本書の根幹である「置かれたところで咲く」という考え方を主軸に、私が面白いと感じた箇所を共有してまいります。
置かれたところで咲く
著者は、「人はどんな場所でも幸せを見つけることができる」と言います。
これは単なる楽観論ではなく、著者自身が過酷な修道生活を経て辿り着いた境地です。こうした事情は、以下のように綴られています。
初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて〔中略〕自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。
このように、本書のタイトルと内容は著者自身の実体験からきていると言え、「置かれたところで咲きなさい」という教えがそのまま著者の生き方に反映されていきます。この教えは、日常生活の実践項目に追加されるといった類のものではなく、人生そのものを大きく変える根本的な実践であると言えます。著者は次のように述べています。
私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。
こうして、著者は自らの考え方を根本から変えることで、主体的で自責的な生き方を選び取っていったのです。そして「環境の奴隷」ではなく「環境の主人」として、「置かれたところで咲きなさい」という教えを著者なりに実践していった結果、「人はどんな場所でも幸せを見つけることができる」という結論に到達します。
ここでさらに重要なのが、こうした生き方が自分自身だけでなく他者をも幸せにしていくということです。著者は次のように言います。
「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」
こうして、「置かれたところで咲きなさい」という教えは、自分の幸せにも他者の幸せにも寄与する実践として結実するのです。著者は、「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方」だと言います。「環境の奴隷」あるいは「環境の主人」として、どちらの生き方で時間を使い、いのちを使うかは、常に自分自身の決断にかかっていると言えるでしょう。
境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう。
なお、本書の考え方に共感された方には以下の著作もオススメできます。
順風満帆な人生などない
本書ではおよそ上記の観点からたくさんのエッセイが展開されていくのですが、ここでは「順風満帆な人生などない」と題されたエッセイの内容を共有いたします。
まず著者は、おそらく誰もが各々の人生で向き合うことになるであろう「穴」の存在について指摘し、それが人生に新しい見方を開くものとして、次のように述べています。
「私たち一人ひとりの生活や心の中には、思いがけない穴がポッカリ開くことがあり、そこから冷たい隙間風が吹くことがあります。それは病気であったり、大切な人の死であったり、他人とのもめごと、事業の失敗など、穴の大小、深さ、浅さもさまざまです。その穴を埋めることも大切かもしれませんが、穴が開くまで見えなかったものを、穴から見るということも、生き方として大切なのです」
「人生の穴からのみ、見えてくるものがあります。そこから吹いてくる風の冷たさで、その時まで気付かなかった他人の愛や優しさに、目を開かされることがあるのです」
ここで重要なのは、一見して消極的に見える人生の「穴」を通して、これまで見えなかった、見落としてきた、気づけなかった大切なものを積極的に見ることの大切さです。「思わぬ不幸な出来事や失敗から、本当に大切なことに気付くことがある」ということです。
この「穴」を埋めるということは、おそらく一般的に行われている対処法だと思われますが、この「穴」を埋めずにかえってそこから見るという今「置かれた場所」に基づく発想の転換は、現在の波乱に満ちた、混沌とした世の中を生きていく上で、またお客様の人生に寄り添う上でも必要な考え方だと思うのです。
先述のように、「置かれたところで咲きなさい」という教えは、自分の幸せにも他者の幸せにも寄与する実践として結実するのでした。だとすれば、自分自身の「穴」を理解することに加えて、他者(例えばお客様)の「穴」を理解することも極めて重要になってくると言えます。
このとき、いたずらに他者の「穴」を埋めようとせず、その「穴」から何が見えてくるかを共に見届けることも大切なように思うのです。もちろん、埋めるべき「穴」もあるにはあるでしょう。ただ、「穴」から新たに何が見えてくるのか、次にそこからどこに行こうとするのかを理解することは、他者への寄り添いとして重要な観点であろうと思います。
人生はいわば「穴」だらけで「順風満帆な人生などない」というのは、そもそも人生とはそういうものだからでしょう。このシンプルな自覚は決して諦めではなく、この「穴」から新たに始まる諸々の展開が期待されているのです。こうした自覚から始まる思考や実践にこそ、自他の人生の、また時代の突破口を開く力が出てくると私は考えています。
置かれた場所で咲けない場合
最後に、「置かれた場所で咲けない」場合についても考察しておくことにします。これについて、著者は次のように述べています。
どうしても咲けない時もあります。雨風の強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
この記述は、キリスト教の徳である「忍耐」を思い起こさせます。ただここで注意が必要なのは、もし「咲けない」場合であっても、依然として「置かれた場所」に忍耐強くとどまることが前提とされている点です。
確かに、「置かれたところで咲きなさい」という教えは逆境や困難の中でも自分らしく生きることを促す素晴らしい教えです。しかしながら、すべての状況に当てはめるのは困難であり、むしろその教えに反する行動が必要とされる場面もあるでしょう。現代では、以下のような例が挙げられるように思います。
・退職代行を使っての退職
・DVや虐待からの避難
・ブラック企業からの転職
・学校でのいじめによる転校・不登校
・ジェンダーやアイデンティティの抑圧からの離脱
上記のように、すでに根が腐りそうな土壌に無理して咲こうとするよりも、自分が咲けるより良い場所に移ることが成長や成功、幸福につながることもあり得ると考えられます。
ただし、「置かれたところで咲きなさい」という教えと実践が、上述の悪環境さえも良い環境に変えてしまう可能性も一概に否定できないでしょう。このあたりはケースバイケースと言えますが、今後の自分の環境や社会の環境を考えていく上で、本書の考え方が貴重な材料を提供している点に変わりはないと言えます。
おわりに
今回も最後までお読みいただきまして誠にありがとうございます。
日々少しずつ閲覧数やリアクション数、フォロワー数も増えてきて嬉しい限りです。今後も最低週1回の更新を目指して頑張ってまいります。
あえて本の要約といったことはメインとせず、私なりの観点から面白いと思った箇所の共有という限定的な内容にしております。それが少しでも皆様の記憶に残り、日々の読書体験の深まりや具体的な行動・実践に繋がるのであれば幸いでございます。
それでは今後とも宜しくお願い申し上げます。
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