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駒ヶ根ソースかつ丼とトマト

MCの神田さんが、ご当地グルメで山賊焼や、また、ソースかつ丼の話をしていた。

朝ポキMedia Talk 日曜版(正しくは神田大介の日曜天国 嘘)の配信である。回をまたいで二度も、「ソースかつ丼といえば駒ヶ根」と言う。

神田さんは岐阜のソースかつ丼が一番だという。一番は岐阜。駒ヶ根は二番である。

二番だけど今回は説明する。なにせ今日は南信から高速バスに3時間以上も揺られて長野市役所ホールまで娘のバレエ発表会だ。荻原健司さんには会えない。

道中Geminiで山賊焼やらソースカツ丼を調べ始めたら寝ずに長野についた。山賊焼は、鳥を揚げる、取り上げるぞーという山賊のイメージからのネーミングらしい。しらんけど。そっちはあっさりとDiscordに書いた。

バレエは4時間も座ってみた。豪華なゲストで発表会レビチだ。娘は今までで一番良かった。いつの発表会もその時が一番良い。

帰り道、長野駅の明治亭でソースかつ丼を買って帰るとした。1800円もした。世の中の値段が変わっていた。バス発車まで20分あるから、駅のイートインしてよいであろうテーブルで久々のソースカツ丼を頬張った。

「人生勝丼」

ひと生活ドン とくる。そんなことも考えていた。

うまい。1048Kcal。ソースが甘辛旨いか。弁当だからキャベツはしんなり。ご飯が進む。いや、進めないとバスが出る。早々にご馳走になってバス停へ向かった。

そして、ふと思った。

そもそも、なんで駒ヶ根でソースかつ丼なのか。こういう「そもそも」が、今日をおかしくする。

調べてみると、トマトが出てきた。トマト。なんでだ。ソースかつ丼からトマト。話が違う。

駒ヶ根の食文化をたどっていくと、昔このあたりに○ゴメ(旧愛知トマト)の加工工場があったという話にぶつかる。そうだった。伊那谷は、もっとトマトを作っていたとよく聞いたもんだ。えらかったなーなんて爺さん婆さん達が言っていた。昔はもっと涼しかっただろ!

ウスターソースにトマトピューレなどを入れたのだ。重増しにも重宝するってのは勝手な想像だが、聞いたことある話では、駒ヶ根にトマトの集荷場兼加工場があったってこと。運送会社の人が話してくれた。今は加工場は全て那須高原に移動したけど。

実は私もやっていた。
六十アール。
約六反。

○ゴメの加工用トマトである。ジューストマトって、J○の指導員がマウントとるパンチパーマで、都会からきたわたしのような移住農業初心者はなっから下にみられていた。トマトで忙しい時期に梅の苗を移動してとか言うので、苦言を呈したら奴はビビったらしい。従順な組合員しかいないもんなのか。Gトマトって略して紙に書いてた。そこを突っ込んだか否かは覚えていない。must be J as a juice

いま思えば、あれは農業ではなかった。修行だった。いや修行も知らなかっただけか。朝5時から畑に入り、シルバー人材センターのおばあちゃんたちと一緒に、発泡スチロールの椅子が尻にくっ付いて移動出来るようにゴムで腰にくくりつけて、皿洗いのビニール手袋してトマト汁まみれになりながら蟹移動して畝に手を突っ込んでコンテナ7分目まで入れた。トマトをいただく。と言いたいが、とにかく穫る。機械的に穫る。収穫出来れば良いが、その前の梅雨時期に湿気で菌が蔓延する。消毒(農薬散布)は1週間おきだとJ○と○ゴメはタッグを組んで提唱する。農薬まみれの現代農業は具合が悪くなった。トマトの木は元気を失うと復活はなかなか厳しい。

収穫期は暑い。とにかく暑い。トマトは赤い。人間も赤くなる。婆さん達は体力がない。シルバー仲間とお喋りしに来てるようなもんだから1時間半おきのお茶の時間が本番だ。僕がいないと30分以上平気でお茶してるけどご愛嬌。

コンテナ一箱15キロ。

500円ちょい。いまでは600円を超えたか?
1 キロ40円。何の数字だ。人生やトマトの尊厳もない。トマトの値段である。そこから○Aの手数料やら部会費やらが引かれる。

しかも、お盆に一番採れる。
世間では「お盆休みです」と言っている。
休めない。赤くなったら採る。採らないと腐る。盆明けに数百コンテナ以上だしたか記憶はうっすら。

畑に置いておけば、トマトは勝手に熟して腐る。虫にも食われる。人間も死にそうになる。私はやめた。加工用トマト60アール。敗北である。

しかし、あの畑で食ったJトマトの味だけは覚えている。生で食えば、たいしてうまくない。味音痴のわたしは食べられる。オリーブオイルとゲランドの塩をかけるとうまい。

さらに火を入れる。うまい。
煮詰める。ものすごくうまい。

パスタのトマトソースやラタトゥユには最高だ。乃木坂のフレンチレストランでバイトしていた頃にシェフ直伝のラタトゥユレシピを教わった。ちょっと忘れたが順番が大事だ。トマトは生のトマトからカットして熱する。ナスは別で焼き揚げといて、パプリカ、トマト煮込んだところにジュワッと導入。最後にピーマン、緑ズッキーニだったような。常に蓋して無水。冷やしてから頂く。

トマトというのは、火を入れると突然、本気を出す。

そこで、朝リスDiscord THE談会での、○えたさんを思い出した。○えたさんは、生トマトが嫌いだ。どんなに甘いトマトでも嫌いだという。

何故か?と私は思っていた。
生でカットした桃太郎やアイコ、ミニトマトやらプチトマト生で美味いだろー


長野駅前帰りのバス。時間前にバス停で待てどバスが来ない。5分経ってもこないなんて日本では珍しいはず。窓口に聞くと。もう出発したという。バス停を間違えていた。

やってしまった。最終バスが行ってしまった。21時には家に着く予定だった。愛犬が待っている。電車があった。長野19時発岡谷経由で飯田線23時着。駒ヶ根ソースかつ丼調べの時間が出来た。


調べると、○えたさんのほうが正しい。

トマトは煮ろ。
ソースにしろ。

そういうことを、明治の日本でも言っていた人がいる。

津田仙
津田梅子のお父さんである。

……津田梅子

ソースかつ丼の話だったはずだ。
ここから話は、さらにおかしくなる。

トマトはもともと南米アンデスの植物であるとさ。ヨーロッパに渡ったころには、毒があると思われたり、200年も食べずに観賞用にされたりした、らしい。

この文章は常にハルシネーションに注意。

18世紀頃にナポリ(イタリア)の貧困層が食べ始め、やがて生食と加工の文化が花開く。

モッツァレラと食べるトマト(カプレーゼなど):イタリアで生食されるトマト(サンマルツァーノの完熟前のものや、カプレーゼ用の「クオーレ・ディ・ブーエ(牛の心臓?)」など)は、オリーブオイルと塩、チーズの脂分と一緒に食べる。

青くささや酸味があっても、油脂や乳製品の旨味・コクと合わさることで爆発的に美味しくなるという「食べ方の知恵」が西洋にはあったらしい。

加工用トマト:一方で、ナポリの太陽を浴びて樹上で真っ赤に熟した「加熱用・缶詰用トマト」は、生でかじると皮が硬くザラつくが加熱すると圧倒的な旨味(グルタミン酸)が出る。らしい。

昔の日本人が「生トマト嫌い」だった理由

明治〜昭和初期に津田仙たちが導入した初期の西洋トマトは、次の3つの理由で日本人に不評。○えたさんの舌と同じだ。

1. 品種が「青くさくて酸っぱい」
当時のアメリカ品種は、酸味が強く、独特の青くさい匂い(ピラジンやヘキセナールなどの香気成分)が強烈。

2. 青切り(青いまま収穫)して運んでいた
当時の物流(トラックや保冷技術がない時代)では、完熟させて出荷すると腐ってしまうため、青い硬いうちに収穫して輸送中に赤くさせる(追熟)手法が取られていた。樹上で熟していないので、甘みも旨味もなく、青くささだけが残っていたらしい。

3. 日本には「オリーブオイルやドレッシング」が無かった

醤油や味噌ベースの和食文化の中に、青くさくて酸っぱい生トマトがポツンと出されても、合わせようがない。だから津田仙は「醤油で煮たり、スープやソース(加熱)にせよ」と教えたみたい。

1893年にはアメリカ最高裁まで出てくる。
「トマトは果物か、野菜か」裁判である。

人類は、そこまで揉める。
結論は、野菜。

植物学的には果実だろうが、飯のおかずとして食っているんだから野菜だ、と。

そして、ここから先は、もう書かないほうがいい。書かないほうがいいのだが、家系図を探ると、わたしの母の叔母の結婚相手が上野不二雄。その不二雄氏の父が上野栄三郎という農学者であり、津田仙と共に農学者・農学のパイオニアとして津田仙が創設した「学農社」や、西洋農学・園芸の導入において共に活動していた。栄三郎の結婚相手が津田琴子。琴子の妹が津田梅子。

津田梅子は1871年、日本初の女子留学生の最年少(6歳)として岩倉使節団と共にアメリカへ渡った。父の津田仙は当初、梅子の姉、琴子にアメリカ留学を提案したが琴子は断った。次に幼少時の梅子に訊くと首を縦に返事したとか。参考文献あり。たしか、高橋裕子著、岩波ジュニア新書

つまり、母の叔母の夫の叔母が津田梅子。遠い。親戚というには遠すぎる。しかし家系図というものは恐ろしい。

婚縁の遠戚です!と言える距離まで線を引っ張ると、突然、五千円札が出てくる。小学三年生だった我が家の娘が夏休みの小学生新聞を作った。「津田梅子新聞」その話はまたしよう。いや今しよう。娘を車に乗せて津田塾大学まで取材に行った。コロナ禍で入場が制限されていた時期。丁寧に接してくれた資料館の方に感謝むっちゃグラシアス。



ソースかつ丼の話をしていたのではなかったか。神田さんが駒ヶ根のソースかつ丼を二番目に推した。

私は明治亭のカツを食べた。ソースのことを調べたら昔、自分がトマトを作っていたことを思い出した。朝リスリーダーの○ンタンさんは○ゴメの生食トマトを庭だかベランダで栽培しているという。トマトは生か加熱か?問題。

原住民(アステカ族)の食べ方

現地の人々は、生食も加熱も、両方やっていた。ただし、日本の「完熟生トマトをそのままガブリ」とは全然違う。

1. 唐辛子や塩とすり潰す「サルサ(ソース)」ムシカや踊りのサルサの話はまた今度しよう。

石臼(モルカヘテ)でトマト、唐辛子、塩、野生のハーブを一緒につぶしてドロドロのソースにし、トウモロコシの生地(タコスやタマル)や肉・魚にかけて食べていた。これが現代の「サルサソース」の原型。ソースソース。

2. 煮込み料理のベース
かぼちゃの種や肉と一緒に煮込んでスープにしていた。

つまり、原住民にとってもトマトは「果物としてかじるもの」ではなく、「唐辛子の辛味を和らげ、旨味と酸味を足すための『万能ソース調味料』」だった。

Geminiが説明っぽいのでちょっとGPTに乗り換えた。岡谷駅から飯田線に乗り込んでいる。

昔、トマトは野菜が果物か?アメリカでは裁判があったらしい。果物だと減税、野菜だと課税。デザートでは食べないだろう、ってことで野菜になった。 あれ、2回目だ。わたしがバグっている。

現代台湾じゃ、トマトと桃をあわせたデザートがあるとか。今の日本のトマトは甘い!と世界のシェフが唸るらしい。ハルシネーションのかの可能性あり。

さて、○ゴメのJ○トマトは、15キロ500円。だった。買取契約。収穫1日トン越え。破棄するトマトはそれを越える時もあった。畑の通路には基準に満たず畝から放って潰したトマトの皮がカラカラに乾いて真っ赤な絨毯。暑かった。つらかった。収穫機も導入したが、結局人が四人も機械に乗るだけ。二人は手でトマトの木を刈り取る。コンテナに入れる。コンテナを置いてく、軽トラで回収する。下手すりゃ2トン車に載せ出荷場でパレットに積んでく。

収穫後にはナフサ由来のマルチも片付けねばならない。生分解性のマルチも試したがすぐに破けて使い物にならなかった。理に合わないのはリニア新幹線だけではない。イタリアなどでコンバインみたいに活躍する効率化された機械は大規模農場の話だ。

アンデスからスペイン、イタリア、アメリカ最高裁を経由して、中川村の畑を通り、津田梅子まで来てしまった。

人生というのは、こういうものなのだろう。

大事なことは、たぶん自家栽培するトマトなんだろう。けど暑くて出れない。買った方が楽だ。そのうち買えなくなる日が来るまで分からないのが愚かなのがわたしだ。

やっと最寄りの駅に着く。23:28。AIはもっと長かったが短くしたら旨みは消えた。自分で編集したらお調子者の5200字が出来上がった。

トマトと同時にリンゴ栽培もしてたから、甘ったるいリンゴジュースにJトマトを独自ミックスしたジュースを加工所で作って貰って商品化したこともあったなー。絶妙なバランスでトマトジュース嫌いにもリンゴジュース嫌いにもウケた飲みものだった事を思い出した。駒ヶ根ソースカツ丼のソース作りみたいなことをしていた。今だったら、クラフトコーラにトマトリンゴジュースを混ぜると売れるかも知れないがやる気なし。

(なお、上野不二雄氏と朝日新聞社の創業家の上野家は別系統であるとさ。ホットしたっと)

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