#業務設計者論|境界を紡ぎ、意味を編む ─ バウンダリースピナーとセンスメイキング
経営層からは「DXで効率化を」と数字を求められ、現場からは「今のやり方を変えたくない」と反発される。
システム部門は「仕様通りです」と冷たく返し、現場は「使いにくい」と嘆く。
組織の中で、このような異なる言語がぶつかり合う国境に立ち、右往左往して疲弊した経験はないでしょうか。
あなたがそこで感じている徒労感は、能力が足りないからでも、調整力が不足しているからでもありません。
異なる言語圏の間に、通訳を持たずに放り込まれているという「構造の断絶」が原因です。
今日は、この孤独で過酷な境界線に立つ人々に与えられた「バウンダリースピナー」という名と、そこで彼らが静かに行っている「センスメイキング」というプロセスについて、しくみのスキマから覗き込んでみたいと思います。
境界に立つ翻訳者:バウンダリースピナー
バウンダリースピナー(Boundary Spanner)とは、組織論や経営学の言葉で「境界連結者」と訳されます。
部門や専門領域、あるいは企業の内外といった「境界線」に立ち、異なる背景を持つ人々の間で情報や知識を橋渡しする役割を持つ人のことです。
私たちは、ITの専門家でもなく、特定の現場業務だけの専任でもない、どっちつかずの立ち位置にいます。
どちらの会議に出ても少しだけ異物感があり、「あなたの本業はどっち?」という無言の問いかけを感じることもあるでしょう。
しかし、その中途半端に見える立ち位置こそが、組織を繋ぐ唯一の鎹(かすがい)なのです。
デジタルという「0か1か」の冷たい論理と、現場の「阿吽の呼吸」という湿度の高い文脈。
この二つの言語を翻訳し、共通言語を設計できるのは、境界に立つバウンダリースピナーだけです。
納得感を創り出す:センスメイキング
では、バウンダリースピナーは境界線で具体的に何をしているのでしょうか。
ただの伝言ゲームをしているわけではありません。上司の言葉をそのまま現場に伝えれば反発され、現場の悲鳴をそのまま上司に伝えれば一蹴されるからです。
ここで必要になるのが「センスメイキング(Sensemaking)」というプロセスです。
センスメイキングとは、直訳すれば「意味づけ」です。
組織論学者のカール・ワイクらが提唱したこの概念は、正解が分からない不確実な状況下で、人々が情報を集め、文脈を読み取り、「どういうことなのか」という共通の理解(意味)を構築していくプロセスを指します。
現代のビジネスは、正解がわかっている問題(タイプⅠ)よりも、正解がわからない不確実な問題(タイプⅡ)で溢れています。
そのような環境下では、誰もが迷子になります。
だからこそ、バウンダリースピナーは状況を観察し、バラバラの事象に意味を与え、関係者が腹落ちする「物語」を紡ぐのです。
上からの冷たい論理を、現場が納得できる温かい物語へ。
下からの熱い感情を、経営層が理解できる構造の課題へ。
この意味の変換作業こそが、センスメイキングであり、私たちが呼ぶところの「業務設計」の正体です。
境界を縫い合わせる実践例
たとえば、新しい全社システムを導入するケースを想像してみてください。
経営層にとっての意味は「コスト削減とデータの一元化」です。
しかし、現場にとっての意味は「今までExcelでできていた使い慣れたやり方を奪われ、入力の手間が増えるだけの苦行」です。
このままシステムを強行導入すれば、現場は置き去りにされ、新しいしくみは使われないまま静かに止まっていくでしょう。
ここでバウンダリースピナーは、センスメイキングを行います。
現場に対して「効率化のためだから我慢して」という正論は使いません。
代わりに、「あなたが長年培ったその素晴らしい勘所は、言葉やデータにして箱に入れない限り、あなたと共に消えてしまいます。後輩たちが迷子にならないよう、あなたの仕事を未来に遺す地図を作りませんか」と意味を再定義します。
システムという硬い箱に、人の血を通わせる。
冷たいロジックを、温かい納得感に変換する。
機能の多さや強制力ではなく、この「これなら使ってもいいか」という小さな納得感の積み重ねだけが、組織という重たい歯車を回していく燃料になるのです。
結びに
あなたが職場で感じている「誰にも理解されない板挟みの苦しさ」は、あなたが組織の断絶を一身に背負い、境界線で必死に意味を編み出そうとしている証拠です。
その仕事は、決して単なる調整役ではありません。
異なる世界をつなぎ、不確実な未来に向かって組織が呼吸するための、最も尊く、創造的な設計者の振る舞いなのです。
どうか、その曖昧な領域に立つ自分に誇りを持ってください。
私たちは、そのスキマに、橋をかけることができるのですから。
少し深く「スキマ」の思想に触れ、思考のOSをアップデートしたい方へ、いくつかの記事を処方します。
現場と経営の間に立つ「翻訳」という職能の輪郭を、さらに深く掴みたい方へ(思想・哲学)
板挟みの正体は「能力」ではなく「構造」にある─上司の数字と現場の感情を翻訳するコスト
同じ組織にいるはずなのに、なぜ見ている世界がすれ違ってしまうのかを知りたい方へ(哲学・理論)
なぜ話は通じているのに、仕事はズレていくのか─ マネジメントやDXが空回りする本当の理由
正論や機能だけでは人が動かない理由と、納得感を生み出す設計のスタンスを知りたい方へ(思想・構造)
#業務設計者論 |業務でもITでもない、しくみの“スキマ”に立つ
正解のない不確実な世界で、どのように仮説を立てて進むべきかを探求したい方へ(理論)
不確実性の航海術 #2|地図を捨てて、コンパスを持て ─ TypeⅠ(正解)とTypeⅡ(仮説)の断絶
