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建築は、いつから記憶になるのか。― 時間建築論 第0章


光の記憶

私の最も古い記憶は、光だ。

まだ三歳だったのではないかと、後から聞いた。
若かった母が、運転免許を取るために通っていた場所。

それがどこなのか、そのときの私は知らない。

ただ、広い教室のような空間で、
あおむけになり天井を見上げている自分がいる。

高い天井。真っ白な天井。
大きな窓から、まぶしいほどの光が差し込んでいる。

光の束に包まれながら、
遠くで聞こえる先生の声は子守歌のようだった。

夢見心地のまま、
私はその空間に浮かんでいた。

建物の名前は知らなかった。
けれど、空間は私の中に残った。



解体の記憶

小学校に上がる前、実家の家を建て直すことになった。
住んでいた家を、半分だけ残して。

二階建ての木造住宅だった古い家は、
ナイフでリンゴを切るように、きれいに半分にされていた。

しばらくの間、その“半分の家”で暮らした。
いま思えば、どこか滑稽な光景だ。

雨は大丈夫だったのだろうか。
けれど、幼い私は不便さなど考えたこともない。
ただ、その特異な環境が楽しかった。

やがて新しい家が建ち、
古い半分の家は数年そのまま残された。

二階は、若い大工さんの住み込みの部屋として使われていた。

図面に描く断面図のように切断された家は、
しばらくのあいだ、別の時間を生きていたのだと思う。

そしていよいよ工事が始まる前夜、
その家は解体され、更地になった。

広々としたその空間は、
子どもたちにとって最高の遊び場だった。

近所の子どもたちと、
夕方遅くまで駆け回っていたことを、いまでも鮮明に覚えている。



匂いの記憶

匂いは、五感のなかでもとびきり敏感だ。

季節が巡るなかで、ほんのわずかな気配だけで、
春の訪れや、夏の湿り気、秋の乾いた空気、冬の冷たさを感じることがある。
ときにそれは、風に乗ってやってくる。

仙台で、ある住宅会社の設計を担当していたときのことだ。

その会社には常駐の大工がいて、
木構造はすべてプレカットを使わず、手作業で刻んでいた。
いまでは、そうした光景は珍しい。

仕上げ材にもさまざまな木が使われていたが、
特に印象に残っているのは、脱衣所や洗面所に使われた青森ヒバだ。

ヒノキを使う住宅は多い。
けれど、青森ヒバを使った家は、私は他に見たことがない。

この木は、ヒノキとは比べものにならないほど強い香りを放つ。
湿気を吸うと、その匂いはいっそう濃くなる。

水分と時間に反応して、香りが立ち上がるのだ。

その後も青森ヒバを使いたいと思うことはあった。
けれど同じような機会には、なかなか巡り合えなかった。


時間ということ

建築は、完成した瞬間から劣化するのだろうか。
それとも、その瞬間から時間を生き始めるのだろうか。

光も、解体も、匂いも、
すべては身体を通して記憶になった。

建築主からは、九割近い確率で
「メンテナンスフリー」という言葉を耳にする。

だが、それは「手をかけなくてよい家」という意味ではない。

建築は、完成した瞬間に止まるものではない。
そこから風に触れ、湿気を含み、光を受け、
少しずつ変わり続ける。

変化を避けることはできない。

ならば問うべきは、
「いかに変わらないか」ではなく、
「いかに変わるか」ではないだろうか。

光が身体に残り、
切られた家が記憶に残り、
青森ヒバの匂いが季節を呼び起こすように、

建築は五感を通して、
静かに時間を刻んでいく。

私は、
五感を通して時を編み、記憶に息づく空間を設計したい。


本稿は「時間建築論」の第0章である。

このシリーズでは、
建築を「時間」と「記憶」という視点から考えていきたい。

完成した瞬間の美しさではなく、
時を重ねながら人の記憶に残る空間とは何か。

次回は、
「経年変化は設計できるのか」
という問いから始めてみたい。


シリーズ目次

時間建築論 — 記憶を編む空間

第0章
建築はいつから記憶になるのか

第1章
経年変化は設計できるのか

第2章
素材は時間をどう受け取るのか

第3章
手入れという文化

第4章
建築はなぜ壊されるのか

第5章
五感の空間論

第6章
建築の時間スケール

第7章
記憶を生む建築

第8章
未来を設計するということ

第9章
時間と共に生きる建築

最終章
建築は記憶の装置である



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