ビールと酵素〜①イントロダクション
はじめに
このシリーズでは、ビール造りに登場する酵素を、基礎レベルから学び直していきます。反応式や構造式を覚えることを目的とせず、酵素とは何かを構造的に理解していく科学読み物です。
構造的に理解するとはどういうことか。例えばビール造りで酵素というと、糖化工程におけるα-アミラーゼとβ-アミラーゼが思い浮かぶと思います。これらの酵素の反応を得るために温度とpHを調整すると思いますが、この作業の裏側にある法則を理解するということです。そして実はアミラーゼ以外にもビール造りにはたくさんの酵素が関与しています。発酵は生物が行う代謝活動ですが、その反応一つ一つにそれぞれ特異的な酵素が関わっています。また、オフフレーバーを生み出す微生物汚染にも実は酵素が大きく影響しています。このように普段はあまり酵素が意識されない領域も含めて、総合的に理解できる内容にしたいと思っています。
なぜ酵素を取り上げたいのか
ビールを語る科学的な切り口は無数にありますが、私の個人的な印象としては酵素から読み解くビールは「めちゃくちゃ面白い」と思っています。酵素は生化学を理解する鍵であり、仕込み、発酵、オフフレーバーの生成など醸造工程のほぼ全てに関係してきます。それと同時に、酵素を学ぶことで生命活動の神秘であるタンパク質の構造と機能の醍醐味を味わうことができます。
「めちゃくちゃ面白い」と言ってしまって、ハードルを上げてしまいましたが、酵素は奥が深いので私ごときが面白く書けるか自信はありません。とりあえず頑張ってみます。
予定している内容
予定している内容は下記のとおりです。
酵素とは何か―セントラルドグマ視点
タンパク質の構造(アミノ酸、一次構造〜高次構造へ)
自由エネルギーと酵素反応
構造から理解する至適pHと至適温度
酵素の基質特異性
細胞外酵素と細胞内酵素
発酵と酵素
オフフレーバーと酵素
麦芽が持つ酵素
醸造における麦芽由来以外の酵素の利用
例によって書いてる途中で他にも項目を思いつたり、削除したり、統合したり、順番を変えるかもしれません。そして、ちゃんと最後まで書ききれるかどうかも分かりませんが、気長にお付き合いください。参考文献はこちら。
酵素とは何か
酵素≒タンパク質
今回は第1回目なので、まずは酵素とは何かという問いからスタートしましょう。物質としての酵素は高分子のタンパク質です。一部の酵素にはタンパク質じゃないもの(RNAが触媒として働くリボザイムなど)もありますが、大部分はタンパク質なので、以後このシリーズではその前提で話を進めます。タンパク質は栄養素として有名で、体にとってなくてはならない重要な働きをします。
タンパク質は生理的機能によっていくつかの代表的なタイプに分類できます。酵素、輸送、収縮、調節、防御、貯蔵、構造という7分類が一般的です。

つまり酵素は化学反応を触媒し、生化学的な変換の速度を速めるという機能を持つタンパク質です。ちなみに人体のタンパク質のうち、酵素はおよそ3〜5割と言われています。単細胞生物である酵母や細菌では、酵素の比率はもっと高いと考えられます。単細胞生物は「代謝=生存」だが、多細胞生物になって組織が複雑化すると防御やコミュニケーション用のタンパク質が増えるためです。
タンパク質の分類には、組成をもとにした単純タンパク質と複合タンパク質という分類や、構造をもとにした一次構造、二次構造、三次構造、四次構造という分類もあります。このうち構造の分類は後日の投稿で詳しく触れます。
セントラルドグマから見たタンパク質
タンパク質は生物(動物、植物、微生物など)が、自ら利用するために作るものです。つまり、アミノ酸が適当に組み合わさって偶然にできたものを利用するのではなく、生物が目的を持って特定のタンパク質を生成しそれを利用している体になっています。その仕組をセントラルドグマといいます。

DNAはタンパク質の設計情報を保有し、貯蔵しています。その設計情報を転写というプロセスでRNAに伝達します。RNAは翻訳というプロセスでそれをタンパク質として生成し、タンパク質が酵素や輸送といった生体に必要な様々な機能を実行する、この一連の流れがセントラルドグマの概念です。
タンパク質ができる過程はここでは詳細には紹介できません。細胞核にあるDNAからmRNAへ、転写を受けたmRNAが細胞内小器官であるリボソームの中でtRNA、rRNAを駆使してタンパク質を生成するプロセスはとても興味深いものです。しかし、このシリーズでその詳細まで触れてしまうと肝心の酵素の機能にたどり着くのに時間がかかってしまうため、泣く泣く端折ることにします。DNAの構造やタンパク質の生成プロセスの詳細は生物の教科書に譲ります。
ちなみに完全に脱線ですが、上の図中の括弧書きの逆転写という現象はレトロウィルスで発見されました。この発見は生命起源のミステリーに一石を投じています。RNAからDNAに逆転写する酵素が発見されたことで、RNAが酵素と遺伝情報(DNA)両方の起源となりうることが示唆され、RNAワールド仮説が提唱されるようになったのです。RNAワールド仮説とは一言でいうと、原始生命は元々RNAだけを持っていて、その後タンパク質ができ、さらにその後にDNAができたことで現在の生命体のセントラルドグマが完成したとする仮説です。まだ解明されていないだけにロマンがありますね。

次回へと続く
今回はシリーズのイントロダクションと、酵素とは何かという定義的な問いでした。酵素≒タンパク質ということで、酵素を理解するために次回はタンパク質の構造についてお話します。
なお、このシリーズの科学的知識の前提として、過去シリーズ「オフフレーバー入門」や「ビールと水」の内容も参考になると思います。特に極性分子、酸とアルカリ、pH、官能基、化学反応、代謝など。
お読みくださりありがとうございます。この記事を読んで面白かったと思った方、なんだか喉が乾いてビールが飲みたくなった方、よろしけばこちらへどうぞ。
小菅村にできた複合施設Beer Adventureの紹介です。将来像はこんな感じになる予定です。 大麦畑、ホップ畑、製麦施設、ビール造り体験など徐々に整えていきます。

