【劇場映画鑑賞記】【映画短評】「ボーイ・ミーツ・ガール / Boy Meets Girl」(1984)
ボーイ・ミーツ・ガール Boy Meets Girl
1984年 フランス 104分
★★ (凡作、時間があれば見てもいいかも)
監督:レオス・カラックス
脚本:レオス・カラックス
出演:ドニ・ラヴァン/ミレーユ・ペリエ/キャロル・ブルックス

「ポンヌフの恋人」、「汚れた血」に続いて、レオス・カラックスのアレックス三部作の第一作「ボーイ・ミーツ・ガール」の4Kレストア版が劇場公開されてるので観に行ってきた。
今回の一連の4Kリバイバル公開はオリジナルとは逆の順番になっていて、大ヒット作の「ポンヌフの恋人」を最初に公開して、そこから逆にルーツを辿っていくような構成になっていて、興味深い。
前二作とは異なり「ボーイ・ミーツ・ガール」はこれまで未見だったので、「映像作家」としては強烈な個性を発揮しながらも「映画監督」としてはどうにも未熟で頼りなさを感じるカラックスの原点を探求するという意味でも非常に楽しみだった。前二作の映画としてのダメさ加減をよく知るだけに過度な期待は禁物と感じながらも、なるべくフラットな状態で観たかったので、事前情報もレビューも一切頭に入れずに観てみた。
覚悟はしてたが、思ってた以上にしんどかった。
映画として成立してない。映画の出来を云々する以前の話だ。
時間と空間の移動の描写がまったくできてない。そもそもする気もない。
映像で説明がないのは別にいいのだが、その割にずっと何かを説明していると誤認させるようなどうでもいい台詞が続いて耳障りだ。
登場人物、とくに主役の二人が話す台詞はほぼ全部嘘だろう。なんら物語に関与する内容はない。敢えてそういう構造にしている。
アレックスの兵役もミレーユの自殺願望も、彼らが語る身上はおそらくすべて虚構だ。
孤独な若者が自分の人生を仮構化し悲劇の物語として提示する。それがこの作品の基本構図となっている。
いや、正確に言えば、彼らが「若者」であるかどうかすら定かではない。
彼らは少なくとも彼らの認識の中では十分に老いており、死と隣り合わせにいる。だから、出逢いは終わりの合図でしかなく、何も始まらない。

「ボーイ・ミーツ・ガール」というタイトルはおそらくは意図的にミスリードを狙っており、ここには少女と少年の時めく出会いなどは一つもない。
あるのは、死を前にした、十分に老成した男女の別れ話のいくつかの断片だけだ。主人公の二人以外にも登場人物はみな別れを語る。
要するに最初から最後まで別れを描いている映画なのだ。

厭になるほど多くの言葉が語られるが、何が真実かは最後までわからない。二人が不自然に倒れる描写も、ミレーユの血が流れるのも、フェイクかもしれない。
そういう構造の映画なので、そういうものだと諦めるしかないのだが、となると、もう何を信じれば良いのか、観るものには判断がつかない。
まあ、映画なんてものはすべてが虚構なので、何が「本当に」起こったことなのかを詮索しても仕方ない。
「汚れた血」も「ポンヌフの恋人」もどちらかというと若気の至り爆発系で、映画としては稚拙な完成度を個別の映像の勢いで押し切ったような不格好ではあるものの映像の真実味だけはあった作品だったが、本作は上記二作に見られるような迸りがほとんど見られないのが辛い。
白黒なので色彩による陰影もない。ただひたすら暗い。
ただ、それはスタイリッシュな暗さであり、深遠さを欠いている。
一見、愛と死をテーマにしているように見えるが、死の描写が観念的すぎて軽いのだ。「ボクの考える最強の死に様」みたいな、いかにも死について何も考えたことがない若造がいっちょかみで格好つけているような浅薄さに満ちていて、観ていてちょっとしんどくなった。
おそらくそういう鼻持ちならなさも含めて若気の至りとして大目に見てもらえることを想定してそういう作りにしているのだと思うが、悲しいかなテーマの上滑り具合に比べると純粋に映像作品としては妙によくできているせいで必ずしも未熟さを感じさせず、若さが免罪符として機能していない。
「みずみずしい感性」とか書いてある何も考えてないレビューをよく見るが、そういう使い古された表現では到底覆い隠せない欠落部分が露わになっている作品だと思う。

何だか悪いところばかり指摘してしまったが、美点はある。
まず、何と言っても映像そのもののクオリティは高い。22歳の青年監督のデビュー作としては奇蹟的だ。モノクロ映像なので、「汚れた血」や「ボンヌフの恋人」のような派手さはないし、疾走感や爆発力にも欠けるが、その分シックで落ち着いたトーンで静謐でメランコリックな情念が表現されている。ひとつの映像作品として「完成」されているかというと心許ないが、個々のシーンの映像は極めて良質だ。
映像の素晴らしさに比べて台詞がうるさくて邪魔なので、もし自宅で観られるならミュートしてみると映像体験としてはそれなりに良質なものが得られるのではないか。
他に良いところを指摘しようと思ったのだが、残念ながら、思いつかなかった。ところどころクスっと笑えるシーンはあるので、その辺を密かに愉しむのが精神衛生上は良いかもしれない。
デビュー作でのこのレベル感を考えると、ここから3年で「汚れた血」まで辿り着くのだからかなり頑張ってる。まあ「汚れた血」でも悪いところはあんまり直ってなくて映画として成立はしてないけど、無駄にエネルギーを発散させられるようになった分映像作品としての完成度は抜群に上がってる。
で、その後、いろいろトラブルあって紆余曲折を経ながらも、フランス映画史上最高レベルの製作費を費やして「ポンヌフの恋人」のような大ヒット映画を完成させるのだから凄い。なんというか、フランス映画界の何とも言えない無駄な底力に震える思いだ。
なんだか物凄く貶しているように見えるかもしれないが、全然そんなことはなくて、自分はこのカラックスという監督が大好きなのだ。そもそもよほど好きじゃなきゃこんなどうしようもない三部作を短期間に全部観に行ったりしない。映画としてはダメだとわかってるのだが、その映画としてダメなズレ方が妙に面白いのだ。
この人、端的に言って、企画した映画を映像の形に落として撮る才能はあるけど、商業作品として映画を作る才能はない人なんだろうと思う。
前者がうまくいかず苦労する人の方が多いので、わりと稀有な存在なのではないかと思う。ありていに言って「天才」だったんだろうな (すでに過去形っぽいけど)。
変な持ち上げられ方をして「ポンヌフの恋人」を撮らされてなかったら、知る人ぞ知るインディーズアート系の大家として、今とは違った映像作家人生があったかもしれない。まあ、でも、それで基本的に映画を構築する能力の不安定さが解消するわけではないので、結局辿り着くところは同じようなものかもしれない。
