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夢見るレシピで謎解きを 第二話 探偵志望と失敗していないプリン/友井羊

 進路指導室のテーブルで、私は先生と向かい合っていた。壁際の本棚に大学名の書かれた赤本が並んでいる。スチールラックのパンフレットには公務員試験や専門学校など、私が想定していない進路が紹介されていた。
 私が説明を終えると、みや先生が感心したような顔つきで言った。
「探偵という仕事について、よく調べてきたようだな」
 開け放たれた窓からは放課後の校庭が見え、色分けされたユニフォームを着たサッカー部が試合形式で練習をしていた。
 進路指導の担当で一番えらいらしい宮先生は四十代後半の数学教師で、痩せ形で常に眉間にしわが寄っている。校則に厳しいこともあって生徒からは敬遠されていて、私も声が大きくて威圧的なところが少し苦手だった。
 私は高校を卒業したら探偵になるつもりだ。入学直後に提出した進路調査票にそう書いたら、宮先生に呼び出された。真面目に考えろと頭ごなしに否定され、私は腹が立った。そのため探偵という職業について学び直し、選ぶに値する仕事だと説き伏せることにしたのだ。
 探偵はれっきとした職業だ。日本には探偵業法という法律があって、探偵事務所や興信所はどちらも調査業者に分類されている。都道府県の各公安委員会に届出をした上で開業しているのだ。全国には七千もの調査業者が存在していて、さらに数も増えていることなどを、私は丁寧に説明した。
 これまで中学の教師や両親、親戚など、大人たちに探偵になりたいと告げても相手にされなかった。だけど宮先生は私の話に今日も耳を傾けてくれた。
「ただ、すずの話を聞いたら、前以上に進学を勧めたくなってきたな」
「どうしてですか?」
「業界の競争が激しいなら、自分だけの武器があったほうが勝ち残れるだろう」
「武器、ですか」
 前回の面談で聞いたのだけど、入学試験の点数はトップクラスだったようだ。私は昔から試験が得意だ。だから学校としては有名大学への進学実績を増やしたいのだろう。
 宮先生は探偵に役に立つという観点で色々な学部を勧めてきた。法律や心理学、医学などに精通していれば探偵として有利だという説得に、私の気持ちは揺らいだ。
「弁護士なら銀行の口座情報や戸籍謄本、住所など一般人には閲覧が不可能な情報を照会できるはずだ。いっそのこと司法試験に合格して、弁護士をしながら探偵をやってみたらどうだ」
「……考えてみます」
 宮先生の意見は一理ある。弁護士と探偵の兼業というのも面白そうだけど、何だかうまく丸め込まれている気がしてきた。すると不機嫌が顔に出ていたのか、宮先生が長く息を吐いた。
「急に言われても困るか。何を学ぶべきかゆっくり考えてみてくれ。それで鈴木は将来、どんな探偵になりたいんだ?」
 先生の質問に、私は胸を張った。
「どんな真実でも解き明かせる探偵です」
 だけど宮先生は顔をしかめた。
「いや、俺が聞いているのはそういうことじゃない。探偵という職業を通して、鈴木が何を成し遂げたいかを知りたいんだ」
「えっと……」
 私はすぐに答えることができない。
 脳裏に一人の女性の姿が思い浮かぶ。助けてくれたあの人みたいになりたくて、私は探偵を目指すようになった。だけど私はあの人のどんなところに惹かれたのだろう。
 進路指導室を出てからも、私は考え続けた。
 私は将来、どんな探偵になりたいのだろう?

 ゴールデンウィークが終わり、新しい通学路や高校の校舎にも慣れてきた気がする。教室に入って自分の席に向かう途中、すでに席にいたはるに声をかけた。
「おはよう」
「あ、とうちゃん。おはよう」
 春乃が顔を上げ、優しげな笑みを浮かべる。そこで机の上のエプロンが目に入った。
「エプロン?」
「うん、昼休みに調理部に体験入部するんだ」
 私がすぐ後ろの席に座ると、春乃が振り向きながら答えてくれた。
 春乃は現在、どの部活に入るか検討中だった。
 先月、私と春乃は手作りチョコが駄目になった原因を調査した。その件がきっかけになって、私は春乃とよく話すようになった。私が探偵を目指していると知っているのも、この学校の生徒では春乃だけだ。
 そんな春乃は先日、将来の夢が何もないと打ち明けてくれた。特技も趣味もないことが、昔からの悩みなのだそうだ。春乃は穏やかな性格で、気配りも細やかだ。入学から一か月で早くも多くのクラスメイトたちから慕われている。だからそんな葛藤を抱えていることを意外に思った。
 春乃は自分を変えるために、部活に入りたいと言い出した。
「塔子ちゃんが探偵を目指す姿をかっこいいと思ったんだ。だから私も、何かやりたいことを見つけたいの」
 春乃はそう教えてくれた。良い影響を与えられたのはうれしいけれど、少しだけ気恥ずかしくもある。
 運動部や文化部など、春乃はすでにいくつかの部活を見学したようだ。見学をはじめたのが四月の末からなので、他の一年生より一歩遅れている。どの部活でも歓迎されていたようだけど、どこもピンとこなかったらしい。
「調理部が最後の候補だって話していたよね。気に入るといいね」
「……そうだね」
「どうかした?」
 浮かない顔の春乃に私はたずねた。
「たいしたことじゃないんだけどね。二年の女子の先輩と二人きりで料理をするらしいから、話が合うかちょっと心配なんだ」
 これまでの部活見学は、他の一年生や上級生など複数人がいたようだ。だけど今日は他の部員に予定があったらしく、二年生の女子が一人しか来られないのだそうだ。
 人当たりは良いけど、意外に人見知りらしい。そういえば先日、大人数のなかの一人になるのは苦にならないものの、慣れない相手と一対一で会話をするのが不得手だと聞いたことがあった。
「だったら私も参加しようか?」
「えっ、いいの?」
「もちろん調理部の人がいいって言えばだけど」
 本音をいうと、調理にはあまり興味がない。実際の探偵業の役に立つとは思えないからだ。だけど春乃が困っているのは見過ごせなかった。
 この高校に入学して、一か月と少しがった。そのなかでちゃんと会話をするようになったのは春乃だけだ。私は春乃を友達だと思っている。ただし、春乃がどう思っているかは、私にはよくわからない。知り合いと友達の境界線を判断するのが、私は昔から苦手だった。
「ありがとう。塔子ちゃんがいてくれたら安心できるよ。友達も参加していいか、ちょっと聞いてみるね」
 春乃があんの笑みを浮かべ、スマホを操作しはじめる。私は内心でホッとしていた。どうやら春乃は私のことを、友達だと思ってくれていたらしい。
 調理部の先輩からは、一分くらいで「大丈夫」という返事が来た。
 昼休みに家庭科室で調理して、プリンを冷蔵庫で冷やしてから放課後に食べる予定だという。放課後には調理部の面々も集まるようだ。
 私たちはいつも通り授業を受け、昼休みの前の四限目に美術室に向かった。
 美術室と家庭科室は近いから、教室に戻るのは面倒だ。そこで四限が終わったら、家庭科室にそのまま移動することにした。

 春乃がエコバッグに筆記用具と美術の教科書、そして調理実習で使うエプロンやシュシュを入れている。私のエプロンは備品を使わせてもらえるらしい。
 美術の時間では石膏像せっこうぞうのデッサンをした。古代のローマかギリシャか時代のわからない人物の胸像をスケッチブックに描いていく。
 ほぼ完成したところでチャイムが鳴る。スケッチブックを閉じると、近くにいた男子生徒に美術の先生が声をかけた。たしか美術部員だったはずだ。男子は先生の指示に従って、美術室の隣にある準備室に入っていった。
「それじゃ行こうか」
「そうだね」
 春乃に声をかけられて席を立ち、出入り口に向かう。すると途中で、荷物を持って準備室から出てきた男子が春乃の横を通った。男子はそこで手を滑らせ、抱えていた袋を落としそうになった。その拍子に袋の端から白い粉が噴き出した。
「うわっ」
「ひゃっ」
 春乃は声を上げるのと同時にエコバッグを持ち上げた。
「ごめん、大丈夫だった?」
「びっくりしたけど多分平気だよ」
 春乃には被害がない様子だった。しかしエコバッグには白い粉が大量にかかっている。春乃が手で払うと、白い粉が宙を舞った。
「まじでごめん。でも、型取りに使う石膏なんで人体には無害だから」
 美術部では型取りなどで粉の段階から使うと、前に何かの本で読んだことがある。男子は心から申し訳なさそうな顔で、春乃も気にしていない表情だった。
「それより荷物重そうだよね。私も手伝おうか?」
「いや、大丈夫。ありがとう。この借りは今度返すから」
 自分の被害より相手を気遣うのを春乃らしいと思った。男子が荷物をかかえて去っていく。私はエコバッグの粉を払う春乃に訊ねた。
「平気だった?」
「うん、ぎりぎりで防御したよ」
 春乃が自信ありげに答える。
「いい反射神経だったね」
 春乃の袖口に少し粉がついていた。私は制服のスラックスのポケットからハンカチを取り出し、さっと払った。
 美術室を出て、近くの階段を上る。家庭科室は美術室の真上に位置している。ドアに手をかけて力を込めると、鍵はかかっていなかった。
 家庭科室に入ると、女子生徒が一人で動き回っていた。
「あ、芝山しばやまさん、ようこそ」
 はきはきしたしゃべり方で、黒縁眼鏡をかけている。私に目を向けると歯を見せて笑った。
「あなたが芝山さんのお友達だね。私は二年生のおき弥生やよいだよ」
「よろしくお願いします。鈴木塔子です。今日は急な申し出を許可していただきありがとうございます」
「ううん、いつでも大歓迎だよ。部員はもっとたくさんいるんだけど、みんな予定が合わなくてこの時間は私だけなんだ。二人とも気軽に楽しんでいってね」
 興野さんはレシピが印刷されたA4用紙を渡してくれる。調理台には卵や生クリーム、豆乳、容器に入れ替えられた調味料が並んでいる。他にもアルミ製の手鍋や菜箸、プラスチック製のボウルなどもそろえられていた。
「豆乳と卵のプリンを作ります。クリームを多めにしてとろとろな食感に仕上げるのだけど、二人ともアレルギーとかはない?」
「はい」
「大丈夫です」
 春乃とエプロンをつけていると、興野さんが不思議そうに指差した。
「あれ? 芝山さんのエプロン、白く汚れているね」
 エプロンの色がインディゴブルーだったので、白い粉が目立っていた。
「あっ、本当だ。実は美術室で石膏の粉を浴びちゃったんです」
「それは災難だったね」
 身体にかからないように防いだと思われた石膏だが、エコバッグのなかには入り込んでいたみたいだ。春乃がはたくと白い汚れは目立たなくなった。
 興野さんが気持ちを切りかえるように、小さく手をたたいた。
「さて、それじゃはじめようか。私が作ったレシピを参考に作ってもらうけど、わからないところがあったら遠慮なく聞いてね。でも基本的には分量に従って材料を混ぜるだけだから、作業は二人にお任せして私は見守らせてもらうね」
「わかりました」
 私はレシピに目を通した。全て手書きだが丁寧で読みやすい。失敗しがちだとされる箇所にはイラスト付きで注意書きが添えられ、レシピに従えば初心者でも簡単に作れると思われた。
 昼休みの時間は限られているため、私は春乃に提案した。
「手分けして進めよう。私はカラメルソースを作るから、春乃はプリンを進めておいて」
「わかった」
 材料の前に立ち、金属製の手鍋に分量通りの砂糖と水を注いだ。春乃は髪の毛を白いシュシュでまとめてから手を洗い、ボウルに卵を割り入れた。砂糖を入れ、菜箸でかき混ぜはじめる。
 レシピに従って進めると、カラメルソースはあっという間にできあがった。そのため私は春乃の作業に合流する。豆乳の分量を量り、鍋で温める。
 固まりそうだと不安に思いつつも、卵と砂糖の入ったボウルに熱した豆乳を注いだ。すると凝固せずにボウルのなかで混ざり合った。同じように温めた生クリームとバニラエッセンスを加える。ほんの少量だったが、ふわりとバニラが香った。
「あっ」
 春乃が菜箸でかき混ぜていると、勢いがついて中身が飛び出した。手の甲にクリーム色の液体がつく。ふと目をやると、興野さんは次に使うオーブンの確認をしていた。春乃は私をチラリと見てから、手の甲をこっそりめた。
 豆乳と卵、砂糖、生クリーム、バニラエッセンスという組み合わせは、豆乳で作ったミルクセーキともいえる。春乃の緩んだ表情から美味おいしさが伝わってくる。すると春乃は照れ笑いをしてから、再びさっと水道で手を洗った。
 材料を混ぜたあと、春乃は中身をし器で丁寧に濾した。それから耐熱カップに注ぐ。レシピ通りに作ったところ、プリンは十個分になった。
 金属製のバットに水を張って容器を並べ、角皿に載せてオーブンに入れる。百六十度で二十分に設定してスタートボタンを押す。
 焼きあがるまでの時間、興野さんと一緒に洗い物を終わらせる。それからお昼ごはんを食べることになった。春乃がエコバッグからお弁当を取り出し、ランチクロスの結び目をほどくと、石膏の粉が少しだけ落ちた。
 私はサンドイッチをかじりながら、春乃と興野さんの会話に耳を傾ける。
「興野さんはお菓子をよく作るんですか?」
「うん、プリンとかゼリーとかが大好きで、今日のレシピも私が何度も試作を繰り返した自信作なんだ。調理部には色々な食材が揃っているから、他にもわらび餅とかトウファとか、和洋中問わずあれこれ試させてもらったよ」
 二人は話が合うのか、会話が弾んでいる。私はあくまで付き添いなので、割り込まないことにした。
 それに私は、初対面の相手と何を話していいかよくわからない。私の出せる話題は探偵に関することや、そのときに疑問に思った不可思議なことについてだけだ。私の話を興味深そうに聞いてくれるのは春乃くらいなのだ。
 春乃は一人で参加するのが不安だと言っていたけれど、おそらく私がいなくても問題なんてなかったように思えた。
 食事を終えるのとほぼ同時にオーブンのブザーが鳴る。春乃がオーブンを開けると水蒸気が噴き出し、甘い香りが漂った。
 興野さんがミトンを装着してプリンを揺らす。竹串を刺すことでちゃんと火が通っているか確認する方法もあるようだけど、とろとろのプリンだとわかりにくいらしい。だから揺らした感じで判断をするのだと、レシピに説明書きが添えられていた。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
 興野さんが首をかしげたので、春乃が声をかけた。すると興野さんが首を横に振った。
「なんでもない。ちゃんと固まっているね」
 興野さんが角皿を引き抜き、調理台のガスコンロの上に載せた。本来なら常温で粗熱を取るところを、時間がないので氷水で冷やす。それから興野さんがプリンにラップをかけて冷蔵庫に入れた。
「それじゃ放課後によろしくね」
「ありがとうございました」
 興野さんにお礼を言い、教室へ戻る。春乃が廊下を歩きながらシュシュを髪から外した。
「どうだった?」
「うん、すごく楽しかった」
 春乃が笑みを浮かべている。興野さんとの会話も弾んでいたし、調理部を気に入ったのかもしれない。部活を決めかねていた春乃のために、少しは役に立てただろうか。
 そこでふと、春乃の髪に白い粉がついているのを発見した。
「髪に石膏がついているよ」
「やだ、まだ残ってたんだ」
 春乃が髪を払うと、白い粉が宙に消えた。
「プリン、楽しみだね」
「そうだね」
 微笑む春乃に私は返事をする。料理には興味がなかったけれど、自分で作ると愛着が湧くらしい。一緒にプリンを味わうのが楽しみで、自然と足取りが軽くなっていた。

 放課後、家庭科室のドアを開けると興野さんがすでに来ていて、私たちは丸椅子に座った。
 しばらく待っていると、調理部の面々が集まってきた。
 三年生が二人で、二年生が興野さんを含めて三人、新一年生が二人という構成だった。顧問はあまり部活に関わらないため、ほとんど顔を見せないらしい。
 全員が自己紹介をしたあと、春乃が椅子から立ち上がった。
「はじめまして、体験入部の芝山春乃です。今日はよろしくお願いします」
「春乃のクラスメイトの鈴木塔子です」
 私は入部する気はないのだけど、ただの付き添いだと説明するのも面倒なので名乗るだけにしておいた。
「それじゃ用意するね」
 興野さんが立ち上がり、冷蔵庫からプリンを運んでくる。トレイに載ったプリンはラップで蓋がしてあった。春乃が目を輝かせているが、私は他のことが気になった。興野さんが眉間に皺を寄せてプリンを見つめていたのだ。
 そういえばオーブンから出したときも、興野さんは首を傾げていた。あれは何だったのだろう。全員の前にプリンとスプーンが置かれる。
「わあ、美味しそう」
 春乃がスプーンを手に取り、プリンの表面に差し入れた。
「こらこら、みんなで『いただきます』をしてからだよ」
 三年生の小野おのさんが、のんびりした口調で春乃を注意した。現在の副部長で、茶色い髪と明るい色のリップが印象的だ。
「すみません」
 春乃が顔を赤くして、スプーンから手を離して身を縮こませる。私もプリンが楽しみだったので、先走る気持ちはよくわかった。
 小野副部長がくすくすと笑った。
「いいんだよ。基本的に調理部の部員は、みんな食いしん坊だから」
 小野副部長の言葉をきっかけに部員全員がいっせいに笑い、春乃がさらに小さくなる。そこで意外なことが起きた。興野さんがスプーンを手に取り、プリンを口に運んだのだ。
「弥生ちゃん?」
 小野副部長が目を丸くする。数秒前に一年生の同じ振る舞いを注意したばかりなのだ。すると興野さんが急に立ち上がった。
「みんな、食べないで」
 口に入れたまま喋ったせいか、声がくぐもっている。興野さんはシンクに移動して中身を吐き出し、ハンカチで唇をぬぐってから口を開いた。
「ごめんなさい。材料が傷んでいたみたい」
「ええっ」
 全員が声を上げる。
「かなり怪しい味がしたから、絶対に口に入れないで」
「え、本当に?」
 小野副部長がプリンを凝視する。それから興野さんが次々にプリンをトレイに回収していく。すると二年生の一人が、プリンに手を伸ばす興野さんに声をかけた。
「ナツメグに続いて、またやらかしちゃったの?」
 すると興野さんが苦々しく笑った。
「もう、そのことは忘れてってば」
 すると小野副部長が愉快そうに笑った。
「せっかく最近は真面目な先輩を装っていたのに、ボロが出ちゃったね」
 すると一年生の一人がおどけるような口調で言った。
「ナツメグの件は信じられなかったんですけど、本当だったんですね」
「ちょっと、先輩を敬いなさいよ。というか、恥ずかしすぎる!」
 調理部の人たちが何の話をしているのかはわからない。ただ、興野さんが過去に起こしたナツメグに関わる失敗を、からかっていることくらいは理解できた。
 正直に言うと、あまり好きな雰囲気ではなかった。口を挟みたくなったけど、私はただの付き添いに過ぎない。波風を立てたら部に入るかもしれない春乃を困らせそうなので、我慢して黙っておくことにした。
 興野さんがプリンを回収するため、私と春乃の間から腕を伸ばす。
「内輪だけで盛り上がってごめんね」
 申し訳なさそうにする興野さんに、春乃が訊ねた。
「あの、本当に傷んでいたんですか?」
「ごめんね。材料を用意した私のミスだよ」
「でも……」
 春乃が何か言いたそうにしている。そこで私は、春乃が調理中にプリン液を舐めていたことを思い出す。味に違和感があれば、あの時点で気づいていたはずだ。
だけど口を開こうとした春乃に、興野さんが深く頭を下げた。
「せっかく二人が作ってくれたのに、本当にごめんね。埋め合わせは絶対にする。がっかりさせちゃったけど、また調理部に来てくれると嬉しいな」
「……わかりました」
 春乃は引き下がり、私たちは帰ることになった。
 家庭科室を出て、廊下にたたずむ。それから無言で歩き出し、家庭科室に声が届かないくらい離れてから私は春乃に訊ねた。
「まずかった?」
「ううん、美味しかったよ」
 私の予想通り、春乃が首を横に振る。プリン液を舐め取った瞬間、春乃は笑顔を見せていた。まずければ表情をゆがめていたはずなのだ。
 材料はあの時点で全て混ぜていた。オーブンで熱したことで劇的にまずくなるとも思えない。それと春乃がプリン液をこっそり舐めたことは、オーブンの確認をしていた興野さんは気づいていないはずだ。
「つまり興野さんは、嘘をついてプリンを回収したことになるのかな」
「どうしてだろう」
 私は横を歩く春乃に訊ねた。
「ねえ、春乃。今回の件、私が調べてもいい?」
「理由が気になる?」
「そうだね」
 私がうなずくと、春乃が微笑んだ。
「さすが、探偵を目指しているだけあるね」
 突然出現した謎に、私の胸は高鳴っていた。気になることがあったら調べたくなるのが私の性分だ。だけど調理部の問題である以上、春乃に無断で調べるのは避けたい。すると春乃が目を伏せた。
「実を言うと、私も真相を知りたいかも」
 正面玄関にやってくる。私は下駄箱からスニーカーを取り出し、春乃はローファーに履き替えた。春乃が眉を八の字に寄せた。
「調理部に入ってみたいとは思っているんだ。だからこそ、興野さんがどうしてあんなことをしたのか私も気になっている。その理由が納得できるものなら、心置きなく入部を決められる気がするの」
 入部をするのなら、そこで二年と数か月をすごすことになる。慎重になるのも当然だろう。もちろん途中で退部もできるけど、春乃の性格ならそれも気軽に決められるとは思えない。
 真実を明らかにして、春乃の不安を払拭するのだ。運動部の活気あるかけ声が校庭から聞こえてきた。

 翌日、昼休みになってすぐ、私は校舎内をうろつくことにした。目当ては調理部の部員たちだ。名前と顔を覚えるのは得意なので、部員全員の特徴は頭に入っている。
 最初は教室を順番にのぞき込んで調理部員を探し、興野さんや調理部について聞いて回ろうかと考えた。だけど明らかに目立つし、不審に思われるのが心配なのでやめておいた。
 刑事物のドラマや小説でも、強引な聞き込みは嫌われる。そこで校舎内で偶然を装って声をかけ、雑談のなかで情報を集める作戦にしたのだ。
 するとパソコン室の前の廊下で、三年生の小野副部長を発見した。目が合ったので会釈したところ、向こうから声をかけてきた。
「あれ、昨日の美人じゃん」
「どうも」
 返事をしながらうんざりした気持ちになる。私の容姿は人目を惹くらしい。褒められることは日常茶飯事だけど、煩わしいことはそれ以上に多い。そのため容姿に言及されても、下手に反応しないことに決めている。
「昨日は弥生ちゃんのせいでごめんね。私もびっくりしちゃった」
「いえ、気にしていません」
 そこで私は、今思い出したかのような素振りで訊ねた。
「そういえば、ナツメグがどうとか言っていましたよね。あれって何だったんですか?」
 雑談は苦手だけど、調査という目的があるとなぜかすらすらと言葉が出てきた。
「ああ、実は弥生ちゃん、前にやらかしたことがあるんだ」
 小野副部長がにんまりと笑う。ちょうど一年前にあたる去年の五月ごろ、興野さんが入部してすぐの出来事なのだという。
 そのとき調理部でハンバーグを作ったらしい。入部したての興野さんは料理経験が全然なかったそうだ。そして焼き上げたハンバーグを食べた当時の三年生の男子部員が、眩暈めまいや吐き気を起こしてしまったのだ。
 保健室に運ばれ、食中毒が疑われた。だがその後、病院での検査によって、ナツメグが原因だと判明したらしい。
「驚くことに、弥生ちゃんがハンバーグにナツメグをひと瓶全部入れていたの。それを倒れた三年生の男子が個性的な味だと気に入って、他の人の倍も食べちゃったんだ」
「ナツメグで倒れる?」
「意外と知られていないけど、大量に摂取するとやばいんだ」
 ナツメグは独特の香りのあるスパイスで、ハンバーグやミートソースなどに使用される。広く利用されているスパイスだけど、ミリスチシンという成分を含み、多量に摂取すると吐き気や眩暈、幻覚などの中毒症状を引き起こすというのだ。
 年齢や体格などで個人差があるらしいが、五グラム以上で中毒を引き起こすとされていた。スーパーマーケットなどで販売されているナツメグの小瓶でも、五グラム以上入っているという。倒れた三年生は小柄だったため、摂取の限界を超えてしまったそうなのだ。
「いい香りがしたから、いっぱい入れれば美味しくなると思った」
 一年生だった興野さんは、レシピを無視した理由をそう説明したそうだ。
「初心者とはいえ、ナツメグ全部はさすがにヤバいよね。あのインパクトはなかなか忘れられなくて、調理部で伝説になっているんだ。あれ以来、興野ちゃんは真面目にレシピを守るようになったから、まさかまたやらかすとは思わなかったな」
 小野副部長は興野さんの失敗を、満面の笑みで語っている。
「そんなにおかしいですか?」
「えっ?」
「興野さんは初心者だったんですよね。ナツメグの副作用なんて知らない人のほうが多いし、料理未経験者ならなおさらです。笑うくらいなんですから危険性は知っていたんですよね? それなら先輩たちが指導して目くばりすべきです。責任はその場の上級生、もしくは顧問にあります。それなのに興野さんの失敗として、一年経ってもはやし立てるなんて筋違いです」
 私の意見に、小野副部長がムッとした顔になった。
「いや、ただのネタだし。そんなマジにならなくても良くない?」
「そうですね。私は部外者なので、みなさんの作法はわかりません。揶揄やゆされることを興野さんが内心どう思っているかも、他人なので知る由もありません」
「何それ」
 沈黙が流れる。……やってしまった。おかしいと思ったことを正直に口に出して、相手を怒らせることが過去に何度もあった。自分が間違っているとは思わないけど、それが相手にとって不快なのも理解できる。本来なら胸に納めてやり過ごすのが大人なのだろう。そんな風に振る舞おうと努力はしていても、たまに耐えられなくなってしまうのだ。
 私は小野副部長に頭を下げた。
「教えてくれてありがとうございます。失礼なことを言って申し訳ありません」
「別にいいよ。てかさ、鈴木さんって顔はれいだけど変わってるね」
 あきれたような口調で言われたものの、私は聞こえないふりをしてその場を立ち去った。
 その後はしばらく校舎をさまよい、二年生を一人発見した。うまく雑談に持っていったのだけど、小野副部長と同じような話しか聞けなかった。ナツメグに関する話題は、興野さんをからかうときの定番ネタになっていることはわかった。
 昼休みも終わりに近づいたころ、廊下を曲がると興野さんと鉢合わせした。
「鈴木さん?」
「えっと、どうも」
 会釈だけしてやり過ごそうと思ったけれど、すぐに思い直す。直接疑問をぶつけた場合、どんな反応が得られるのか気になったのだ。
「興野さんに話があります」
「私に?」
「実は昨日の調理中、春乃が加熱する前のプリンをこっそり舐めたんです。春乃は確かに美味しかったと話していました」
「え……」
 興野さんが目を見開き、周囲を見渡した。それから私の手首をつかんで、柱の陰に引っ張った。
「その話、誰が知っているの?」
「今のところ、私と春乃だけです」
「そっか」
 興野さんが胸をで下ろし、私と視線を合わせた。黒縁眼鏡のレンズに私の顔が映る。
「申し訳ないけど、その件は内緒にしてくれないかな」
「どうしてですか」
「ごめん、理由は話せない。でも私の失敗にしてもらいたいんだ。芝山さんにもそう伝えてほしい。これが多分、一番誰も傷つかない方法だから」
「どういうことでしょう」
 そこで予鈴が鳴った。興野さんが身体を離し、私に向けて両手を合わせる。
「どうかお願いね」
 そう告げて、二年生の教室へと小走りで去っていった。私は困惑しながら自分の教室に戻る。必死に頭を働かせるけれど、興野さんの発言の意図はわからない。
 席につくと、春乃が心配そうに話しかけてきた。
「すごく険しい顔をしてるけど、何かあった?」
 悩みすぎたせいで顔をしかめていたようだ。私は手に入れた情報を春乃に説明する。興野さんからの頼みを伝えると、春乃は不思議そうに首をひねった。
「誰も傷つかない方法って、どういうことだろう」
「正直、全くわからない」
 昼休みに得た情報だけでは、興野さんがプリンを回収した理由はわかりそうにない。ただ何かを隠すことで、誰かをかばっていることは察せられた。
「これ以上、どうやって調べようかな」
 他の調理部員に聞いても、新たな情報が得られるとは限らない。それに詮索しないでと頼まれたので、聞き込みもしにくくなった。本人に直接問いただしたのは、さすがに早まったかもしれない。
 春乃が胸の前でぽんと手を合わせた。
「それじゃあさ、もう一度作ってみる?」
「プリンを?」
「この前は、チョコを作ったときに真相に気づいたよね。それなら今回も再現したら発見があるかもしれない」
「いい考えかも」
 聞き込みによる情報収集や、推理を組み立てるのも大切だろう。だけど実際に手を動かすことで見えてくることもあるはずだ。二人の予定を照らし合わせ、私たちは早速明日の土曜にプリンを作ることに決めた。

 翌日は朝から曇り空で、自室の窓を開けると肌寒さを感じた。テレビをつけると天気予報が、五月半ばとしては珍しい寒さになると告げていた。
 私は黒のコットンパンツに白のTシャツを合わせ、デニムのジャケットを羽織って家を出た。約束通り昼過ぎに春乃のマンションに到着した。
「いらっしゃい」
 春乃は若草色のワンピースに、茶色のカーディガンを合わせていた。春乃の私服はゆったりしていて、柔らかな雰囲気に似合っている。キッチンには春乃が揃えてくれた材料が置かれていた。どれも調理実習で使った商品と同じだ。
「それじゃ早速作ろうか」
「うん。まずはカラメルソースだね」
 興野さんが作った手書きのレシピがあるので、あの日の豆乳プリンは完全に再現できる。あらためて読み返しても、隅々まで配慮の行き届いたレシピだった。
 春乃が髪の毛をシュシュでまとめる。白色のそれは調理部での実習のときと同じものだと思われた。私もヘアゴムで髪の毛を束ね、持参したエプロンをつけた。
 鍋に水と砂糖を入れ、中火にかける。鍋を揺すりながら加熱して、全体が飴色あめいろになったら火から下ろす。そこに熱湯を加えれば完成だ。
「加熱するときに、木べらとかでかき混ぜると失敗するみたい。攪拌かくはんすると砂糖が再結晶化して、カラメル化しなくなるんだって」
「今回も塔子ちゃんは、たくさん勉強をしてきたんだね」
 昨日の放課後、図書館でプリンに関する書籍を大量に借りた。そして夜中まで熟読して知識を頭に詰め込んできたのだ。その結果、前回はレシピに書かれていた通りに行っていた作業の意味がわかるようになっていた。
 次に卵と砂糖を混ぜ合わせ、六十度に温めた豆乳を加える。
 この工程は前回も疑問に思っていた。まず、卵と砂糖を混ぜる理由が不明だった。それに熱い豆乳を入れたら、卵が固まってしまうかもしれない。何よりオーブンで焼き上げるのに、なぜわざわざ温めるのかもわからなかった。
 だけど参照した本によれば、全てに理由があった。
「温かい豆乳を注ぐのは、低温でも中心部まで火を通しやすくするためと、『す』の原因である空気をプリン液から抜くのが目的みたい。でも注ぐときに豆乳を熱しすぎると卵が煮えちゃうよね。そこで砂糖を先に混ぜると、砂糖の作用で卵が熱凝固する温度が上がるそうなんだ」
 春乃は私の蘊蓄うんちくに感心した顔になった。
「すごい。全部が計算されてるんだ」
「チョコのときも思ったけど、本当に科学実験みたい」
 捜査にも科学的な知識が求められる。調理部の実習に参加するとき、探偵業の役には立たないと決めつけていた。だけど論理的な思考が必要という点では、実は共通点があるのかもしれない。
 続いて同じ理由で温めた生クリームとバニラエッセンスを加え、なめらかな舌触りになるように濾し器で丁寧に濾す。そして耐熱ガラスの容器に注ぎ、水を張った角皿に載せて低温でじっくり焼き上げる。
 春乃がオーブンを興味深そうに眺めている。
「プリンは卵だけで固めるんだよね。ゼリーはゼラチンだっけ?」
「そうだね。世間には色々な凝固剤があるみたい」
「他にはどんな種類があるの?」
 春乃が目を輝かせて聞いてくるので、私は昨晩学んだ知識を披露することにした。プリンを調べる流れで、ぷるぷるとした食感のスイーツに関して調べてあったのだ。
 プリンは基本的に卵を熱したときの凝固作用で固める。私たちが今作っているプリンは、生クリームを加えて低温でじっくり焼くことでとろとろの食感に仕上がることを目指している。一方、昭和の喫茶店風のプリンは、卵の割合が多いため固く仕上がるという。
 他にも市販のプリンなどはゼラチンで固めていることがある。つまり厳密にいえばプリン味のゼリーなのだ。
 ゼリーがゼラチンで固めているのはよく知られているが、他にも海藻由来の寒天やカラギーナンなどもある。さらに和菓子なら、でんぷん由来のくず餅、中華料理なら台湾の豆花など、それぞれ異なる種類の凝固剤が使われている。どれも科学的な作用が異なり、食感も違ってくる。
 気がつくと、オーブンがブザーを鳴らした。いつの間にか二十分が経過していたらしく、私は申し訳ない気持ちになった。
「ごめん。一人で勝手に喋ってた」
 興味があることは徹底的に調べずにいられない。手に入れた知識のことを聞かれると際限なく語ってしまう。そんな性格のせいで、仲が良いと思っていた相手が離れていった経験が過去に何度もあった。
 だけど春乃は目を丸くした。
「えっ、どうして謝るの? 私は塔子ちゃんの話を聞くの好きだよ」
「……そうなんだ」
 そんな風に言われるのは初めての経験だった。急に照れくさくなり、私は春乃から目をらし、オーブンのドアを開ける。すると水蒸気がぶわりと噴き出してきて、顔が一瞬で熱くなってしまう。
「大丈夫?」
「うん、平気」
 私は返事をしながら、ミトンを使ってプリンを角皿ごと取り出した。軽く振るとプリンはぷるぷると揺れた。興野さんはこのとき何かに反応していた。真相に関係すると思うのだけど、それが何なのかわからない。
 前回と同じように氷水で粗熱を取ってから、ラップをかけて冷蔵庫に入れる。完全に冷えて固まるまで二時間はかかる。すると春乃がキッチンで紅茶をれてくれた。リビングのソファに座ってから、春乃はシュシュを外してテーブルに置いた。
 カップに口をつけると、紅茶の香りが鼻孔に広がった。
「何かわかった?」
「いや、全く」
 家庭科室でやった調理と同じことをしたと思う。でもどこかの工程で失敗があったようには思えなかった。やはり、味そのものは美味しかったのに、興野さんが何らかの理由で、失敗を装って回収したのだと思われた。
「どうして、嘘なんてついたんだろう」
 私が眉間に皺を寄せると、向かいに座る春乃が微笑んだ。
「でも、これでようやく一緒にプリンが食べられるね」
「そうだね」
 私たちはプリンを食べ損ねている。春乃は謎を解決するため、プリンを一緒に作ろうと提案した。だけど実際は二人で食べるのが一番の目的だったのかもしれない。
 プリンが冷えて固まるまで、私たちはたくさんの可能性を検討した。
 興野さんか春乃の味覚に異常があった。興野さんが並外れた完璧主義者で、私たちには成功だと思えても本当に失敗だと思っていた。ものすごく美味しかったので独り占めしたかった、など色々推理したけれど、どれも根拠のないものばかりだった。
 そんな話をしていたら、時間はあっという間に過ぎた。
 冷蔵庫からプリンを取り出し、ラップを外す。容器に入ったプリンが柔らかそうにふるえている。二人で席についてスプーンを手に取る。
「それじゃいただきます」
 スプーンでプリンをすくうと、プリンは予想以上に柔らかかった。期待を込めながら口に入れる。食感は固めのホイップクリームくらいの感触で、舌の上でとろりと溶ける。しっかりと冷えていて、卵と生クリームのコクのあとに豆乳独特の風味が重なる。バニラエッセンスの香りもふわりと漂った。
 じっくり味わってから、私は息を吐いた。
「美味しいね」
「そうだね。すごく美味しい」
 春乃もうっとりした表情をしている。興野さんが試作を繰り返しただけあって、専門店とそんしょくのない味わいだ。二人して無言で味わい、半分ほど食べた時点で春乃が手を止めた。
「あれ?」
「どうしたの」
 春乃が不思議そうに食べかけのプリンを覗き込んだ。
「食べるのに夢中で気づくのが遅れたけど、この前のほうが固かったかも」
「固かった?」
 あのときのプリンをスプーンですくったのは、興野さんを除けば春乃だけだ。
「詳しく教えてほしい」
「すごく微妙な差なんだけどね。このプリンはなめらかでとろりとしているよね。だけどこの前はもう少しだけプルンって感触があった気がするんだ。ただ、違ったらごめん」
「いや、興味深いよ」
 春乃は自信がなさそうだった。きっと小さな違いだったのだろう。だけど私は一旦、春乃の感覚を信じることにした。
 同じレシピで作ったのに、前回のほうが固くてプルンとしていた。どんな原因があり得るのか、頭のなかにある知識を精査していく。
 直後、私はある可能性に思い当たった。
 ひらめいた推理が、これまで集めた情報とつながっていく。これなら興野さんの不可解な行動や言動にも説明がつく。私は声を上げるのをかろうじてこらえた。
「何かわかったの?」
 表情に出ていたのだろう。私は首を横に振った。
「ううん。何もわからなかった」
 なるべくそっけなく答える。私は普段から無表情だから、きっと春乃には気づかれていないはずだ。
「そっか。役に立てなくてごめん。それじゃ片付けてくるね」
 春乃が食器を台所に運ぶ。私は春乃の目を盗んで、テーブルの上のシュシュをバッグに入れた。ソファから立ち上がり声をかける。
「洗い物を手伝うよ」
「ありがとう」
 洗い物を終えると、私は春乃の自宅をあとにした。空は厚い雲が覆い、日が落ちたせいで気温が下がっている。バッグには春乃のシュシュが入っている。私はマンションから遠くに離れる間、何度も背後を振り返った。

 隠しごとなんてしてないです。
 私は犯人じゃありません。
 本当の、ことなのに。
 どれだけ訴えても、誰も私のことを信じてくれない。中学時代の出来事の夢なのはすぐにわかった。何回も見ているのに、私は怖くて震えている。
 私がやったとみんなが決めつけて、反論すると嘘つきだと怒鳴られる。今すぐ逃げ出したいのに、足がすくんで動かない。
 このまま疑われ続けるより全部認めたほうが楽かもしれない。あきらめの気持ちが胸を覆い尽くす直前、女の人が声を上げた。
「ま、待ってください。こ、こ、この子の話も、聞いてあげましょう」
 見ず知らずの女の人は、何度も言葉をつっかえさせながら言った。だけど背筋が真っぐ伸びていて、堂々とした物言いには自信が満ちていた。
 その人は、その場にいた人たちから丁寧に状況を聞いていった。無関係の人なのに、どうしてそんなことをしているんだろう。だけど熱心さにされ、その場の人たちは質問に答えていった。
 それから私のほうを向いて、柔らかな微笑みを浮かべた。
「お願い。あなたの話も、き、聞かせてもらえるかな」
「どうして?」
 私は困惑しながら訊ねていた。
「どうして、私を信じてくれるんですか?」
 誰も私の言うことなんて聞いてくれなかった。なのに見ず知らずの人が私の言葉に耳を傾けてくれる。その理由がわからなかった。
「そ、それはね」
 女の人は優しく微笑んだ。それから私の頭を撫でて、小さく息を吸った。
 そこで目が覚めた。
 ベッド脇にある目覚まし時計の針は、鳴りはじめる二分前を指していた。カーテンの隙間から朝日が射し込んでいる。嫌な汗をたくさんかいたせいで、パジャマが肌に貼りつく。私は起き上がってから、濡れた目元を袖口でぬぐった。
 中学時代の記憶を、私は何度も夢に見る。全くの無実なのに犯人だと決めつけられ、大人たちから詰め寄られる経験は、トラウマとして根付いているらしい。
 あの女の人は私を含む関係者から、状況を聞き取っていった。質問は的確で、手慣れているように思えた。それから現場の確認を済ませると、たちどころに真実を言い当てた。私の無実を証明し、真犯人が仕掛けたトリックや動機まで見抜いたのだ。
 その姿はドラマや漫画に出てくる探偵そのものだった。
 あの女の人は、あの場で名乗っていたはずだ。だけど追い詰められて動揺していた私は、名前をすっかり忘れてしまっていた。
 あの人みたいになりたい。自分が救われたみたいに、推理で誰かを助けたい。そう願ったことが、探偵を目指すきっかけだった。
 テーブルの上の紙袋には、洗って乾かした春乃のシュシュが入っている。春乃の家に行った翌日、間違えて持って帰ったと私から連絡をして、週明け月曜である今日、返すことになっていた。春乃はシュシュがないことに気づいていなかったようだ。
 鈴木は将来、どんな探偵になりたいんだ?
 宮先生の進路指導の言葉が脳裏に浮かぶ。
 私が目指す探偵とは、謎を解く人のことだった。真実を明らかにすれば、その先は幸せな結末が待っている。そんな単純な図式を無邪気に信じていた。それは多分、私の個人的な体験があったからなのだろう。
 だけど世の中は単純にできていないらしい。謎が解かれることで、悲しい気持ちになる人がいる。それなのに真実を明かす権利が私にあるのだろうか。
 二階から下りて、洗面所の前に立つ。春乃が憂いなく調理部に入れるように調査をはじめたはずだった。鏡に映る沈んだ表情を前に、私はため息をつく。どんな顔をして春乃に会えばいいのか、私にはまるでわからなかった。

 月曜の朝、登校する生徒たちは、他の曜日より表情が暗い気がした。ただ普段は気にならないから、私の心持ちのせいなのかもしれない。
 シュシュを入れた紙袋を手に教室に入ると、春乃はすでに自分の席に座っていた。春乃の顔を見て、私はすぐに駆け寄った。
「どうしたの?」
 春乃はあごに絆創膏ばんそうこうを貼っていた。怪我けがをしたのだろうか。すると春乃は手のひらであごを隠しながら頬を赤くした。
「えっと、これは気にしないで。それより塔子ちゃんに伝えたいことがあるんだ」
「なに?」
 私は席に座り、机の上にシュシュの入った紙袋を置いた。春乃が椅子に横向きに座り、身体をひねって私の顔を正面から見た。
「多分だけど、回収されたプリンの弾力は台湾スイーツの豆花に近いように思うの」
「えっ」
 動揺したせいで思わず声が漏れる。豆花の弾力と近いことは土曜日の時点でわかっていた。春乃はどこまで真実に到達しているのだろう。
 私が少し身構えていると、春乃がスマホを操作しはじめた。ディスプレイに表示された写真には大量のスイーツが並んでいた。
「これは?」
 ゼリーや牛乳寒天、喫茶店風のプリン、豆花、わらび餅などが写っている。どれもコンビニエンスストアやスーパーマーケットで購入できそうな商品ばかりだ。
 春乃が悔しそうな表情で口を開いた。
「土曜日、うちでプリンを作ったよね。その帰り際、塔子ちゃんはえない表情をしていた。あれはきっと謎が解けなかったからだよね」
「それは……」
 普段通りに振る舞ったつもりだけど、顔に出ていたらしい。自分が思うよりも私は嘘をつくのが下手だったようだ。ただし春乃は、私の顔が暗かった理由について勘違いをしている。
「私はプリンの固さを指摘したよね。だけど結局曖昧なことしか言えなかった。謎を解こうとしている塔子ちゃんの力になれなかった。だから私にできることを考えて、プリンの固さについて可能な限り調べることにしたの」
「まさか、これを全部食べ比べたの?」
 ディスプレイから顔を上げると、春乃が恥ずかしそうに笑っていた。
「気になるものを一通り買ってみて、総当たりで試したんだ。そしたらプルンって感触が豆花に一番近い気がしたの。がんばって思い出したから、多分合っていると思う」
 私はまたスマホの画面に視線を落とした。これだけの種類を買い揃えたら、それなりにお金もかかったはずだ。それなのに春乃は私の力になるために実行してくれたのだ。
 黙り込む私に、春乃が不安そうに聞いてきた。
「えっと、役に立った?」
「もちろんだよ」
「よかったあ」
 春乃が胸に手を当てる。それから私に満面の笑みを向けた。
「塔子ちゃんなら大丈夫。絶対に真実にたどり着けるよ」
 春乃は心から私を応援してくれる。その気持ちに胸が熱くなった。だからこそ真相を隠していることに後ろめたさを覚える。
 私が口を開こうとする直前、春乃が険しい表情になった。
「それで、塔子ちゃんに聞きたいことがあるんだ」
「……なに?」
 声のトーンが低くなっていて、私はつばを飲み込んだ。
「嘘は言わないでほしいんだけど」
「約束する」
 真剣な問いかけに、私は覚悟を決めた。
「今日の私って、むくんでる?」
「は?」
 予想外の質問で、とっさに反応ができない。真剣な表情の春乃のあごに、絆創膏が貼ってある。そこで私はその下に隠されたものに気づいた。
「絆創膏の下は、ニキビ?」
「朝起きたら、すっごく大きいのがあって……」
 春乃が肩を落とす。大量のスイーツを一気に食べたのだ。糖分と脂質のり過ぎによって、にきびができてもおかしくない。その上、顔のむくみも気になっているらしい。
「わかった。嘘は言わないよ」
 無言でうなずく春乃の顔を、私はまじまじと見つめた。
「ちょっとだけむくんでいるね」
「うわあ」
 春乃が私の席に突っ伏した。くぐもった声で「教えてくれてありがとう」とささやく。春乃の頭を見下ろしながら、私は口を開いた。
「私は春乃に嘘をつかないからね」
「……え?」
 春乃が不思議そうに私を見上げる。朝のホームルームの時間が近づき、生徒たちが教室に駆け込んでくる。その喧噪けんそうのなかで、私は春乃に推理を伝えることにした。

 家庭科室のドアの前で、春乃が深呼吸をした。緊張が横顔から伝わってくる。廊下では帰宅する生徒が行き交い、吹奏楽部がチューニングをしている音が聞こえた。
 春乃は興野さんのスマホに、プリンの件で話があるとメッセージを送った。人がいない場所がいいと伝えたところ、放課後に家庭科室で会うことになった。
 ドアを開けると、興野さんが大判の本を広げていた。会釈をして家庭科室に入って近づく。有名な料理研究家のレシピ本のようだ。
 窓が開いていて、初夏の涼やかな風が入り込んだ。
「話ってなに?」
 興野さんが口を開いた直後、春乃が頭を下げた。
「すみませんでした!」
 興野さんが目を丸くしてから、困り顔になった。
「バレちゃったか」
 プリンはすでに処分されているため、証拠はどこにもないのだ。興野さんがとぼければ誤魔化せるはずなのに、私たちに隠す気はなかったらしい。
 春乃はまだ頭を下げている。推理を告げたとき、春乃は愕然がくぜんとしていた。言わないほうがよかったかもと胸が痛んだけれど、私が教えたことに対して感謝もしていた。
 興野さんがプリンを回収した原因は、春乃にあった。
 発端は美術室での出来事だ。
 私たちは四時限目に美術の授業を受けた。授業が終わってすぐ、教師の指示を受けた美術部員が石膏の粉の入った袋を運んだ。そして私たちが教室から出るタイミングで、すれ違った美術部員が手を滑らせて袋を落としそうになった。その際に春乃は石膏の粉を浴びることになった。
 エコバッグを盾にして防いだおかげで、制服にはほとんどかからずに済んだ。だけど実際は石膏の粉は、エコバッグの中にたくさん入り込んでいたのだ。
 石膏の粉の一部はエプロンにも付着していた。インディゴブルーだから目立っていたのだ。他にも弁当箱を包むランチクロスにもついていた。
 だが実は、シュシュに最もたくさんかかっていたのだ。
 シュシュの布はひだが多く、さらに白色だった。だから石膏の粉が隙間に入りやすく、色も目立たなかったのだろう。
 春乃は調理をはじめる際にシュシュをつけた。おそらく取り出すとき、プラスチック製のボウルに石膏の粉が一気に落ちたのだ。その結果、プリンの溶液に石膏の粉が入り込んでしまったのだと思われた。
 台湾カフェなどで人気の豆花は、豆乳を原料にしたスイーツだ。凝固剤としてさつまいもやキャッサバなどの澱粉に加えて、食用の石膏が使用される。石膏には豆乳に加えて熱すると凝固させる作用があるのだ。
 今回作ったプリンは豆乳を使用している。そのため石膏の粉が豆乳と反応しオーブンで熱されたことで化学変化を起こしたのだ。
 豆花のレシピによれば、石膏の粉は少量でも作用するらしい。その結果、プリンが本来のレシピより石膏の作用の分だけ固くなったのだ。石膏は保水力が高いため、プルンと滑らかな豆花らしい食感が加わったのだろう。
 それに今回のプリンは卵の量を減らし、限界まで柔らかくしようとしていた。だからより石膏の食感が強く出たのだと思われた。
 興野さんが、混入に気づいた経緯を教えてくれた。
「あの豆乳プリンは何度も練習したから、どんな仕上がりになるかよく知っているんだ。だから焼き上がった直後の段階で妙にしっかりしすぎている気がして、不思議に思っていたの」
 だけど料理に微妙な誤差はつきものだ。分量の差や手順、気温や機器の調子などで変化する。そのため気のせいだと考え、昼休みの時点ではそのままにした。だが放課後に冷蔵庫から取り出したとき、プリンの揺れ具合を見て明らかに変だと思ったというのだ。
「だから私は誰よりも早く試食をして確認したの。口に入れた瞬間、絶対に食感が違うと確信した。それと同時に石膏の粉のことを思い出したんだ」
 興野先輩には美術室で起きた件を説明している。そのためプリンの変化の原因について石膏の可能性が高いと気づいたのだろう。
 それに興野さんはプリンやゼリーなどが好きで、調理部でも様々なレシピに挑戦している。豆花も作ったことがあると話していた。
「正直に言うと、絶対に石膏だという確信はなかった。黙っていれば気づかれないだろうし、健康被害もなかったと思う。だけど美術室の石膏なら工業用だよね。個人の責任で食べるならともかく、調理部は学校内の活動だからさ。責任者として食用じゃないものを食べさせるわけにはいかなかったんだ」
 石膏には工業用と食用があるらしい。食用は品質が厳しく管理され、豆腐の凝固剤やビール製造、歯科治療などに使われているという。工業用も基本的に無害だとされているけれど、食べることは推奨されていない。興野さんは過去に大きな失敗をしている。だからこそ食の安全に人一倍気を付けているのだと思われた。
 興野さんの説明を聞き、春乃が顔を上げた。
「どうしてあの場で、石膏の混入の可能性があると説明しなかったんですか?」
「それは……」
 言いよどむ興野さんに、私は訊ねた。
「春乃のためですよね」
 石膏が混入していたと説明すれば、春乃が運んできた事実も同時に明るみに出る。興野さんはそのことを防ごうとしたのだ。
「……うん、そうだね」
 興野さんが指で眼鏡の位置を直した。
「みんなの前で原因を明かすのは、できれば避けたかったんだ。だってどうしても廃棄の責任を感じちゃうよね。そのせいで大切な新一年生が入部をやめてしまうのは困る。だから私が全部かぶることにしたんだ」
「それだけですか?」
 興野さんの説明に、私は完全には納得していなかった。
「どういうこと?」
 いぶかしげな興野さんに私は質問をぶつける。
「ナツメグの件は聞きました。興野さんは一年経っても、調理部のみんなにからかわれていますよね。だから真相を隠そうとした。春乃が入部した場合、石膏の件でずっと茶化されてしまわないように」
 一度貼られたレッテルは簡単には消えない。興野さんは入部直後の大失敗のせいで、いじられてもよい対象になってしまった。だから興野さんは春乃が同じ立場になることを防ごうとしたのだ。
「まあ、それもあるかな」
 興野さんがおどけるように肩を竦めた。
「でも一応、フォローはさせてね。調理部はいい人ばかりだよ。料理に対しても真面目だし、私たちは本当に仲良しなの。冗談が過ぎることもあるけど、悪意があるわけじゃないんだ」
「……そうですか」
 私は部外者に過ぎない。実際に興野さんは調理部の部員を大切に思っているのだろう。いじられ役を担うことを楽しみ、自分の役割だと思う人だって世の中にはいるはずだ。身内のなかで成立する話題に、外部の人間が不満を表明しても迷惑に違いない。
 それでも私は、言わずにはいられなかった。
「悪意の有無なんて知りませんし、興野さん自身がどう思っているかも関係ありません。私は興野さんが茶化されるのが、すごく不快でした」
「え……」
 興野さんが困惑している。また感情のおもむくままに言葉を発して、相手を戸惑わせてしまったらしい。興野さんとは調理実習で関わっただけだ。だけどレシピから伝わってくる丁寧さが、私はとても好きだった。
 私は興野さんに頭を深く下げた。
「大切な友達がそんな風に扱われるなんて、私は絶対に嫌です。だから春乃をかばってくれて、本当にありがとうございました」
「えっと、そんな大層なことはしてないから」
 興野さんが首を横に振る。そして私から目を逸らし、春乃へと身体を向けた。
「あのさ、石膏の件は、芝山さんが責任を感じる必要はないからね」
「でも」
 春乃が言葉を続けようとすると、興野さんは手を前にかざして遮った。
「あなたは体験入部をしていて、私は調理部の上級生だった。あの日の実習は顧問の先生に報告してあって、私が責任者になっていた。本来なら私が隅々まで目を光らせて、異物混入なんかを防ぐ義務があったんだよ」
 興野さんは断言してから、春乃に頭を下げた。
「顧問の先生にも、この件はきちんと報告するね。監督不行届を謝罪します。それと嘘をついて本当にごめんなさい」
 春乃がうつむいて黙り込む。どんな感情を抱いているのか、私には推し量れない。窓から強い風が入り込み、カーテンがたなびいた。
 春乃がゆっくり深呼吸をしてから口を開いた。
「私、調理部に入ります」
「えっ」
 興野さんが何度もまばたきをする。私も春乃の決断に驚いていた。真実を知ったことで、入部しない可能性もあると思っていたのだ。
「本当にいいの?」
 興野さんが訊ねると、春乃が微笑みを浮かべた。
「はい。興野さんと一緒に、料理を学んでみたいんです」
「そっか」
 興野さんが照れくさそうに笑ってから、春乃に手を差し出した。
「ありがとう。どうか、これからよろしくね」
「はいっ」
 春乃と興野さんが固い握手を交わす。きっといいコンビになるだろう。そして調理部で経験を積んで、来年以降は春乃も学んだことを後輩に伝えていくのだ。これは私の勝手な空想だけど、二人を見ていたらそんな未来が脳裏に浮かんだのだった。

 私と春乃は興野さんに挨拶し家庭科室を出ると、正面玄関に向かった。五月も半ばに入り、入学直後よりもずっと日が伸びている。廊下には誰もおらず、私たちの足音が大きく響く。
「塔子ちゃんは、いつ真相がわかったの?」
 春乃の質問にどきりとする。だけど私は正直に答えると決めていた。
「プリンが固かったって教えてもらった直後だよ。……シュシュもバッグに間違えて入れたわけじゃない。推理を確かめるために無断で持ち帰ったんだ」
「えっ、そうだったんだ」
 私は直前に凝固剤について勉強をしていた。そのため豆花を固める素材として、石膏にすぐに行き着くことができた。
 ある程度の量の石膏が料理に混ざるとしたら、どんな原因が考えられるだろう。思案を開始した直後、春乃の髪についた石膏を思い出した。シュシュの色が白いこともあって、疑惑を抱いた私はとっさに自分のバッグに投げ入れたのだ。
 もちろんシュシュが洗濯されている可能性もあった。だけど毎日洗う人もいれば、数日に一度の場合もあるはずだ。そして我が家でシュシュをあらためると、布の奥に石膏の粉を発見した。その時点で推理が正しいことを確信したのだ。
 すると春乃が私をじっと見つめてきた。
「一応言っておくけど、勝手に持ち出すのは窃盗だよ。探偵は時と場合によって、法を逸脱する必要があるのかもしれないけど、二度とこんなことしちゃ駄目だからね」
「……ごめんなさい」
 私は春乃に頭を下げる。真実を解き明かすためには、シュシュが必要だと思った。そう考えた瞬間に手が伸びていたけど、春乃の忠告の通り、私のしたことは犯罪なのだ。
 しょげ返る私を見て、春乃は小さくため息をついた。
「真相を内緒にしたのは、私がショックを受けると思ったから?」
「うん、そうだね」
 石膏の粉を浴びたのはクラスメイトの美術部員が原因だ。だから春乃が悪いとは全く思わない。それでも石膏の粉を家庭科室まで運んだのは事実で、結果としてプリンが台無しになった以上、春乃が責任を感じるのは間違いないと考えたのだ。
 それに他にも理由はあった。興野さんは春乃をかばうために全てを自分のせいにした。事実を明らかにすれば、その気持ちを踏みにじることになる。だから真実を告げることをちゅうちょしたのだ。
「隠したことも、本当にごめん」
 私はまたも春乃に謝罪した。
 職員室の前を通りかかり、私は宮先生の進路指導を思い出した。どんな探偵になりたいのか、私は言葉にすることができなかった。探偵になりたい気持ちに変わりはないけれど、今でもはっきりした答えは出せていない。
 謎の解決と幸せは、必ずしも直結しない。私は今回の一件で、その事実を思い知ることになった。他にも聞き込みの段取りはもっと考えるべきだったし、考えなしに証拠品を持ち去るなんてしてはいけないことだった。
 すると春乃は数歩先に進んでから振り向いた。
「最初は隠していたのに、どうして気が変わったの?」
 私は春乃の目を正面から見返した。
「春乃には、嘘をつきたくなかったから」
 私なら必ず謎が解けると信じて応援してくれた。そんな春乃に対して、正直でありたいと思った。だから全てを打ち明けたのだ。すると春乃が急ににやにやと笑いはじめた。
「そっかあ」
 普段の柔らかな笑顔との違いに私は困惑する。
「どうしてにやにやしてるの?」
「塔子ちゃんにそう言ってもらえたのが嬉しくて」
「ふうん」
 なんて返事をすればいいのかわからなくて、そっけない態度をとってしまう。
 今回私は、たくさんの失敗をしてしまった。消え入りたいような気持ちになるし、もう二度と間違えたくない。だけど同時に多くのことを学べたように思う。
 これからの高校生活で、私は色々な経験をしていくのだろう。また落ち込むこともあるかもしれない。だけど困難を乗り越えた先で、私は夢に近づくことができるはずだ。
 そしていつか、理想とする探偵像を見つけるのだ。私は上履きからスニーカーに履き替えて、日の光に照らされたコンクリートの地面に一歩踏み出した。

(第三話へ続く)

著者プロフィール
友井羊(ともい・ひつじ)
1981年、群馬県生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。2011年『僕はお父さんを訴えます』で第10回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞し、12年小説家としてデビュー。他の著書に『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』シリーズ、『スイーツレシピで謎解きを 推理が言えない少女と保健室の眠り姫』『無実の君が裁かれる理由』『放課後レシピで謎解きを うつむきがちな探偵と駆け抜ける少女の秘密』『映画化決定』『100年のレシピ』などがある。

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