算数はできるのに、国語だけ嫌がる。|「勉強嫌い」「努力不足」の前に知りたいSLD(限局性学習症)
「国語の時間になると、急に机に伏せる」
「音読を当てられると、ふざけたような態度になる」
先生からは授業態度を注意されたけれど、算数は得意で成績も悪くない。
だからこそ、「本気を出せば漢字も書けるはずなのに」と感じることがあると思います。
ただ、ある教科ができることと、別の教科も同じやり方でできることは、必ずしも同じではありません。
国語を嫌がる背景に、努力や興味だけでは説明しにくい「読み方・書き方のつまずき」が隠れていることがあります。
まず見たいのは、勉強する気があるかではなく、国語のどの作業で負担が大きくなっているかです。
「国語が嫌い」だけでは、まだよく分からない
国語の授業には、音読する、文章の意味をつかむ、漢字を書く、黒板を写す、自分の考えを文章にするなど、いくつもの作業が含まれています。
文章を声に出すときだけ極端に時間がかかる。
読み飛ばしや読み間違いが多い。行を見失う。
声には出せるけれど、読んだ内容を尋ねると分からなくなる。
漢字を何度練習しても形が崩れたり、書き順が毎回変わったりする。
話せば内容は豊かなのに、作文になると一文目から動けない。
どれも、外から見ると「集中していない」「真面目に書いていない」と映ることがあります。
けれど、文部科学省は学習障害について、全体的な知的発達の遅れではなく、「聞く・話す・読む・書く・計算する・推論する」の一部に強い困難が表れる状態と説明しています。
得意なことと苦手なことの差が大きいのは、矛盾ではありません。
むしろ、その差が手がかりになることがあります。
ですが、みんなの前で音読を間違えたり、隣の子はすぐ書き終わるのに、自分だけノートが白い。頑張って書いても「もっと丁寧に」と言われる。
こうした経験が続くと、授業そのものより、
「またできないところを見られること」がつらくなる場合があります。
読みの困難がある子どもでは、読みへの自己評価が低くなりやすく、不安などの内向きのつらさが強くなる傾向も研究で報告されています。
もちろん、国語を嫌がる子が全員そうだという話ではありません。
ただ、ふざける、黙る、課題を始めないといった行動を、失敗から自分を守る反応として見直す余地はあります。
「何が嫌なの?」で答えられないときは、選択肢を出してみる
まず本人に聞くことは大切です。
ただ、「どうして国語が嫌いなの?」と聞かれても、自分の苦手を言葉にできる子ばかりではありません。
「読むのと書くの、どっちがしんどい?」
「家では読めるけど、教室だと難しい?」
「分からないのが嫌? みんなの前でやるのが嫌?」
「時間が足りない感じはある?」
このように、場面を小さく分けて聞く方法があります。
答えが出なければ、それも一つの情報です。
無理に理由を言わせるより、保護者と先生で様子を集めたほうが見えやすいこともあります。
先生には、「態度が悪くなるのは、音読・漢字・作文のどの場面ですか」「口頭なら答えられますか」「書き写しだけ時間がかかりますか」と、
行動ではなく課題の種類を聞いてみます。
テストの点だけではなく、終えるまでの時間、間違い方、助けがあるとできるかも大事な部分です。
練習を増やす前に、学び方を変えられないか考える
読みづらさがあるなら、音声を聞きながら文章を目で追う。
長い文章を一度に読まず、行や段落を区切る。
書く負担が大きいなら、タブレットやキーボードで答える。
作文では、最初に口頭で話してから箇条書きにする。
国立特別支援教育総合研究所でも、読み上げ機能や電子教科書を使い、印刷された文章の内容を音声でつかむ実践例が紹介されています。
これは勉強を簡単にするというより、「読む力」以外も一緒に測られてしまう状態を減らすための工夫です。
宿題についても、ただ量を減らすだけではなく、
「漢字を十回ずつ書く代わりに、読みと意味を確認する」
「作文はキーボードでもよい」
「音読は事前に練習する範囲を知らせる」
など、何を学ぶ課題なのかを残した調整が考えられます。
学校によって対応は異なるため、担任、特別支援教育コーディネーター、通級の担当者などへ相談する形になります。
なぜなら、視力や聴力、ことばの経験、注意の向きやすさ、心身の疲れ、授業との相性など、ほかの要因も一緒に見ていく必要があるからです。
なにより、練習しても同じつまずきが長く続く、特定の課題だけ極端に時間がかかる、本人が「どうせ自分はできない」と強く落ち込む、腹痛や登校しぶりにまでつながる場合には、様子見だけにしないほうがよさそうです。
学校の相談窓口や教育相談、発達支援機関、必要に応じて医療機関へつなぐ方法があります。
相談は診断を決めに行くためだけではありません。
何が負担なのか、どんな方法なら学べるのかを整理するためにも使えます。
得意な算数は、「国語も努力すればできる」の証明ではない
アメリカでは、1960年代に「学習障害」という言葉が広がり、
1975年には障害のある子どもが必要に応じた公教育を受ける権利を保障する法律が成立しました。
日本でも、読み書きに困難のある子どもに対して、タブレットや読み上げ機能を使う、課題の量や提示方法を調整するといった合理的配慮を学校へ相談できます。
よって、通常の学級に在籍しながら、必要に応じて通級による指導を受ける仕組みもあります。
ただし、受けられる支援や相談までの流れは学校や地域によって異なるため、まずは担任や特別支援教育コーディネーターへ、困っている場面を具体的に伝える方法があります。
俳優のトム・クルーズやスティーヴン・スピルバーグ、ノーベル賞を受賞された作家や科学者のなかにも、読み書きの困難について公に語っている方もいます。
とはいえ、「有名人も成功したのだから大丈夫」と今のつらさを軽くしたいわけではありません。得意な力があっても、苦手な作業には支えが必要だという例として受け取ってください。
算数が得意なのは、「やれば全部できる」という証拠ではなく、その子の考え方や理解の強みを知る手がかりです。
国語を嫌がる姿を見たとき、やる気を引き出す前に、「この子はどこで立ち止まっているのだろう」と作業を分けてみましょう。
そうすれば、練習を増やすだけではなく、音声やタブレットなど、学び方を変える支援も選択肢になります。
参考文献・関連資料
文部科学省「教育支援資料 第3編 9 学習障害」
文部科学省「発達障害のある児童生徒などへの支援について」
文部科学省「読み書きに困難のある児童への支援事例」
国立特別支援教育総合研究所「読み書きの困難さを補うためのタブレット端末の活用」
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