見出し画像

私は総督府の解体を見た― 3.1節と都市の記憶 ―

1993年から1995年までの3年間、私は韓国に滞在していた。

13年前の移住が最初ではない。それよりさらに遡る、若い頃の時間である。

景福宮の正面に、巨大な石造建築が立っていた。日本の国会議事堂にも似た重厚な建物。それが、かつての朝鮮総督府庁舎だった。

私はその解体を、目の前で見た。

外壁が崩され、足場が組まれ、建築が少しずつ解体されていく。

当時の私は、それを深く考えてはいなかった。植民地統治の象徴であることは理解していたが、それを都市の構造として捉える視点はまだなかった。

今のように容易に記録できる時代ではない。手元に残る資料はほとんどない。

だが、記憶は残っている。

1990年代前半、日本人に向けられる視線は今よりも緊張を帯びていた。3.1節には外出を控えた方がよいとも聞いた。

その日は朝からテレビが独立運動の歴史を流し続けていた。街は静かでありながら、どこか張りつめていた。

私はその空気の中にいた。

あれから30年が経つ。

交流は増え、距離は縮まった。だが、わだかまりが完全に消えたとは言えない。

私は、日本と韓国が「近くて近い国」になることを願っている。

だが、あのとき解体されたのは、本当に建物だけだったのだろうか。

都市の中心に刻まれた象徴が、取り除かれたのではなかったか。

3.1節という歴史と総督府解体を、建築の視点から読み直してみたい。


(ここから先は有料部分で詳しく考察します)


ここから先は

1,021字 / 2画像

¥ 1,200

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!