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【アドラー心理学 Vol.07】「褒める」は、なぜ危険なのか?「縦の関係」から「横の関係」へ

前回の記事

前回の記事では、
僕たちの誰もが持つ「より良くなりたい」という願い、
「優位性の追求」には、全く異なる二つの道があることをお話ししました。

一つは、他者との比較で自分の価値を測り、
エネルギーを消耗させてしまう「縦の関係」の道。

もう一つは、過去の自分との比較で成長を実感し、
エネルギーが循環していく「横の関係」の道です。


でも、頭ではそうと分かっていても、
僕たちはなぜ「縦の関係」の引力から逃れられないのでしょうか。

その理由は、僕たちの日常に深く根付いた、
ある「コミュニケーション」の習慣に隠されていると思うのです。

今回は、その習慣、
特に「褒める」という行為に隠された罠を解き明かしながら、
「横の関係」を築くための具体的な一歩を探っていきたいと思います。

これは、自分のエネルギーと関係性を見つめ直し、
自分の中に確かな「軸」を育てていくための、
大切な探究になるのではないかと。


「縦の関係」
エネルギーを奪う、見えない序列

「縦の関係」とは、周りの人を「競争相手」とみなし、
常に「上か下か」という序列で見てしまう世界観のことです。

この関係性を支配しているのが、
「評価」という行為です。

「なんで、こんなこともできないんだ」と叱責する。

これが「縦の関係」であることは、
言うまでもないと思うんです


では、
「君は本当に優秀だね」と褒めることはどうでしょうか?

アドラー心理学では、
これもまた「縦の関係」のコミュニケーションだと考えます。

それはなぜかというと、「褒める」という行為には、
「能力のある者が、能力のない者に対して下す評価」という構造が、
無意識のうちに組み込まれているから、とのことです。

ただ、これって
「褒めることは良いこと」という風潮がある現代社会では、
なかなか受け入れづらいことなんじゃないかなと。

ただ、評価されることに慣れてしまうと、
「評価されない自分」に不安を覚えるようになる、
というのはよくあることだと思うんですよね。

それによって、
「褒められること」が目的になり、
他人の視線に怯え、承認を求め続けてしまう…と。

このように、承認を求め続けてしまうことが、
エネルギーが一方的に流出していく「すり減る努力」だったりします。

アドラー心理学では
承認欲求をあまり好ましく考えていないのも、
こういった理由があるからです。


「横の関係」
尊敬と信頼でエネルギーを満たす道

では、この息苦しい「縦の関係」という仕組みから、
抜け出すことはできるのでしょうか。

その鍵となるのが、
「横の関係」を築く、ということです。

「横の関係」とは、
相手を尊敬し、信頼できる相手とみなす関係性のこと。

能力や経験、役職が違っていても、
人としての尊厳においては、誰もが等しく価値がある。

「横の関係」とは、その絶対的な信頼から始まります。


「横の関係」は対等な立場と言われることもありますが、
「対等」という言葉は
どこか「私があなたを対等と認めてあげよう」というような、
上から目線のニュアンスを感じて、
個人的にモヤッとしてしまうんですよね。

だから、「対等」という言葉は極力使いたくないんですよね。

まぁ、使うこともあるにはあるんですが。

ただまぁ、そもそも、
「横の関係」の本質は
「対等」という言葉そのものよりも、
「尊敬」という眼差しと、
「信頼」という行動にあるのだと思いますから。


「横の関係」の中では、
他者は競争相手とは考えません。

なので、評価に怯える必要もないんです。

そこにあるのは、安心感と、
お互いの存在を喜び合えるような、
温かいエネルギーの循環ですから。


「横の関係」を支える、本当の土台

では、どうすれば「縦」から「横」へと、
変えていくことができるんでしょうか?

それは、日々のコミュニケーションを、
ほんの少しだけ意識してみることから始まるんじゃないかと。


ただ、一般的に言われているのは、
「こういう言葉遣いをしようね」って話なんですよね。

たとえば、誰かが何かを成し遂げたとき。

「すごいね!」とか「えらい!」という言葉は
縦の関係の言葉だから使ってはいけないよ。

一方、
「ありがとう、本当に助かったよ」といったような言葉は、
横の関係の言葉だからどんどん使っていこう!みたいな。


あるいは、誰かが困難に直面しているとき。

「なんでできないの?」と原因を問い詰めるのは、
相手を下に置く縦の関係のコミュニケーションであり、

「どうすればできるか、一緒に考えてみようか?」というのは、
仲間として同じ目線に立ち、
寄り添っているコミュニケーションだ、とか。


これってどうなんだろう?って思うわけです。

例えば、「すごい」という言葉って
立場や状況によって意味合いが変わると思うんですよね。

たとえば、

  • 部下が上司の鮮やかなプレゼンを見て「部長、すごいです!」と言う
    (下から上へ)

  • 同僚の作った資料のクオリティに「これ、すごいな…」と感心する
    (横から横へ)

  • 部下が予想をはるかに超える成果を出したときに
    「君はすごいな!」と褒める(上から下へ)

といったように、
「すごい」という言葉は
縦の関係だけでなく、
横の関係の言葉としても機能します。

結局は、
「どんな言葉を使ったか」というよりも、
「どんな意味合いで、その言葉を使ったのか」なんですよね。

さらに言えば、
「どんな意味合いで、その言葉を受け取ってもらえたのか」
も重要になります。

「ありがとう、本当に助かったよ」という言葉を使ったとしても、
「どうせ口先だけでしょ」って思われたら、
横の関係にはなりはしませんよね?

だから、
「どう受け取ってもらうか?」には、
関係性も強く関わってきます。

「なんでできないの?」と問い詰められたとしても、
「この人は言葉は悪いけれど、いつも一緒に歩いてくれる人だ」
という関係性ができていれば、
この言葉でも「横の関係」は成り立ちますから。


良いコミュニケーションを取る場合、
よく「小手先のテクニック」を重宝されますけど、
でも、その小手先のテクニックが通用するくらいの関係性を
築けているの?と思ったりするわけです。

言葉だけ整えても、
中身が伴っていなかったら、
それは結局「縦の関係」になってしまいます。

だから、「横の関係」の本質は
言葉がどうとかではなくて、
相手のことを一人の人間として尊敬し、信頼している、といったような
そういう「在り方」なんですよね。


「在り方」を見つめ続ける

僕自身、
完璧に「横の関係」を生きているわけではありません。

でも、
「横の関係」築けるような「在り方」でいようと、
常日頃から思っています。

日常の中でふと、
「今の自分は、尊敬や信頼に基づいた行動ができているだろうか?」
「隣で一緒に歩んでいきたい、そう思えるような姿勢でいるだろうか?」
そのように自分を見つめる時間を増やし、在り方を見つめていく。

それこそが、
毎日を、少しでも軽やかに、
そして前に進めてくれる、確かな一歩なるのではないかと思うのです。


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