AIによる変革と創作・コンテストでの公平性について
※この記事は、小説などの創作やコンテストの場におけるAI利用の在り方について考えることを目的としています。この記事自体も、AIとの協働によって書かれたものです。
AI技術の発展は、私たちの生活、そして「創作」のあり方を根本から変えつつあります。
創作の領域では、すでにその影響が鮮烈に現れています。
実際、ある小説投稿サイトでは、「一人のユーザーが1日に120件もの作品を投稿した」という出来事が大きな話題となりました。背景には、「投稿数が多いほどランキングで有利になる」という仕様があったとされています。
この異常な現象は、ネット上の特定サイトの問題にとどまりません。これは、AIがもたらす文化的・倫理的な課題が、すでに現実の創作の場で噴出している明確な証拠と言えるでしょう。
1. AI禁止のルールと、現実のあいだにある溝
現在、上記のような出来事があり、複数の小説投稿サイトにおいて、コンテストにおけるAI生成物の投稿を禁止する、AI生成を検知するシステムを開発するなどの対策を模索しているとされます。
しかし、現実には、AIを使っていることを100%見抜く、また完全に適切に咎めるということは不可能であるようにも思われます。
それは、AIを使うということ自体が、文章を人間風にもカスタマイズできる、途中の段階だけAIを利用することも可能、アイデアだけAIを利用、また過去からの構想に影響を与えたAIというような、判断不能なケースが増えるといった複雑化を生んでいると言えるからです。
その結果、真面目なユーザーほどAIから距離を置こうとするかもしれないものの、逆に「こっそり使う人」の相対的な優位が増していく。
これは、ルールの理念と、技術の現実が噛み合っていないことで生じる歪みであるとも考えられます。
2. 「カンニングがバレない状況でのカンニング禁止」という状況に近いのではないか
禁止下にある状況については、このように例えられるのかもしれません。
カンニングが誰にもバレないような状況において「絶対にカンニングするな」と言われているようなもの。
禁止の宣言をすることはできる。
しかし、完全に防ぐことは不可能のように思われる。
そして破られた場合には、破った側だけが得をするのかもしれない。
この構造が続くとすれば、真面目にルールを守る者ほど損をし、抜け道に慣れた者が有利になるという逆転現象が起こりかねないように思われます。
これは創作の世界だけの問題ではなく、社会のあらゆる領域で起きつつあるAI時代のジレンマであると言えるのかもしれません。
3.昔から存在してきた“不平等構造”と似たパターンを持ちうる
AI利用の不公平は、ある意味においては、教育格差や資本格差と本質的に似たような構造を持っていると考えられるかもしれません。
たとえば、もしもある人が裕福な家庭に生まれるとすれば、塾や予備校に通える、良い参考書や教材を買える、家庭教師を雇える、勉強に集中できる環境がある、文化資本(文章力、語彙、知識など)が自然と身に付く、などの表には見えない有利な条件が整うように思われます。
このことにおいて重要なのは、これらは不正でもズルでもないとも考えられることだと思います。確かに、その家庭の親が努力をし、時間と資源を使って築いてきた環境であるということも事実と言えると思われるのです。
つまり、これは道徳的に悪ではなく、努力の蓄積によって生まれる構造的な格差に過ぎないと言うこともできます。
しかし、AI時代の格差も実質においては似たものがあるように思われます。
AIを使いこなせる設備や環境がある人
AIリテラシーの高い人
AI活用に慣れている人
このような場合、競争が自然と有利になるようにも思われます。
特にルールで禁じられる場合においてAI格差は確かにズルであると言えるものの、デジタル資本主義における新しい階級差としての側面を持ってしまうようにも感じられるのです。
4. ルールを分けることは一つの解決策だが、それでも不完全
たとえば、
①AI使用可
②AI使用不可(完全人力)
というルールによる二分化は、一定の効果を持つように思われます。
試験に例えるとするならば、①教科書持ち込み可の試験、②持ち込み不可の試験のように、明確なレギュレーションを設定するという方法です。
しかしこの方法にも限界があるように思われます。
なぜならば、持ち込み不可の試験でも、誰にもバレないとすれば隠れて持ち込む者は出てきてしまう。
技術が進んだ現代においては、ちょっとしたAI利用の痕跡をごまかすことは難しくないようにも感じられます。
最終的には、ルール違反者に対する罰を伴う制度も必要と思われるものの、創作者の良心によるモラルが土台となるほかないように思われます。
5. AIによる変革は産業革命に似ている──速さと量は機械
AIの登場は、産業革命を思い起こさせます。
産業革命では、スピード、量、暮らしを支える利便性の全てで機械が勝ち、人類の生産活動は根本から変わりました。
しかし、手芸や工芸、芸術作品はその後も残り、依然として「手仕事のぬくもり」も求められていると言えます。
AI時代も似ているように思われます。AIは、圧倒的スピード、膨大な量の生成、一定の質の確保を可能にするものの、人間特有の独創性、揺らぎ、個人の経験による表現までは模倣できないとも考えられます。
そのため未来は、①AI作品、②人間作品、③AI+人間の協働作品という三つの構造へと移行していくようにも思われます。
6. AI時代に問われるのは姿勢
AIによる不公平性は避けられないように見える。
構造的な格差も完全には解消できないように見える。
ルールを守らない人も、当然出てくるように見える。
こうした現実を踏まえるなら、私たちが最終的に問われるのは、このことになるのかもしれません。
AI時代に、どれだけ誠実に創作に向き合えるか。
AIを使うのも良い。
使わないのも良い。
しかし、なぜ書くのか、何を伝えたいのか、何を大切にするのかという「内側の姿勢」だけは、AIに代替できないと言えます。
おわりに
AIの利用は止まらないように思えます。
そして、不公平な構造も消えないように感じられます。
だとすれば、公平ではない時代に、どのように誠実でいられるのか。
AIが一般化し、コンテストにおいても隠れて使う人が出て来うるという現実は、新たな格差や倫理的な葛藤を生むことでしょう。
しかし、その中でも、自分の作品にどれだけ心を込めるかという問題だけは変わらないとも言えます。
AIと人間の差は、思いと創造の意志によって生まれるのだとも思われます。
