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#⃣私を構成する9つのマンガを紹介してみた~少年時代編~


1 はじめに 


 ツイッター(現X)を眺めていると「#⃣私を構成する9つのマンガ」という突発的な企画のようなものが生まれ、VTuberや漫画家といった人たちが各々の自分を構成するマンガを紹介していくというムーブメントが出来上がっていた。

 私はツイッター(現X)では極力情報収集にのみ力を注ぎ自分から投稿はしないと決めているのだが、せっかくならば自分もこの流れに乗って自分のオススメの作品を布教したいということでnoteで発表することにした。

 当初は私の人生を通したマンガを9作品厳選するつもりでこのnoteを作成し始めたが、よくよく考えたら普段のnote記事ですら【つぶやき】と称して平気で1000字~2000字費やす悪癖のある私が正直に9個しか選ばないなんてことができるわけがない。映画『コマンドー』で言うところの「貴様は最後に殺すと約束したな。あれは嘘だ」といったノリで「9選と約束したな。あれは嘘だ」となるオチが容易に浮かぶ。あるいは平気で100個以上の判例を掲載している「判例百選」のようなものになるのは目に見えている。

 この問題を少しでも解決する手段として「少年編」「青年編」といったように期間を分けて少しでも合理的に9つ以上の私の魂を形作った熱き作品たちを紹介できたらと思い、この投稿を作成することにした。しばしお付き合いいただければ幸いである。

2 少年時代の私の魂を形成し現在でもその影響を色濃く残している作品達紹介

 それでは、順を追って紹介していきたいと思う。おおよそ私が小学生~高校生時代の頃に読んだ作品をメインに紹介する。古い作品は1980年代後半くらいのものであり、それ以降は平成初期から平成中期に人気を博した作品である。

(1)『金色のガッシュ』(雷句誠)

 私と同世代の人間は「平成を代表する王道の少年漫画」としてこの作品を挙げる人も少なくないのではないだろうか。この平成中期あたりの週刊少年サンデー作品は勢いがあった。『うえきの法則』や『結界師』『犬夜叉』など思い出が蘇るものである。

 『金色のガッシュ』は魔物の子供と人間のパートナーとの絆を描いたファンタジーバトル作品である。魔界の王を決める戦いに選ばれた100人の魔物の子供達の一人である「ガッシュ・ベル」は天才中学生「高嶺清麿」と出会う。清麿は天才であるが故に周囲から浮いてしまい引きこもり同然の生活を送っていたが、ガッシュの「作戦」によって清麿は再び学校に通うことができるようになる。一方で、魔界にいた頃の記憶を無くしているガッシュの元に数々の魔物の子供のライバルが現れる。当初は「人間界に残り続けるため」に戦っていたガッシュと清麿であったが、コルルという魔物の子供との出会いをきっかけにガッシュは「優しい王様」になるために魔界の王を決める戦いに身を投じていく。この戦いを経てガッシュと清麿は友達や仲間を得ていき、一方で強力なライバルや敵も負けず劣らずのコンビネーションを見せつけてガッシュ達を追い詰める。そんな熱き友情バトルを楽しめるのが『金色のガッシュ』という作品の魅力であるように思われる。

 なお、2026年3月現在において『金色のガッシュ』の正統続編である『金色のガッシュ2』が大好評連載中である。個人的には『金色のガッシュ 完全版』全16巻を読んだ後で『金色のガッシュ2』を読むことを勧める。特に完全版最終巻に掲載されている書き下ろし漫画「ガッシュカフェ」に続編である『金色のガッシュ2』に登場する「敵」ないし「魔界の危機」に言及しているシーンがあるからである。

(2)『ボボボーボ・ボーボボ』(澤井啓夫)

 一度認識したら絶対・永遠に忘れられない週刊少年ジャンプの誇る唯一無二の伝説のギャグバトル漫画の金字塔である。

 「西暦300X年、地球はマルハーゲ帝国(アニメ版『ボーボボ』だと「マルガリータ帝国」)に支配されていた」という文言から始まり、世界中の善良な市民達が毛狩隊による「毛狩り」に苦しめられていたという字面だけはマヌケだがその世界に生きている人たちからすれば切実な問題であるディストピア世界が簡潔に示されている。後述する『北斗の拳』を平成ナイズ・ギャグテイスト強めにお出しするとこのような世界観が出力されるのだろう。そして、そんなマルハーゲ帝国にレジスタンスとして叛逆する孤高の戦士こそが主人公の「ボーボボ」なのである。ボーボボは旅を通じて仲間を増やしていき、強敵を倒しながら世界の平和を取り戻していく。こう書くと王道のバトル漫画のようにも思えるが、ギャグ(ハジケ)をふんだんに取り入れた独自のバトルは漫画のコマ、あるいは世界や次元を超えた読者の腹筋をも破壊しにいく。そんな旅路は「楽しい」に決まっているのである。令和になってからでも遅くはない。ボーボボを読むのだ。「こんな時代だぜ、俺たちは止められない」のだから。

 私と『ボーボボ』とのファーストコンタクトは25年以上前の週刊少年ジャンプに掲載されていた「軍艦編」のとあるエピソードである。『ボーボボ』の物語の中では比較的序盤にあたるであろうエピソードである。マルハーゲ四天王の1人でありボーボボの幼馴染である「軍艦」の部下にヒロイン兼ツッコミ役のビュティをさらわれたボーボボたちは、軍艦がいるという「ポマードリンク」を目指す。その道中を描いたエピソードである。ボーボボ一味の中では貴重な常識人兼ツッコミ役の「ヘッポコ丸」が「頑張ってこーぜ」的なことを言った直後にボーボボがいきなり「天の助が、自殺しました」いきなりパーティーメンバーが5人から4人になってしまったことを報告するという衝撃展開。実際のところは天の助の棺に「ドッキリ大成功」の看板がチラ見えしているという小ボケをカマしており、首領パッチと天の助はチラチラとヘッポコ丸の様子を窺っている。ヘッポコ丸は天の助達の茶番にとりあえず付き合うことにして「そっか…天の助死んじゃったのか…」と悔やむフリをする。そこで天の助らが「バカめ騙されたな!ドッキリ大成功!」と看板を掲げるもいきなり首領パッチが「と見せかけて現実!」とドスを天の助の胸に突き刺す凶行に及ぶ。「うわああああああああ!!!!」とヘッポコ丸は当然のように(読者を代弁して)驚く。もう一度言うが、これが私と『ボーボボ』とのファーストコンタクトであった。当時バイオレンスなギャグは『絶体絶命でんじゃらすじーさん』くらいしか知らなかった私にはギャグのインパクトが更新された瞬間でもあった。「味方相手にもこんなに暴力を振るっていいんだ(よくない)」と思った瞬間であった

 その後、私が本格的に『ボーボボ』の単行本を購入し始めたのは第11巻からであった。なぜそんな中途半端な関数から読み始めたのかというと、当時家族旅行に出向いていた際、空港の本屋で暇つぶしの本を購入しようと思っていたところ偶然目にしたのが『ボーボボ』の11巻だったのである。途中から読んで楽しめるか?とも思ったが、『ボーボボ』の前ではそんなことは問題にすらならなかった。『ボーボボ』は途中から読んでもギャグ自体は前の繋がりとか関係なく笑わせに来るので全く問題にならないのである。そういうわけで、『ボーボボ』の単行本は「サイバー帝国編」の最初の方から読み始めたが、そこから徐々に遡って『ボーボボ』の単行本を収集していった。『ボーボボ』と一口に言っても、本当の序盤と途中からではギャグの種類やテンション、バトルシーンとの絡み等含めて原作者の澤井先生も色々試行錯誤していたのではないかと思う。個人的には「OVER編」あたりからギャグとバトルの塩梅が丁度良い具合になったのではないかと推察している。そして「ハレクラニ編」でのラスボス「ハレクラニ」との戦いにおいてハレクラニの闇奥義「デスマネー双六」を打開する唯一の方法としてボーボボのアフロから「武藤遊戯(本物)」を召喚するという、作品の枠を超えた、誰にも予想できない展開には笑いと驚きが同時に襲ってきた稀有な回であった。その後のボーボボの反撃業である「おもしろスゴロク」も含めてハレクラニ様との戦闘は大好きなシーンである。後にハレクラニ様が一時的とはいえボーボボ一行の味方に付いてくれるのもポイントが高い。

 何が起こるか分からない、先行きも不透明、何が楽しくて何が幸せかもよく分からないこんな時代だからこそ『ボーボボ』を再読する価値があるのではないかと思った次第である。

(3)『ピューと吹く!ジャガー』(うすた京介)

 個人的に上述の『ボーボボ』と並んで自分の「笑い」のツボを錬成した作品である。『ボーボボ』が勢いで強制的に笑わせるのであれば『ピューと吹く!ジャガー』は基本的にシュールな笑い7割時々バイオレンスな笑い3割といったような具合でこちらの腹筋を破壊しに行く作品である。この漫画をリアルタイムで読んでいた時は「ハマー」さんのことを「こんなダメな大人いるもんかよ」と笑っていたものだが、気づけば自分がハマーさん未満のダメ人間になっていたことが残酷である。

 プロのギタリストを目指す青年「酒留清彦」(後に「ピヨ彦」と命名される)の前に現れた謎の笛吹き男「ジャガー・ジュン市」。ジャガーさんとピヨ彦は奇妙な共同生活を送りながら「ふえ科」の面々とだらだらとした日常を過ごしていく…というギャグコメディである。

 基本的にはジャガーさんが「ボケ」、ピヨ彦が「ツッコミ」と大まかなポジションが決まっているのだが、個人的に気に入っているのは冒頭以外終始弱気でツッコミに回っている唯一無二のジャガーさんが見られる「弱気なジャガーさん」というエピソードである。基本的に無敵なジャガーさんの唯一の弱点とも言うべき「歯医者」にスポットが当たった回である。原作のうすた先生が美術系の学校出身ということも合わさり「画力の暴力」がジャガーさんと我々読者の腹筋を襲う。ジャガーさんでなくても「ゴッサム歯科医」に通院すれば誰でも歯医者はトラウマになることだろう。

 個人的な話になるが、私が「いじめっ子」という存在に多少なりとも免疫が出来るようになったのは、この『ピューと吹く!ジャガー』という作品に登場する「人間」というものを学んだおかげだとも思っている。「社会」というものに対する免疫をつける荒療治として『ピューと吹く!ジャガー』をオススメしたいとも思っている。

 世代によっては「うすた京介」と言えば『セクシーコマンドー外伝すごいよ!!マサルさん』を思い浮かべるかもしれないが、私の中では『ジャガーさん』がしっくりくるのである。

(4)『みどりのマキバオー』(つの丸)

 おそらく私が人生で最初に本格的に読んだであろうスポ根(競馬)漫画が『みどりのマキバオー』という作品である。「日本競馬」がテーマという少年誌で連載するには攻めた題材であるが、後の『ウマ娘シンデレラグレイ』にもつながる熱き魂を内包した作品である(実際『ウマ娘シンデレラグレイ』が連載されたヤングジャンプ本誌には『みどりのマキバオー』と『ウマ娘シンデレラグレイ』の描き下ろしコラボイラストが掲載されたこともある。「ミドリマキバオー」とウマ娘の「タマモクロス」が走っているイラストである。ちなみに「ミドリマキバオー」のモデルの一つとされた競走馬の一頭の中に「タマモクロス」が含まれているそうである)。

 『みどりのマキバオー』とは、一見すると白い短足のロバのように見える競走馬「ミドリマキバオー」がライバルの競走馬達と雌雄を決するスポ根物語である。物語は北海道の「みどり牧場」と呼ばれる借金まみれの牧場でマキバオーが生まれるところから始まる。日本競馬会を代表する名牝馬である「ミドリコ」の仔馬が生まれるとして当初は期待されたが、いざ生まれたその姿は上述のようにミドリコの子供とは似ても似つかないほどに白い短足のマヌケ面といったような出で立ちをしていた。借金返済の肩代わりとしてミドリコは「ひげ牧場」に連れ去られてしまう。マキバオーは母親であるミドリコと会うためにみどり牧場を脱走し、ひげ牧場へむかう道中の森でネズミの親分である「チュウ兵衛」と出会い、当時正式な名前が無かったマキバオーはチュウ兵衛から「うんこたれ蔵」と命名される(以後マキバオーは身内からは「たれ蔵」「たれ蔵君」と呼ばれることになる)。結局マキバオーはミドリコと共に暮らすことは叶わなかったが、代わりに「一流の競走馬」になることを目指す。その一流の競走馬を目指す過程の中で「カスケード」「アマゴワクチン」「ニトロニクス」…といったような強力なライバル達と切磋琢磨して成長し日本一の競走馬を目指す…というものである。私は『みどりのマキバオー』という作品で「根性」の大切さを学んだ気がする。

 私は『みどりのマキバオー』で日本の競馬にはGⅠ・GⅡ・GⅢというレーズの格付けがあり、特にGⅠレースの中でも皐月賞(一番速い馬が勝つ)・日本ダービー(一番運が良い馬が勝つ)・菊花賞(一番強い馬が勝つ)と呼ばれるレースは生涯に一度しか走れない重要なレースであることを知った。あとは何となく中央競馬と地方競馬の格差的なものがあることを「サトミアマゾン」のエピソードで知った。地方競馬の雰囲気は『ウマ娘シンデレラグレイ』の「序章 カサマツ篇」でも何となく知ることができる。地方出身者の『みどりのマキバオー』読者の中には「サトミアマゾン」ファンも少なくないと思うのだが、どうなのだろうか。

(5)『銀魂』(空知英秋)

 私の中学生~高校生の頃の腹筋を崩壊させ続けた作品である。漫画において絵の勢いだけでなく台詞回しで人を笑わせることもできるということを知ったエポックメイキングな作品である。

 私が『銀魂』と出会ったのは中学1年生の頃に読んだ週刊少年ジャンプに掲載されていた1話読みきりのエピソードである。単行本では10巻(「マダオ」こと長谷川さんが表紙のヤツ)に掲載されているヤツである。サブタイトルは失念してしまったが、話の内容は主人公の銀さんが真夏のクソ熱い中扇風機を求めて江戸中を駆け巡る話である。このエピソードで『銀魂』にハマったのだが、その理由が「空知節」とでも言うべき台詞回しの妙にある。例えばこんな感じである。

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「つーか何かおかしくねーか。なんで涼しくなるためのマシーンを汗だくになって買い求めにゃならんのだ。埋蔵金を埋蔵金で掘るようなもんじゃねぇか。飲む前に飲むようなもんじゃねぇか」

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 私がこれまで読んできたギャグ漫画やギャグアニメでこのような面白い言い回しは見たことも聞いたこともなかったので、当時は新鮮でとても面白いと思ったのである。そして、このエピソードのオチというかオチに至るまでの銀さんが巻き込まれる事件も珍妙で面白いのである。銀さんは扇風機は欲しくて江戸中の家電量販店を巡るのだが、どこもかしこも「時代はエアコンだよ扇風機なんて時代遅れだよ(笑)」みたいな対応をされて銀さんのストレスは爆発寸前であった。そんな中中古ショップで扇風機を購入しようとしたら何故か店員に拳銃を向けられる。「せんぷうきは渡さない」と言われ、その中古店に「せんぷうき」を狙う宇宙人が襲いかかってくる。店員から「せんぷうきを守って。世界を守って」と一方的に託された銀さんは「せんぷうき」のある場所へ向かう。その場所には偽小判を製造する「銭封機(せんぷうき)」が置かれていたのである。銭封機を求めて銀さんの後を付いてきた悪党の宇宙人は「銭封機をよこせ」と銀さんに迫る。そんな銀さんは以下のような反応を示す。

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銀さん「回る方のヤツは?」

宇宙人「…はい?」

銀さん「いや、だから、これじゃなくて、あのブイーンって回る方のヤツは、どこにあるって言ってんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」ブチブチブチィ!!(銭封機の取っ手を壊す音)

宇宙人「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!何してんの!?」

銀さん「紛らわしい名前付けやがって。テメーらジャロに電話するぞコノヤロー。」

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 当時の私は「この漫画の作者は一体何を食べたらこんな面白いユーモア溢れる台詞回しが思い付くのだろう」と大いに感心したものである(上記の台詞は私の記憶をベースに大雑把な雰囲気を掴むためのものであり、内容の正確性を保障するものではないことはあしからず)。

 そんなわけで私は『銀魂』の虜になった。周囲の同級生は『NARUTO』や『BLEACH』に夢中だったようだが、私の中学・高校時代は『銀魂』がその地位を占めていた。サブタイトルも何だかんだで人生訓の積み重ねのような気がして気に入っているし、人生の役に立たなかったとしてもいわゆる抱腹絶倒間違い無しの「将軍回」には何度も笑わせて貰っただけでも儲けものである。私の一番好きな「将軍回」は髪結所で将軍の髪(と顔面)を滅茶苦茶にする回である。ストッキングを顔にかぶせたような表情になる将軍の姿を見て本気で腹が壊れるかと思うくらい笑った。

 『銀魂』で「一番好きなキャラは?」と問われると返答に困ってしまうが(色々なベクトルで好きなキャラが多いので)、「一番印象に残っているキャラは?」と問われたら「伊東鴨太郎」と答えることにしている。伊東鴨太郎とは「真選組動乱編」を語る上で欠かせない重要人物である。真選組の副長である「土方十四郎」を目の敵にしながら真選組でスピード出世していく秀才であった。だが彼の腹の内は「自分はまだまだこんなものではない」と自己承認欲求を拗らせており、真選組局長である近藤勲を暗殺して自分が真選組のトップに君臨しようと暗躍していたところを過激攘夷一派「鬼兵隊」に利用されてしまう。「自業自得」と言ってしまえばそれまでなのだが、空知先生は「拗らせたエリート」を描くのが上手いなぁと思ってしまった。本当は伊東が欲しがっていたものはとうの昔に手に入れられていたのに、それに気付かずに自分でその大切なものを壊してしまう。しまいには自らの命でその償いをしなければならなくなるというのが印象に残っているのである。実は『銀魂』の担当編集は「流石に伊東を死なせるのは可哀想だから伊東を生かしてもいいんじゃないですか」と原作の空知先生に提案したそうなのだが、空知先生は「キャラを殺すべきタイミングで殺さないと作品そのものが死ぬ」と言って伊東が死ぬ展開を変えなかったそうである(ソースは第1回銀魂原画展でのインタビュー企画である。私の記憶ベースに記述しているので表現が微妙に異なることはあしからず)。他にも「エリート枠」として印象的な「佐々木異三郎」も気に入っている。エリートもマダオ(「まるでダメなオッサン」の略称)もみんな強引に詰め込む懐の深さを味わって欲しいと思った次第である。

(6)『北斗の拳』(原作:武論尊・作画:原哲夫)

 『新救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝純愛の章』というアニメ映画から原作の『北斗の拳』に興味を持ち、「人生の(漢の)バイブルの一つ」としてハマるに至った。なお、『新救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝純愛の章』については別の記事で取り上げたいと思っている。

 中学生~高校生の頃に『北斗の拳』にハマって良かったと思ったのは、大学生以降になってから『北斗の拳』のスピンオフ作品に触れるのに抵抗が少なかったことである。個人的には『北斗の拳イチゴ味』がオススメである。

 原作漫画の魅力としては、令和の世にはやや時代錯誤と思われる価値観や絵柄が逆に一周回って「新しい」「これぞ漢の求めていたもの」というものが挙げられる。個人的に気に入っているのはラオウの「惚れた女からの情けは男にとって最大の屈辱!!」「(「ユリアにはケンシロウという男がいるのだからユリアは諦めろと言われたことに対して)最後にこのラオウの側に(ユリアが)いればよい」と言ったことについて、当時中学生~高校生くらいにかけて「なるほど!」と思ったものである。私の拗らせた恋愛観を形成した作品と言っても過言ではない。

(7)『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦)

 私が高校時代に出会った「人生のバイブル」と言える作品の一つである。あるいは、年上の人とコミュニケーションを図る上で有用なコンテンツの一つとも言える。

 私が『ジョジョ』に出会ったのは友人がキッカケである。私個人の力と感性では『ジョジョ』の面白さに気づくのは10年遅かったであろう。高校生の頃友人の家に遊びに行ったとき、友人の部屋に置いてあった文庫版の『ジョジョの奇妙な冒険』を読ませてもらっていた。正直私の中では第一部はあまり刺さらなかった。第一部の主人公である「ジョナサン・ジョースター」が紳士なのは好感が持てるのだが、生真面目すぎて「友達にはなれなさそうだなぁ」と思ってしまいどこか敬遠していたのである。そんな私が『ジョジョ』にハマっていったのは第二部が面白かったからである。特に第二部の主人公である「ジョセフ・ジョースター」が「お前本当にジョナサンの孫なんか!?」と思うくらいフザケ倒しているのが個人的にはとても好感を持てた。そして、単純なパワーや波紋の強さだけでなくトリックを駆使したり相手の心理を巧みに操ったりと頭脳戦を繰り広げたり、相手の台詞を先駆けて言ってみせる「次に貴様は○○と言う」「○○…ハッ!」というくだりが好きなのである。こうして『ジョジョ』の世界にハマったところで第三部で完全に『ジョジョ』という作品の虜になり自分で文庫版の『ジョジョ』を集めるに至った。

 個人的に『ジョジョ』を読んで良かったことの一つは「他人を罵倒する語彙のレパートリー」が増えたことである。中学~高校くらいにかけて個人的に気に入らないヤツを罵倒する語彙に飢えていた時期があるのだが、『ジョジョ』でよく見る「ビチグソが~」「スカタンがッ」「この腐れ脳ミソがーッ!!」…といったような語彙は大いに参考になった。心の中で気に入らない相手を脳内で罵倒することを覚えてしまえば辛いことがあっても何とかやり過ごすことも大抵は出来るのである(時々どうしようもない時も来る)。あとは『ジョジョ』の各部の主人公達の持つ「黄金の精神」「人間賛歌」を見習い、30歳を過ぎてからは第四部のラスボスである「吉良吉影」のような「植物のように平穏な人生(ただし舐められるのはプライドが許さない)」といった人生観に惹かれるのである。いくつになっても『ジョジョ』は私の人生のバイブルとなっている作品なのである。

(8)『魔人探偵脳噛ネウロ』(松井優征)

 松井優征といえば週刊少年ジャンプの作家として『暗殺教室』や『逃げ上手の若君』といった作品が有名であろうが、私は松井先生のジャンプデビュー作であり、松井優征という作家の原点にして頂点的な作品は『魔人探偵脳噛ネウロ』だと思っている。特に「電人HAL編」のラストで脳を灼かれたと言っても過言ではない。私と同様の想いを抱いた読者は多数いるであろう。

 『魔人探偵脳噛ネウロ』はその名の通り主人公は魔界から地上にある人間界にやってきた魔人の「脳噛ネウロ」である。ネウロは「人間の悪意」から生成されるエネルギーである「謎」を主食にしている生物であるが、魔界にある「謎」を全て食い尽くしてしまい、餌を求めて下山する羆のように人間界に訪れたのである。そして、ネウロが出会ったのが「桂木弥子」という女子高生であった。彼女は父親を何者かに殺害されたばかりの女子高生であったのだが、ネウロと出会うことでネウロの隠れ蓑として「女子高生探偵」として知名度を上げていくことになる。そして、ネウロと弥子との出会いが様々な人との出会いや縁を生み、やがて世界の危機にも直面するようになる。そして、最終的には「新しい血族」を名乗る「新人類」との生存競争を行うことになるという、「推理マンガ風エンタメ」として超一級の作品なのである。

 原作者である松井優征先生は商業漫画家としてとても真摯で誠実な方であり、「たとえ打ち切りになったとしても商業作品として読者に満足して貰えるように、いつ終了しても不満が極力出ないようにシナリオを連載開始前にいくつも考えた」と文庫版の「あとがき」で述べており、結果的には最後まで連載することが出来たとのことである。私は初期の「爆弾魔ヒステリア」編辺りからこの作品を読み始めていたが「このクセの強い絵柄のマンガが好きなのは多分ジャンプ読者の中でも俺くらいだろうな」と思いながら単行本をかき集めていたのだが、どうやら当時の私と同じ思いを抱いていた読者は全国に相当数いたようで、結果的には最後まで『魔人探偵脳噛ネウロ』という物語は走り抜けることが出来たのである。ただ、これは大事なことなので何度でも言うが、『魔人探偵脳噛ネウロ』は「電人HAL編」で終了したとしても十分満足できるクオリティの作品である。「電人HAL」の生みの親である天才科学者「春川英輔」の不器用な「愛情」と「狂気」を見事に描ききった名作だと確信できるのである。電人HALが消える「刹那」の瞬間に近くて遠い・手の届かなかった「大切な人」とこんなに近くに触れ合えたというあの演出は涙を流さずにはいられない。ネウロがこの辺りから人間のことを「謎を生み出す食料源」としてではなく「可能性の塊」と見るようになっていき、やがて警察関係者にも協力を仰ぐことに抵抗がなくなるようになるのも良いし、「電人HAL」や「怪盗Xi」「笹塚一家惨殺事件」といった一見してバラバラな要素に思えていた作中の出来事がラスボス「シックス」への因縁と繋がっていく伏線回収が見事なのである。シックスが私の推しキャラを殺したりキャラ変させたりするたびに「コイツ早く惨たらしく死なねぇかなぁ」と思っていたところをネウロ様は最後の最後に最高に気持ちよくシックスとかいうカスをぶち殺してくれたので最高にスッキリするのである。

 私は作品で「人間賛歌」を謳うようになったのは『ジョジョの奇妙な冒険』が最初だと思っているが、平成の週刊少年ジャンプ作品で「人間賛歌」をテーマにしているのは間違いなく『魔人探偵脳噛ネウロ』であると思っている。そして松井先生は上述した『ボーボボ』でアシスタントの経験があるとのことである。そのアシスタント経験が作家として作品を生み出すのに活かされているらしい。原作の『ボーボボ』を読み直す際にはどの絵が松井先生が手がけたものなのだろうと探してみるのも一興ではないだろうか。

(9)『DRAGON BALL』(鳥山明)

 最後に紹介したいのは、世界的に愛されている少年漫画の金字塔である『DRAGON BALL』である。私が『DRAGON BALL』の単行本を読もうと思ったのは中学生の頃であった。私が中学生の頃同級生は『ONE PIECE』『NARUTO』『BLEACH』が流行しており、私も『ONE PIECE』は(現在でも)読んでいるが、何故か「『DRAGON BALL』も読んでおきたい」と思って単行本を購入するに至ったのである。最初は律儀に単行本の1巻から読んでいたが、途中で「早くベジータとかフリーザが登場するサイヤ人編を読みたい」と思ってレッドリボン軍やピッコロ大魔王が登場する巻数を省いて一気にサイヤ人編まで飛ばして単行本を購入していった。そこからはクライマックスまで一直線だった。

 私が『DRAGON BALL』を読んで良かったと思えるのは「フリーザ様」というキャラクターの存在をネットミームレベルではなく原作準拠できちんと把握できたところである。第一形態のフリーザ様は基本的に誰に対しても敬語で話すが、ブチ切れたときは「絶対に許さんぞ虫ケラども!ジワジワとなぶり殺しにしてくれる!」「願いを叶えるのはこのフリーザ様だー!貴様ら下等生物なんかではなーい!」「いちいちカンに障るヤローだ!」等と傲慢な本性を臆さず堂々と言ってのけるのが好きである。日常生活で嫌なことがあった際は脳内フリーザ様に代わりにブチ切れていただくことで何とか日常の平穏を保っているのである。

 そして令和になってVTuberによるゲーム配信を視聴する習慣が付いた上で良かったと思うことは、『DRAGON BALL』を知らない女性VTuberが初めてゲームで『DRAGON BALL』の世界を体感した際に「『DRAGON BALL』スゲー!!面白えー!!」という新鮮な感想を浴びることができるという経験ができるという点に尽きる。自分の好きだったコンテンツが年下の世代にもその面白さが伝わることほど嬉しいことはないからである。特に若い世代には亀仙流の教えである「よく動きよく学びよく遊びよく食べてよく休む。人生を面白おかしく張り切って過ごせ」という教えを身に付けて欲しいと思った次第である。これさえ魂に刻みつければ、あとはなんとかなると思っているのである。

3 おわりに~少年時代の私の漫画遍歴を振り返って~


 基本的に私は「ジャンプっ子」ということが見て取れるレパートリーだったと思われる。少年時代に読み込んだマンガを振り返ると、学校の道徳の教科書の代わりに自分の心や魂を育んだ要素の一つにこれらのマンガがあることは間違いない。最近の若い学生さんは『葬送のフリーレン』の「勇者ヒンメルならそうした」を心に秘めて善行をしようという道徳観が身についているのではなかろうかと思っているのだが、私がここで挙げた作品たちも道徳観を養う上では重要だと思うので、よければこの記事をきっかけにこれらの作品を読むキッカケにしていただければ幸いである。あるいは、私と同世代の方が「懐かしい」と思っていただけても幸いである。


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4浪U太郎 チップを得られればより長く安定した創作・投稿活動を継続できます。何より投稿して良かったと心から思えます。貴方にとっては小さなことかもしれませんが私にとってはとでもデカいことなのです。なので堂々と金額の多寡は気にせず気楽に投げていただければ!