地方を出たい私は、求人票と婚活を同時に見ていた
都会に行きたい。
そう思っていたくせに、
私は最初から立派に行動できたわけではない。
いや、恥を忍んで正直に言おう。
私は学生の頃から、地方を出たかった。
大学だけは県外に出た。
だから一度は、
「外の世界を見た人」
みたいな顔をしていた。
なかなか図々しい。
本当は、少し外を見ただけだった。
就職のタイミングでも、
本当は都会に行きたかった。
応募もした。
そして、落ちた。
潔く地元に戻った。
と言えば聞こえはいい。
実際は、戻るしかなかった。
親や周囲を納得させられるほどの夢もない。
都会で絶対に働きたいと言い切れるほどの実力もない。
かといって、地元で一生やっていく覚悟もない。
どれも中途半端である。
そうして私は、
地方の病棟で働くことになった。
それが悪かったわけではない。
看護師として働いていると言えば、
だいたいの大人は安心する。
親も安心する。
親戚も安心する。
世間的にも、悪くない。
ありがたい肩書きである。
しかし本人の中身は、
全然ちゃんとしていなかった。
仕事帰りに田んぼ道を走りながら、
まだどこかで思っていた。
ここじゃない気がする。
まったく、しつこい女である。
一度地元に戻ってきたくせに、
まだ都会への未練をポケットに入れて歩いていた。
しかも、捨てる気はあまりなかった。
田んぼ道の向こう側を見てみたい。
そう思っていたくせに、
では何をすればいいのか、
私はまったく分かっていなかった。
求人を見るのか。
貯金をするのか。
親に話すのか。
転職サイトに登録するのか。
それとも、
いきなり都会の駅に降り立てば、
何かが始まるのか。
始まらない。
残念ながら、
人生は月9ドラマではない。
駅の改札を抜けた瞬間に、
都合よくイケメン上司とぶつかったりもしない。
ぶつかるとしたら、
たぶん急いでいるサラリーマンである。
そして普通に舌打ちされる。
それでも当時の私は、
頭の中だけは忙しかった。
まず私がしたのは、
求人を見ることだった。
いきなり応募したわけではない。
そんな勇気はなかった。
ただ、見た。
都会にはどんな職場があるのか。
給料はいくらくらいなのか。
美容クリニックの求人は本当にあるのか。
自分の経験で応募できそうなのか。
求人票を見ていた。
いや、正確に言うと、
求人票の向こう側にいる自分を見ていた。
勤務地は東京。
最寄り駅は聞いたことのある名前。
制服はきれい。
給料も、地元より少しよさそう。
それだけで、
私はもう半分くらい都会の女になった気でいた。
早い。
内定も出ていない。
面接にも行っていない。
なんなら応募すらしていない。
それなのに頭の中では、
仕事帰りに駅ビルを歩く自分まで完成していた。
妄想の中の私は、
いつも少し垢抜けている。
現実の私は、
地方の病棟の休憩室の片隅で、
携帯を眺めているだけだった。
とはいえ、
求人票は夢だけを見せてくれるわけではない。
月給。
勤務地。
勤務時間。
必要な経験。
休日。
福利厚生。
夢が、急に数字で殴ってくる。
なかなか容赦ない。
「都会でキラキラ働く私」
なんて浮かれていたくせに、
月給と家賃を並べただけで、
急に顔色が悪くなる。
夢を見ていたところに、
いきなり電卓を差し出された気分だった。
家賃。
生活費。
交通費。
引っ越し代。
数字というものは、
こちらの妄想にまったく遠慮がない。
それでも、
求人を見る前の私にはもう戻れなかった。
ただの憧れだった都会が、
少しだけ現実に見えてしまったからだ。
「行ってみたい」が、
ほんの少しだけ、
「行けるかもしれない」に変わってしまった。
人間は厄介である。
一度そう思うと、
なかなか元には戻れない。
そして、もうひとつ。
私は同時に、
婚活のことも考えていた。
求人を見る。
それはまだ分かる。
だが、婚活である。
都会に住んでいる人と結婚すれば、
都会に行けるのではないか。
今思うと、なかなかに浅い。
家族で最後に入るお風呂くらい浅い。
しかも、たぶん少しぬるい。
それなのに本人は、
人生の大海原に出るつもりでいた。
結婚を何だと思っているのだろう。
自分で書いていて、
少し額を押さえたくなる。
もちろん、誰でもよかったわけではない。
そこまで悪人ではない。
たぶん。
ただ、あの頃の私は、
地方を出るための出口を必死に探していた。
転職。
上京。
結婚。
使える扉は、全部見ていた。
自分の力で行けるなら行きたい。
誰かと一緒に行けるなら、それもありかもしれない。
結婚をきっかけに場所を変えられるなら、それだってひとつの道かもしれない。
綺麗ごとではない。
でも、人生を動かす理由が、
いつも立派な志とは限らない。
求人票を見て、
家賃を調べて、
知らない街の名前を検索して、
ついでに都会に住んでいる人のことまで考える。
我ながら、
ずいぶん都合よく夢を見ていた。
ただ、なんとか抜け出したかった。
あの田んぼ道を、
このままずっと帰り続ける自分を想像すると、
どうしても諦めきれなかった。
浅い。
都合がいい。
でも、少しだけ可哀想なくらい本気だった。
求人票を見て、
家賃を調べて、
知らない街の名前を検索して、
ついには結婚のことまで考え始める。
我ながら、妄想だけはよく働く女だった。
このあと私は、
転職にも、婚活にも、上京にも手を伸ばしていく。
地方を出たかった私が、
仕事と結婚と上京をどう考えていたのか。
少しずつ書いていきます
でも今日はまだ、
求人票と婚活を同時に眺めながら、
どうにか地方を出る方法を探していた頃の話だけにしておく。器用な女なら、
そもそも休憩室で求人票を眺めながら、
ひとりで人生の抜け道を探していない。
今日はまだ、
その入口に立っていた頃の話だけにしておく。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
地方を出たいと思っていた頃の話を、少しずつ書いています。
次の話はこちらです。
▶︎ 地方の看護師が東京の求人票を開いたら、駅名と家賃で固まった
前の話はこちらです。
▶︎ 地方で働く私へ。「このままでいいのかな」と思った日の話
求人票を見て、家賃に固まり、婚活アプリを開いて、また現実に戻る。
そんな時期を少しずつ書いていきます。
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