【煉獄のパールライト】15.価値ある食べもの
吉田太一は、大きな声を張り上げたつもりだった。
「みんな。聞いてくれ……」
しかし、緊張でかすれたその声は、ほとんどの人には届かなかった。気付いたのは、近くにいたごく数人のみ。中途半端に注目され、彼はその視線が逆に恥ずかしいと感じた。
太一は少し太めな体型で、紺のジーパンにグレーのパーカー着て、腰に大きなウエストポーチを付けていた。人前で話すことなどないので、緊張で手がじっとりと汗ばんでいる。
2日目も正午を回り、少しまったりとした空気が漂っていた。そんな中、この空間で比較的人が集まっている場所で、太一はもう一度声を張り上げた。
「話を聞いてくれ! 俺は、食べ物を持っている!」
その言葉が人々の興味を引き、太一は聴衆から注目を集めた。一斉に視線を浴びて、自分の鼓動が大きくなったように感じる。
「どんな食べ物だよ?」
群衆からの問いかけに、彼は勢いよくウエストポーチの中から、何かの袋を取り出した。
「い、イチゴ、メロン、ピーチ、オレンジ、マンゴーの5種類。本格果実の味わい、果汁入り……まろやかキャンディーだ! この飴1粒と、珠との交換を募集したい!」
飴のパッケージに書かれていた説明を棒読みしつつ、太一は珠との交換を持ちかけた。しかし、その内容に、人々の興味は急速に薄れていった。
「何だよ。もう少しマシなものはないのかよ!」
「飴玉1粒と交換って……1袋でも釣り合わないよなあ」
「強欲すぎだろ!」
周囲から、そんな嘲笑の声が聞こえてきた。太一は悔しさに顔を歪めたが、負けじと飴の袋を掲げながら言った。
「他に、食い物を持ってる奴はいるか!?」
しかし、返事をする者はいなかった。
「いない! いないんだよな!?」
さらに大声を張り上げて、太一は叫んだ。
「たとえ腹は減らなくても、最後に何か味わいたいと思わないのか! 食べ物は、もうこれしかないんだよ。それでも、あんたたちはバカな取引と笑うのか!」
ヤジを入れた男たちは、太一の反論に何も言い返せなかった。しかし、交換を名乗り出る者は現れそうにない。やはり、珠と飴玉との交換は、価値が釣り合わないと思われているのだろう。
人々の反応の薄さに、太一は交換レートを上げるべきか悩んでいた。だが、飴玉2つとすると、手に入れられる珠の数が、半減することになる。交渉の流れによっては、それ以下になる可能性もあるだろう。
短絡的な判断は、あとで大きな後悔をすることになるかもしれない。だが、タイムリミットは存在する。決断が遅すぎると、すべてが台無しになる可能性もあった。
太一がそんな考えにとらわれていると、ひとりの女性から声がかけられた。
「はい。交換したいです!」
手をあげたのは、20代らしきショートヘアの女性だった。Tシャツにジーパンといった、飾らないラフな姿が、ボーイッシュな彼女によく似合っていた。
「ほ、本当か!?」
嬉しそうに答えた太一を、彼女は少し申し訳なさそうに手で制した。
「ただし、珠じゃないの。物々交換でお願い」
「は?」
「これと、交換できないかな?」
そう言って彼女が差し出したのは、駄菓子屋で定番の四角いチョコだった。誰もが知るロングセラー商品で、当然太一も食べたことがあった。種類によって様々な味があるが、彼女が持っていたのは、何の変哲もないチョコ味だ。
太一は交換を受けるべきか悩んだ。貴重という意味では、1袋分ある飴よりも価値は高い気がした。それに、珠を集めるのが無理ならば、飴はいずれ自分で食べてしまうつもりだった。そうなった時のことを考えると、飴よりもチョコの方が魅力的に思えた。
交換してプラスになることはあっても、マイナスになることはないだろう。太一は、そう結論付けた。
「どうしてもと言うのであれば、交換してやってもいいぞ」
太一は親切で受けてやる、といった偉そうな態度で答えると、彼女は嬉しそうに言った。
「ありがとう! じゃあ、1対5でお願い!」
「はあぁ!?」
彼女から提示されたレートに、太一は思わず上ずった声をあげてしまった。
「1対1じゃないのか?」
「私たちにとって、これが最後のチョコよ。この場であれば、どんな宝石よりも高価なんじゃない?」
太一も同じような主張をしたのだから、彼女の提案を馬鹿にすることはできなかった。しかし、さすがに強欲すぎだと、彼は怒りを露わにした。
「そんなの、ダメだ! 5個なんて、とんでもない!」
「じゃあ、いくつならいいの?」
そう言って、彼女は食い下がった。
「せいぜい、3つがいいとこだ」
太一はそう反射的に答えるが、彼女は両手を合わせて、すがるように言った。
「4個じゃ、ダメ?」
「ダメだ。ダメ!」
「わかった。じゃあ、3個でいいわ!」
すると、彼女はあっさりと、その提案を受け入れてしまった。
「……っ。え?」
よく考えずに言った提案を了承され、太一は戸惑った。
「はい!」
「え? ああ……」
彼女からチョコを差し出され、太一は思わず受け取ってしまった。突き返せばよかったのだが、彼女は感謝を込めた微笑みでこちらを見ている。もうすでに、断れない雰囲気だった。
チョコの価値が高かったとしても、数が少なくなるのはデメリットではないのか。そう思いつつも、自分が言い出したことなので、引っ込みがつかなかった。周囲から注目されていることもあり、太一は渋々と3個の飴を彼女に差し出した。
「ありがとう!」
彼女は礼を言って、嬉しそうに去っていった。
太一が自分の判断が正しかったのか思い悩んでいたとき、ひとりの男が声をかけてきた。
「俺とも、物々交換してくれよ」
「な、何とだよ?」
もう失敗できないと、太一は警戒しながら聞き返した。作業着姿の男は、何か細長いものを差し出した。
「この、マジックと交換でどうだい?」
それは、両端のペン先が極太と極細に分かれている、よくある赤色の油性マジックだった。怪訝な表情で、太一はその男に質問した。
「……交換して、俺に何のメリットがあるんだ?」
「字が書ける!」
「いらねえよ!」
検討するまでもない提案に、太一はそう言って背を向けた。
「ちっ」
最初から、ダメもとの提案だったのだろう。男は持っていたマジックを投げ捨てて去ってしまった。
彼らが去った後、浩輔は落ちていたマジックを拾い、近くにいた白い服の少年に声をかけた。
「どういう法則なんだろう?」
太一たちの様子を見守っていた少年は、チラリと浩輔に視線を向けて答えた。
「何がですか?」
マジックを手のひらでくるくると回しながら、浩輔が言った。
「死後の世界なのに服を着て、スマホなどの小物も持っている。物質であるはずのこれらは、所有者の認識の産物ということなのかな?」
それは、魂になっても、物質的な価値観に囚われている証なのだろうか。拾ったマジックを見つめながら、浩輔はそんなことを考えていた。
「現象に、意味などないかもしれません。細かなことを気にしても、仕方ないのでは?」
少年の返答は、素っ気なかった。
「そうかもしれない……」
浩輔はそう言いつつ、マジックの蓋を開け、正面の壁に大きく数字を書き始めた。
『1/127』
そう書かれた文字列は、まるでこの部屋の識別番号かのように見えた。
「この数字に、何か意味はあるのかな?」
浩輔のつぶやきに、少年が答えた。
「それこそ、神のみぞ知るというやつですよ」
浩輔は少年に苦笑だけ返して、1/127と書いた壁の真下に、持っていたマジックを立てて置いた。
