【煉獄のパールライト】27.せいの重み
坂祢 梓は自分の体の中に、男のそれが吐き出されるのを感じた。
相手の体がのしかかってきて、重くて身動きが取れない。荒い吐息と、様々な体液が混じり合った匂いで、抑えていた嫌悪感が再び蘇ってきた。梓は苛立ちを感じつつも、素敵だったと相手の耳元でささやいた。
3日目に入り取引を再開した梓だったが、2人と交渉が成立した時点で音を上げた。休憩を宣言して、壁際に体を下ろす。
男たちが遠巻きに自分を眺めているので、気が休まることはなかった。梓は自分の体を隠すように、ジャケットを羽織って目を閉じた。
男の欲望を受け止めるたび、体が重くなるような気がした。体の芯から溜まるそれは、単純な疲労という感じではない。相手から何か重たいものを、背負わされているような気分だった。
初日が9人、昨日が7人、そして今日が2人。現在集まった珠は、合計19個となった。
7日で100個だとすると、1日平均で14個は集めなければならない。どのようにすれば、そんなに集めることができるというのか。改めて計算すると、これが無理筋のルールであるように思えてならない。
それに、残る交渉相手の男も少なくなっていた。梓を取り巻く男の数は多いが、もう大半は交渉を終えており、まだ珠を持っている男は10人にも満たないだろう。彼ら以外の男たちにも声をかけ、40には届かないにしても、できるだけ多くの珠を回収しておきたかった。
梓は焦り、すぐにでも交渉を再開したいと思うのだが、体は鉛のように動かなかった。
しばらくすると、ひとりの女性がこちらにやって来た
20歳ぐらいのその女性は、ボリュームのあるおかっぱ頭に、太い黒縁メガネをかけている。服装はグレーと白のボーダーシャツに紺のカーディガンを羽織っており、とても地味な印象だった。
彼女は緊張した面持ちで男たちの前に立ち、何かを言おうとしていた。
「わ、私も珠を募集するわ!」
言葉の意味が分からずぽかんとしている男たちに、彼女はもう一度大きな声で言った。
「私も、珠と交換でやらせてあげる!」
彼女の提案に、男たちは苦笑いを浮かべた。若いとはいえ、女としての魅力は梓と比べるまでもなかった。
「おいおい。誰か、やってやれよ!」
「むしろ、俺が珠を貰う方じゃね?」
そんな下品な笑いが、男たちからわき起こった。彼女の顔がみるみる赤くなり、恥ずかしさで歪んだ。梓の方を見て、悔しそうに唇を噛む。
「何よ! あんな、淫乱な女がいいわけ? わ、私、処女なんだから! それでも不満!?」
生への執着か、女としての対抗心か、彼女の勧誘はおかしな方向へと進んだ。
「あいつと違って、時間制限なんてない。抱き放題なんだから!」
彼女も自分で何を言っているか、よく分かっていないのかもしれなかった。そんな彼女を見て、男たちは大爆笑していた。
その状況に、彼女の顔は赤面を通り越して青ざめていった。両手でカーディガンの裾を握りしめ、彼女の肩が小さく震えている。そして、堪えきれずに、涙が頬を伝って流れた。
その涙のわけは、見ている者には分からなかった。嘲笑する男たちへの怒りなのか。または、錯乱した自分への羞恥なのか。それとも、もう死んでいることへの絶望なのか。
その時、輪の中からひとりの男性が立ち上がった。
その男は歩み寄ると、じっと彼女の顔を見つめている。彼の表情は真剣そのもので、彼女はその強い視線にたじろいでいた。
「な、なんですか!」
少し間を置いて、男はポツリと彼女に言った。
「俺でもいいか?」
「え?」
「珠、君にあげてもいい」
自分で言い出したことなのに、実際に相手が現れると、彼女は激しく動揺し始めた。
「ほ、本気で言ってるんですか? 私なんかより、美人の方がいいんじゃないの?」
どう対応すれば良いか分からないのか、そんなことを言う彼女に、男は真面目に聞いた。
「それは、君にも言えることだよ。俺なんかでいいか、考えてくれ……」
本当にするつもりがあるのか、彼女の意志が問われていた。
「おいおい、処女好きなのか?」
「物好きだな!」
周りから、下品なヤジが飛んだ。しかし、男は気にする様子もなく、じっと彼女の返答を待っていた。
彼女は、まじまじと彼を見返した。男は20代後半で、Tシャツと黒のボトムといったシンプルな服装だった。顔立ちは普通。美点はないが、欠点らしきものも見当たらなかった。
「い、いいわよ……」
彼女は少し迷った末、戸惑いながらも小さくうなずいた。
「ありがとう。俺の名前は大森渉」
「わ、私の名前は中村佐代子……」
渉は少しほっとした表情を見せて、優しく佐代子の手を取った。すると、佐代子は急に慌てふためいた。
「い、いますぐ? ここで!?」
佐代子は今更ながら、自分が承諾したことのとんでもなさに、たじろいでいるようだった。すっかり腰が引けてしまっている。
「いや。とりあえず、少し話さないか。静かなところに行こう」
そう言って、渉は彼女の手を引いて歩き出した。佐代子は少しほっとした表情で、戸惑いながらも先導する彼について行った。
「カップル成立!」
「おめでとう!」
周囲の男たちから、ふたりに冷やかしの声が浴びせられた。急に恥ずかしくなったのか、佐代子は赤面を隠すように下を向いて去っていった。
そんなふたりの後ろ姿を、梓は壁際に座ったまま、険しい表情で見つめていた。
柚浅 みことは、部屋の隅で膝を抱えて座っていた。
結衣香や都筑に誘われて、たまに部屋の中を散歩することはある。しかし、その時以外は、膝を抱えた姿勢のまま、遠くをずっと眺めていた。
少し離れた先に、都筑が立っているのが見える。彼は時折こちらを見ては、みことの安否を確認してくれているようだった。
しばらくすると、ひとりのおばあさんが、壁伝いにこちらにやって来た。都筑もそれに気づいていたが、問題ないと判断したのか、こちらに来る気配はなかった。
老婆はみことに、笑顔で声をかけた。
「暑くも寒くもなく、ここは過ごしやすい所ね」
みことは、小さくうなずいた。そんな素っ気ない反応に老婆は微笑み、みことの隣に腰を下ろした。
「お嬢ちゃん、いくつ?」
7歳と、みことは小さく答えた。
「じゃあ、もう小学生なのね……」
老婆はみことの顔をまじまじと見ると、目を細めて言った。
「私には娘がふたりいるのだけれど、孫のひとりが女の子で、来年小学生になるのよ!」
孫の顔を思い出したのか、老婆の顔がほころんだ。
「ランドセルは、何色にしたの? 今時は、いろんな色があるのねえ」
老婆はそう言って、一緒にランドセルを買いに行った思い出を語り始めた。そして、しばらく雑談した後、無口なみことに顔を寄せてささやいた。
「じつはね、私お菓子持ってるの。あげるから、見えないように食べてね」
老婆はみことの手を取って、何かを握らせる。手を開いてみると、それはオブラートに包まれた、昔ながらのゼリー菓子だった。
そして、その包みと一緒に、輝く珠も渡されていたことに気づく。みことは、怪訝な表情で老婆を見た。
「苦手って言う人もいるけど、私はこの杏味が好きなのよ」
老婆はそう言うと、もう一つの包みを取り出して、中身を素早く口の中に放り込んだ。口の中で、それをゆっくりと溶かして味わっていた。
「これ……」
みことが珠を差し出すと、老婆がその手を珠ごと両手で握り込んだ。
「隠しておかなきゃだめよ。盗もうとする、怖い人がいるかもしれないから」
みことは困った顔をするが、老婆に珠を返せないことを悟ると、諦めたようにそれをポケットに入れた。
「大事にしてね」
老婆は優しく微笑んでそう言うと、小さく手を振りながら去っていった。
残されたみことは、ただ困惑していた。都筑といい、先程の老婆といい、なぜ自分なんかに珠をくれるのだろうか?
「わたしは、このまま死んでもいいのに……」
みことは小さくそう言って、再び膝を抱えて遠くを見つめた。
