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黄色いレンガの道のその先へ あるいは【音楽雑感】今どきあえてElton John &【映画レビュー】「ロケットマン / Rocketman」(2019)

映画ネタのストックが切れてきたので、音楽ネタに走る。
昔、恐らく30年近く前に原型を書いたElton Johnに関する駄文に、配信で最近見たEltonの伝記映画「ロケットマン」をつなげてみる。


ポップミュージックの歴史において最も幸福だった時代は、実は1970年代初頭あたりなんじゃないかと言う気がしている。

当時、「てめえらの親をぶっ殺せ」みたいな無茶を言ってたキティちゃんたちは淘汰されちゃって、ロック革命の喧騒は意外に簡単に終わっちゃったんだけど、それでもそーゆー連中を育んだ「ロックンロール」の文法はポップ・ミュージックの土壌の中にきちんと根を下ろしつつあって、いわゆるポップソングのクォリティが飛躍的に上がったのがこの時代。
自分が中高生の頃(1970年代後半から1980年代前半)には「ロック不毛の時代」と見なされて過小評価されてた(対照的に1960年代は「黄金時代」だった)けど、「ロック」的な見地からも意外と掘り出し物が多いんじゃないかという気はする。
共同幻想から内省へ、っつうのがこの時代を表すキータームで、フラワームーヴメントの挫折がロック革命の幻想を打ち砕き、フォークやカントリーをルーツに持つシンガーソングライターがブームになったということになってるけど、それを語るのが本稿の主眼ではないし、いったん箍が外れるとすぐに5万字くらいの長文を書いちゃいそうなので、この辺で自粛。
むしろ、シンガーソングライターブームが一巡した後の「ロックミュージックの産業としての固定化」の方に70年代初頭のポップミュージックの面白さの真髄があるんじゃないかと思うのだ。

「ロック的なもの」が過度に「産業」として成立してしまったために、60年代的な「反体制」風味を薄れさせてしまったのは事実なんだろうけど、それを「堕落」したと捉えるような無邪気さってゆーか頭の悪さとは無縁でいたいと心底思う。

そして、その、ポップミュージック黄金時代である70年代前半は、Elton Johnの時代だった。The Beatles亡きあと、ポップ・ミュージックの主役の座はElton Johnに受け継がれた、そう言っても過言ではないほど、この時期のEltonの創作上の輝きは特別なものだった。敢えて比肩しうるものを上げるとすると、1980年代中盤のPrinceくらいだろうか。
つまり彼はポップ・ミュージックの歴史の中でも卓越した存在だということである。

彼がポップミュージック史上類稀なソングライターであり、最良のメロディーメイカーの一人であることは、今日ではほぼ疑いようがない歴史的事実として確定している。それに疑義を挟むものがいるとしたら、単に無知なだけか、あるいは何らかの形で情緒が欠落しているかのいずれかであろう。
けれど、彼の活動の最盛期だった1970年代の初頭において、彼は必ずしも正当な評価を受けていたとは言い難かった。セールス的には成功していたものの、評論家からは酷評され、通ぶった極東の「洋楽」ロック・ファンからも馬鹿にされていたというのが正直なところだった。少なくとも自分が「洋楽」ロックを聴き始めた1977年の時点ではそうだった。
それは、端的に言うと彼がキラキラのポップスターだったからなんだけど、更に言えばポップスターの分際でロックスターになりたがったからなんだろう。
そーゆーのを嫌がる偏狭さと言うのは理解できないわけでもないけれど、中学二年生くらいまでに治しておきたいものだ。
大概治らないんだけど。

いずれにせよ、良い意味でも悪い意味でも、Elton Johnがこの時期のロックの産業化を象徴する存在だったのは間違いない。それが評価に値しないと断じるのは愚かな教条主義だ。21世紀にもなってまだそんな1960年代レベルの古ぼけた価値観のアップデートができていないのは、恥ずかしいことだと思う程度の知性は持っていたいものだ。


Elton Johnのベストソングを一曲を挙げるというのは、The Beatlesのベストソングを一曲挙げるのと同じくらい難しい設問で、意味のある回答ができる人間が存在するとも思えないのだが、個人的には敢えて挙げるなら"Goodbye Yellow Brick Road"ということにしている。
これはもう「面倒くさいからそーゆーことにしている」ということなんであって、"Goodbye Yellow Brick Road"が"Bennie and the Jets"や"Your Song"や"Honky Cat"よりも良い曲だと断定するつもりはない。ってゆーか、できないし。

この曲(邦題「黄昏のレンガ路」)は「ロックミュージシャン」としてのElton Johnの最高傑作とみなされている二枚組全17曲に及ぶ同名アルバムからの最初のシングルカット曲(ビルボードで2位止まり)だった曲で、日本ではマツダやJ-PHONEのCMソングとしても使われていた。
「オズの魔法使い」にインスパイヤされた、と歌詞を書いたBernie Taupin自身が語っているのだが、歌詞を見る限り、「希望に続く道だと思っていた“Yellow Brick Road”は幻想だった、自分が目指す道はその先にある」という感じなので、あの映画に対する一般的な理解とは少し異なっている。あるいはドロシー役のJudy Garlandのその後の境遇なども踏まえているのかもしれないなどと考えても見たが、それを書き始めると、また更に5万字くらい書いてしまいそうなので、このへんでやめておく。

この時期のElton Johnにありがちな大仰で思わせぶりな歌詞と、完璧ではないものの妙に耳に残って離れないメロディーと、裏声を駆使したヴォーカル(+コーラス)と、Del Newmanのゴージャスなオーケストレーションが完璧なハーモニーを作り出している。
書いてしまうとたやすいが、恐らくもう二度と作れないだろうと思われるような奇跡的な名曲である(Elton Johnがすごいのはこのレベルの曲を複数書いているからなのだが)。

才能のある人間がその才能を充分に発揮できる環境下で金と手間隙をかけるととんでもないものができるというのが、このアルバムを最初に聴いたときの自分の感想だが、その時自分は既に悠に二十歳を過ぎていた。
ロックを聴き始めて、ほぼ10年が経っていた。

そのことを、自分は少しだけ恥ずべきことだと思い起こすのだ。


ロケットマン Rocketman
2019 英/米 121分
★★★★☆
監督:デクスター・フレッチャー
脚本:リー・ホール
出演:タロン・エガートン/ジェイミー・ベル/リチャード・マッデン



てなわけで、史上最高のポップスターElton Johnの半生を描いた映画「ロケットマン」である。

こういう音楽系の映画でよく売りになるのが、出演者がすべて自分で歌っている/演奏しているというものだが、別にものまね王座決定戦じゃないんだから、そんなのを自慢されてもなあという気分になることが多い。いや、本業が音楽ではない役者さんが時間かけて練習しているわけだから、本人たちは頑張ってるんだろうけど、それがセールスポイントになるというのは映画や音楽という芸術表現に対して少々失礼な態度のように思えるのだ。
だが、この映画のタロン・エガートンのElton Johnの憑依っぷりはさすがにそういうレベルを超えている。下手するとEltonよりもEltonっぽいくらいだ。
単にElton本人公認であるだけなく、Eltonが何よりも口パクではなくてエガートン自身が歌うことに拘ったという話もあるくらいで、既存の音源では出せない、今ここにある生声で当時の音を解釈し直すようなアプローチが採られていると言って良い。結果として楽曲のパフォーマンスに関しては実在する音楽家の伝記映画として最高レベルにあると言えるだろう。そういうものが見所になるのはどうか、というレベルではすでにない。
単なる伝記映画というよりは、Elton Johnの曲を題材にしたミュージカル映画と言っても過言ではないクオリティだ。

それを踏まえた上で、さらに指摘すると、生きている人の伝記映画は難しい、ということをここでも何度か書いている。
Elton Johnはこの映画が作られた時点でもそうだし、今でもなお、バリバリのスターでありポピュラー音楽界の大御所だ。
にも拘らず、映画の中で描かれている内容は意外と容赦がない。
ヤク中で、アル中で、その他いろんなものの依存症で、自己肯定感が低くて、ホモセクシャルで、愛に飢えている。栄光を掴んだ時期はあったが、全然格好良くないし、基本的に情けなくてダメなやつのように描かれる。
生存中のスターの伝記映画で、ここまで弱さを曝け出したものは他にあまりないのではないか。
そもそも映画の建付けが、依存症の集団セラピーを受けるElton自身の語りによって彼の半生を振り返るという形になっていて、その告白は赤裸々でリアルだ。これは本人が企画から製作まで一貫して主導的な立場で関わっていることに負うところが大きいと思える一方で、逆に製作サイドで内容をコントロールできる立場にありながらこの内容にGoを出したEltonの自己認識の潔さに感服するほかない。
もともと自らのコンプレックスを語ることに関して躊躇がない人だったので、こういう自省的な内容の伝記映画が作られることにも大して抵抗がないのだろう。

原題の「ロケットマン Rocket Man」は1972年のアルバム"Honky Chateau"に収録されていた曲で、宇宙飛行士の男の孤独を歌った歌。同じGus DudgeonプロデュースのBowieの"Space Oddity"へのアンサーソング的な位置づけにある楽曲である。火星に向けて一人で旅立った男が、孤独に苛まれながら、普通の生活を送ることができなくなったことを嘆く歌だ。
この曲を映画のタイトルに選ぶということは、Eltonの自己認識として自らの成功について、普通の男が宇宙まで行っちゃったけど、そこに愛はなかった、的な感覚があるのだろう。
華やかなイメージの裏に潜む疎外と孤独感を表したタイトルで悪くない。短くて端的だ。このタイトルだからこそ、観るものはあの派手なパフォーマンスを期待する。だが、そこで繰り広げられるストーリーは陰鬱だ。必ずしも「ロケットマン」的ではない
実をいうと、この映画を観て自分が思い出したのは、上に書いた"Goodbye Yellow Brick Road"の歌詞のことだった。上の文章の原型はもう30年近く前インターネット黎明時代に書いたものだ。曲は大好きだし、詞の示唆するところも理解できるのだが、最後の最後の"my future lies beyond the yellow brick road"がいまいちピンと来なかったのだ。
この映画を観てようやく、あの歌詞の内容が初めてそういうことだったのかと理解ができたのだ。
Yellow Brick Roadはオズの世界のメインストリートだ。ここにはないどこかの国「オズ」の都へと続く道。それはすべての願いを全て叶えてくれる虹の都。映画の中でドロシーが願いをかなえたように、Judy Garlandにとっても、彼女に憧れたEltonにとっても、ショービズの世界での派手な成功を約束してくれる象徴であり、その先にはさらなる栄光が続くはずだった。だが、現実のJudy GarlandはYellow Brick Roadの先には辿り着けず、そしてEltonも、この曲が書かれた時点では知る由もないが、結果的にそうなっていく。
この映画を観ると、あの曲が、結果的にEltonの未来のキャリアを歌っていたかのように聴こえたのだ。
40年の時を経て、なんとなくモヤっとしていた名曲への歌詞への思いがクリアになったような気がした。

けど、まあ、実際のところ、歌詞を書いたBernie Taupinの意図は、エンターテインメント業界なんて華やかに見えるけどロクなところじゃないから、早いとこリタイアして田舎に帰ろうぜ、程度の意図だったりもするので、こういう解釈は聞く側の勝手な思い込みでしかない。
だとしても、この映画に相応しいタイトルは”Beyond the Yellow Brick Road”なんじゃないかと思うのだ。

Eltonの最後のワールドツアー、2018年に始まってCovidでの中断を挟んで足かけ6年に渡り世界各国300か所以上を回って2023年に幕を下ろした引退ツアーの名前は”Farewell Yellow Brick Road”だった。
彼は奇跡的に黄色いレンガの道から自らの意思で降りることができた。それがBeyond the Yellow Brick Roadにある最も幸福な形なのだろう。
Judy Garlandは、降りることができなかったのだから。その差は大きい。

結局Judy Garlandのことを書いてしまうが、Eltonも幾度となくJudy Garlandに言及している。彼がJudy Garlandを敬愛していることはよく知られており、パフォーマーとして彼女の姿勢を見習ったこと、それによって生きる糧を得て救われたことを述べている。逆にJudyはパフォーマンスを続けたことによって命を落としたと言えなくもないので、やや皮肉も込められているようにも思うが、それでもElton Johnという不世出の天才が、完全にスポイルされることなく「黄金のレンガの道」に自ら別れを告げることができたのは、僥倖というしかない。

ジュディ・ガーランドについてはこちらでも少し思いを書いている。できれば併せて読んでほしい。

とにかく、ヒット曲が次から次へと流れて来る。ミュージカル映画でこれだけ有名な曲ばかりがかかる作品もそうそうないだろう。その点では「サウンド・オブ・ミュージック」すら超えているかもしれない。配信でしか観られていないので、できれば劇場で観直してみたい。


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