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今、メンタルの病気で休職しているあなたへ

「あらゆる努力が無効化される課題」を与えられたとき、いったい人は何を希望にしてそのような現実に立ち向かっていけばいいのかという話をします。


なぜこれを書いたか

うつ病や適応障害など、メンタルの病気で仕事をお休みしている方がnoteにもちらほらいらっしゃるようです。ASDやADHDなど、発達障害がベースにある方もそこそこ多いように感じられます。

こうして診断書が出て休職したり、会社に休職制度がなくてそのまま辞めざるを得ない状況に置かれてしまったりしたのは、あなたにとって初めての経験だったでしょうか。あるいは、再発からの2回目とか、今度こそ繰り返すまいと思っていたのに3回目を迎えてしまった…という方もいるでしょうか。

残念! それくらいなら全然まだまだです、3回でも私の記録には届いていませんね!

みなさんもかなりの程度まで死に近づかれたかもしれませんが、私も同じかそれ以上の場所まで進んだ上で、こうして無事に帰ってきています。そこで、見てきたものが普通の人々と違うなら、普通の人からは出てこないようなアドバイスもいくらかお渡しできるかもしれません。

どれくらい助けになれるかはわかりませんが、今回はその点を思うままに書いてみます。やや長めの話で、伝えたいことは次の4つです。

  1. それもシナリオの一部である

  2. 人間は相当にしぶとい

  3. 誰かのやさしさに驚くだろう

  4. 未来はよい方向にも裏切る

では、順番にどうぞ。

かつてそこにいた人からの伝言(×4)

1. それもシナリオの一部である

こういう状況を普通に予測していたという人はあまりいないと思います。成人して新卒で働き始めたとき、「いつかマネージャーになれるのかな」とか「何歳くらいまでには結婚していたいな」といった未来を想像することはあっても、まさか自分の心身がこんなふうに故障して、ただお布団から出たりコンビニに行ったりすることすらできなくなる未来が待っているなんて想像しなかったですよね。

病気に出会うタイミングは人それぞれです。それこそ、ちょうど今出てきた昇進や結婚も「変化と対応を迫られる」という意味では立派なストレスの一種であり、こうした喜ばしい出来事がメンタル疾患の引き金になるということもそれほど珍しい話ではないようです。

ただ、タイミングはさまざまとは言っても、私はこれを大まかに2つのタイプに分類してよいのではないかと思っています。それは「就職直後」と「それ以外」です。もちろん、学生の頃から不適応の兆候があったという人もいると思いますが、今回は「働けるか働けないか」の視点を中心にお話したいので、いったんこのような見方をすることにします。

私自身は前者のタイプで、最初の会社で2年目に入ってすぐのことでした。この頃の私は念願の一人暮らしも始められて、わりと夢と希望に燃えていたような気がするのですが、たった1年で限界が来たわけですね。

おそらくですが、絶望の度合いも前者のほうが大きいような気がします。「40代でグループ長になって労働時間もストレスもめちゃくちゃに増えた」というのはある意味わかりやすいストーリーだし、わかりやすい「原因」が自分の外にあります。でも、新人に任されるくらいの仕事でいきなりダウンするなんて、まるで単純に自分が社会でやっていけないポンコツだっただけみたいじゃないですか。

仮にこれが看護師や薬剤師のような専門職であれば、直近の学生時代の数年間もその分野にまるごと捧げているはずです。そこまで10代からの夢が明確でなかったという人でも、まあそれなりに真剣に悩みながら進路を選択し、ガクチカだかデパ地下がどうとかいう茶番みたいな就職活動を闘い抜いて、今の道に進んだわけですよね。そこに突然の行き止まりですよ。人生は計画どおりに行かないとわかり、道は努力では切り開けないとわかりました。

私は今述べたような自分自身の経験から、20代前半でそのような状況に陥った人に強く共感しがちですが、アラサーやアラフォーであっても「行き止まり」の感覚は同じようなものでしょう。転職やキャリアの転換は若いうちのほうが当然有利なので、30代以降には20代とはまた別の重みというのが発生しそうです。いずれにせよ、ここに簡単な解決策はないですし、そんなものがあるなら最初から誰も悩みはしませんね。

たまに努力で物事をなんとかできると思っている人がいますが、そういう人は精神論みたいな中身のない話でなんとかできる程度の物事にしか向き合ったことがないということなので、あまり真面目に聞かなくていいと思います。「頑張れば必ずクリアできる」なんていうのは、お客様を喜ばすためにお膳立てされたテレビゲームかアトラクションでしか遊んだことのない人の発想です。いい大人がそんな甘々な世界観でいばっているのは恥ずかしいです。

地球上で生きていたら、「人間の力ではどうにもできないもの」に直面するというのはごく普通のことだと思います。時代と場所によっては、それは世界規模の戦争や疫病のようなスケールの大きい話になるかもしれません。そこまで大きな話でなくても、私たちにとって「ままならない」というのは当たり前の現実でしょう。何も自由にはなりません。ここに長々とした説明が必要でしょうか。

この世で与えられる困難は人によって別々の形をしています。あなたや私の場合は、たまたまそれが心身の健康問題という形を取って出現したわけですね。「おれが何か悪いことをしたのか」と苦情を言いたくなる気持ちもわかりますが、安心してください、他の人々にも同じくらいに意味不明な困難が別の形で降りかかっているはずです。世界中でそうなっています。人類史が全部そうなっています。

この理解不能な世界、理解不能な人生にそれでも向き合い、それでも理解していくというのは、私たちに与えられたシナリオの一部であり、それもまだほんの序盤の話です。私はよく「事実を事実として理解しない限り、現実の問題が解決されることはあり得ない」ということを書きます。「ままならない」「理由は特にない」というのはこの世界の事実の一部です。

たぶん、ここで一度底を打っておく必要があります。自分が弱いとか自分が悪いとか言ってみてもしょうがないし、会社や社会(あるいは神様でも何でも)のせいにしてもしょうがないです。「あなたが悪いわけではない」というのは正しいですが、それは「別の誰かが悪いのだ」という意味ではありません。

いいとか悪いとか、幸運だとか不運だとか、こうすべきだったとかああすべきでなかったとかいう話はやめて、事実として存在している世界と、事実として存在している自分をそのままに受け入れましょう。そうしないとあなた自身の人生が始まらないです。

2. 人間は相当にしぶとい

「人生終わった」と思うような出来事があっても、実際には人生は終わらず、普通にそのまま明日や明後日が続いていきます。映画や漫画ならそこで終わるからいいんですけどね。だからこそ現実の世界は地獄であるし、また希望もあるのだと言えます。

恋愛的な話として、「この人しかいない、こんな人とは二度と出会えない」と信じた人とうまくいかなかったとき、そこで人生の全部が終わったでしょうか。本当にその人しかいなかったでしょうか。これってたぶんそうではなくて、おそらく笑ってしまうほどそうではないんですよね。「お前、あのとき悲劇のヒロインぶってたのは何だったんだ」と自分でも呆れてしまうくらいの「その後」が存在していると思います。それが逆転ハッピーエンドに続くとは限らないとしても、少なくとも日常は進んでいきます。誰も望んでいない月曜日が必ず来るのと同様に、放っておいても夜は明けるし、冬が終われば春が来ます。

人のキャパシティや頑張りには限度があって、人間というのは実際そんなに強くないのですけど、事実のもう片面として、人間の回復力をなめてはいけません。人は大抵の物事から立ち直ります。

純粋にメンタルの病気に限って話すなら、「一般に思われているより回復に時間がかかる」という点はかなりあると思います。普通に「疲れが溜まっている」というとき、丸1ヶ月も休暇を取れば元気にならないはずがないと思いますが、メンタル疾患はそういう「普通の疲れ」や「普通のストレス」とは性質が異なるからです。この点は経験者として強調しておきたいところで、長期戦の覚悟というのはまず間違いなく必要でしょう。

私は1回分の休職期間が丸1年に達したことが2回ありますが、これはたまたま大手の企業にいたから人間らしい扱いをしてもらえただけで、それほど長い期間を待ってもらえる職場環境というのは「当たり前のこと」として期待できるものではないと思っています。労働者の権利とか企業の社会的役割といった話をするのは簡単ですけど、企業というのは儲からなければわりとあっさり潰れるので、ここで「一労働力として利益に貢献できないなら申し訳ないけど離脱してもらいます」というのは仕方がない面もあるんですね。仕事のできるできないなどというのは、あなた自身の人間としての価値とは何も関係がないのですが、たこ焼きが焼けなくなったならたこ焼き屋を辞めるしかないというのは話として正しいです。

一度病気になれば、おそらくあなたのキャリアはぶっ壊れます。これは単にその後の転職で面接ウケが悪くなるとか、給与水準が下がるといった条件面の話に限りません。病気をする前とした後では、自分の心身の機能そのものがおそらく不可逆的に変わっているので(いわゆる「無理が利かなくなる」)、少し大げさに言うなら「これからは車椅子の使用を前提に人生を考えていきましょうね」くらいのマインドの切り替えは求められると思います。

「人間は立ち直る」「その後の人生がある」というのは、このような現実の厳しさも含めた話をしています。あなたは実際に何かを失ったし、その何割かはもう元には戻らないかもしれませんが、たぶんあなたは別の新しい道、別の新しい歩き方を見つけられます。人間はそんなにヤワではないです。

私の場合、10年以上の闘病ののちに、元々やっていたITエンジニアを続けることはすっかり諦めて、今は個人で本を書いて出版するようになっています。ここで「そういう特殊な才能がある人はいいよな」なんて思わないでください、全然特別ではないです。なぜならまだ全然儲かっていないからです。その手の「こんな私でも在宅ワークで自分らしく稼げるようになりました!」(今なら入門編の冊子が無料! LINE登録はこちらから!)みたいな話をしたいのではありません。

私が言いたいのは、今の私はもう絶望してはいないということです。こういう仕事でどうすれば安定収入を維持していけるのかというのは本当に頭が痛い話なのですが、私は今これを書きながら、自分の未来が過去よりも悪くなるということを1ミリも心配していません。

3. 誰かのやさしさに驚くだろう

魔法はこの世に存在しません。苦労せずにお金を稼ぐ方法なんて存在しないし、人間関係に悩まないで済む方法も存在しないです。突然の奇跡に期待することはできません。ただ、あなたの周りには普通の人間がおり、もしかしたら、普通の人間はかなり奇跡に近い存在かもしれません。

私が家で動けなかった頃、スーパーで保存の利く食料品を買い込んでドサリと置いていってくれる人がいました。ある時期にはある人が、別の時期には別の人がそうしていきました。遠方の友人はネットスーパーの宅配で同じことをしてくれました。「お寿司好きだったでしょ」とパック寿司を入れてくれましたが、お醤油が入っていなくて(そして自炊などする余裕のない人間の台所に当然そんなものはなくて)困ったのを今でも覚えています。

楽器の演奏仲間や、行きつけのお店のマスターなど、「仲はよいけど個人的によく連絡を取るほどではない」くらいの友人知人たちがいて、具合が悪くてしばらく顔を出せなかったとか、最近また会社を辞めてまた別の職場で働き始めたとか、付き合いが長くなればそういう話をする場面が大抵は出てきます。成人以降、私は1年か2年くらいどうにか働いて、半年か1年くらい完全にダウンするというパターンを何周も何周も、10年以上に渡って繰り返してきたからです。この手の話題は自分から話すようなものではないものの、近況を訊かれればまあ軽く答えはします。誰も彼もやさしかったです。こういう会話で嫌な思いをした記憶は一度もないです。

会社の中ですら、私は「悪い人間」にはほとんど出会っていなかったように感じます。労働時間に問題のあるような職場も複数あったし、そりの合わない上司や同僚といった人も当然いますが、なんというか、みんなちゃんと大人でした。体調不良による戦線離脱というのは、進行中の仕事をろくに引き継ぎもできずに他の人にぶん投げてしまうわけで、迷惑をかけていないはずがなかったと思うのですが…。

私は長いこと「この世界は冷たい」と思っていたのですが、今ではこれは誤った想像だったように感じています。少なくとも、かつて私が思っていたほどではなかったし、今のみんなが思っているほどでもないような気がします。

4. 未来はよい方向にも裏切る

20代の真ん中くらいの頃、私は自分に「友達」と呼べるような相手はひとりもいないと思っていました。これはこれで病気の話とはまた別にいろいろあったのですけど、それから10年以上が経過した今、このような認識は完全に消えているように思います。

私の中身は私が出会ってきた人間の断片でできており、私の書く言葉についても同様です。病気を経験していなければ、私は今の私になっていませんでした。仮にパラレルワールドか何かに「そうでなかった場合の自分」がいたとしたら、まず間違いなく「もっとたくさんのことができる人間」になっていると思いますが、それで向こう側の世界の自分が「もっとよい人間」になれたとはあまり思ってないです。

私が行き着いたのは「未来はよい方向にも裏切る」という実感です。これは自分を助けてくれる人々との出会いという話に限らず、今回のお話全体の結論みたいなものです。

未来は人々の予測を受け付けず、人の手による制御も受け付けないので、私たちはそこに不安と無力感を覚えます。しかし、明らかに客観的な話として、人間は全知全能ではなく、人間であるあなたは未来を正確に予測することなどできないはずです。なので、その絶望もたぶん半分以上は間違っています。

10年前のあなたは今の状況を予測できませんでした。10年前の想像が今外れているなら、今から想像する10年後のイメージもきっと外れていることでしょう。私はあなたの間違いに100円賭けましょう。10年後にまた来てください。

おわりに:「非科学的」と「not 科学」

私の話はここまでです。最初は「休職中の人へのアドバイス」という形で始まりましたが、後半は完全に個人的な経験談になっていましたね。ここには明確な理由があるので、最後にそれを説明しておくことにします。

大前提として、メンタルヘルスについての医学的な情報は常に正確で、客観的である必要があります。事実に反した情報は何であれNGであり、「○○でうつ病が1ヶ月で完治しました」みたいな眉唾ものの情報を真に受けてはなりません。この例だと、「寛解」ではなく「完治」という言葉を使っている時点で既に怪しいと気づいた人もいると思います。

一方で、客観的な情報は私たちの希望にはならないし、私たちを救ってはくれません。そもそも、科学というのは誰かの個人的な意図や願望とは関係なく、事実を事実として扱うことがその役割なので、「人々に希望を持たせよう」という意図によって内容が決まるなら、それは科学でも医学でも何でもないんですね。

なので、精神医学が私たちの苦悩を根本的には救わなかったとしても、それは医学として正しい状態です。「超能力で癌が治せる」というのは非科学的ですが、「個人の苦しみに個人としてどう向き合うか」というのは別の意味で「not 科学」の話であり、これは「非科学的な話をせずに科学以外で向き合うべきもの」と言ってよいでしょう。人生というのは、科学と同じ程度には事実に基づいて考えていく必要がありますが、最後の答えは客観的には与えられません。その解決は主観的にしか行われません。論理はそこに答えを持ち合わせてはいないんです。

自分が休職してメンタルヘルス関係の書籍やネット記事を読み漁っていたとき、私はそこに「いちばん答えてほしかった内容がどこにも書かれていない」という感覚をずっと抱えていました。「規則正しい生活をしましょう」「無理をしないようにしましょう」というのは何も間違っていませんが、これほど役に立たない助言もないように思えました。

私は目の前の状況に絶望しており、そこに単なる気休めではない何かを求めていました。希望は希望でも、嘘ではない希望のことです。なので、今同じような状況に置かれて、同じように絶望しているかもしれないあなたに対して、私が実際に見つけたものを書いて伝えることにしました。「客観的で論理的で再現性のある理論」などではない、私個人の経験としてです。

人間を最後に救ってくれるのは何なのでしょうか。それは人間だけなのではないでしょうか。おそらく、あなたを救えるのはあなただけだし、あなたを救えるのはあなた以外の人間だけです。完全に矛盾したような言い方しかできないのですが、これはどちらも本当のことなのだと思います。

あなたにその答えが訪れることを祈っています。

関連書籍

先日出した書籍「人間関係が苦手でもなんとかやっていくための本」でも、「他人の心は読むことができないし、コントロールすることもできない」という前提のもとに「ままならない世界で幸せに生きる」ということを考えています。この立ち止まりを機に、じっくり自分を見つめ直したい方におすすめです。

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おまけ:心理学の分野では、困難な状況から立ち直る力を「レジリエンス」、答えのない状況にとどまる能力を「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼んだりします。今書いたリンクがGoogle検索になっているので、気になる方はちょっと勉強してみると面白いと思います。

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