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マネジメント負債#3(完)|撤退基準という冷たい約束

前回は、実態と乖離した計画が、現場の「なんとかする力(泥臭い運用)」によって覆い隠され、結果として組織に重いマネジメント負債が溜まっていく構造についてお話ししました。

では、この静かな負債の連鎖を止めるためには、どうすればいいのでしょうか。

「心理的安全性を高めて、現場からノーと言いやすい空気を作ろう」
「マネジメント層がもっと現場の状況を正しく把握しよう」

そうしたアプローチも、もちろん大切です。しかし、業務設計の視点から言えば、人間の「勇気」や「意識の変化」に頼っている時点で、それはしくみとして不完全です。

どれほど風通しの良い組織でも、熱狂して進んでいるプロジェクトに対し、途中で「やめましょう」と水を差すのには大変な心理的負荷がかかります。これまでに費やした時間と予算、期待してくれている上層部、そして何より「自分たちの努力不足ではないか」という現場自身の責任感が、撤退の判断を鈍らせます。

人が感情で動く生き物である以上、「走りながら冷静に止まる」ことは極めて困難なのです。

だからこそ、私たちはプロジェクトが始まる前の、最も冷静な時期に「冷たい約束」を交わしておく必要があります。
それが「撤退基準」の設計です。

撤退基準とは、「もしこの指標がXを下回ったら(あるいはYを上回ったら)、どんなに頑張っていても、誰の責任でもなく、一度プロジェクトを停止して継続を再評価する」という、あらかじめ合意されたルールのことです。

たとえば、「新しいフローを導入して3ヶ月経っても、作業時間が旧フローの1.2倍を下回らなければ、一度元の運用に戻す」といった具合です。

これは、株の取引における「損切り(ストップロス)」と同じ構造です。
あらかじめ「ここまでは許容するが、ここを超えたら自動的に手放す」というラインを決めておかなければ、人は「もう少し待てば好転するかもしれない」というサンクコストの罠に囚われ、取り返しのつかないところまで負債を抱え込んでしまいます。

撤退基準というしくみが優れているのは、「誰かを悪者にしなくて済む」という点にあります。

基準がない状態でプロジェクトを止めるには、現場が「もう限界です」と白旗を上げるか、経営層が「お前たちのやり方が悪い」と責任を追及するしかありません。そこには必ず、個人の感情や責任の押し付け合いという「摩擦熱」が生じます。

しかし、あらかじめ撤退基準という「事実のライン」が引いてあれば、現場は感情や大変さで抵抗するのではなく、ただ「基準値に達したので、ルール通りに停止します」と報告するだけで済みます。
これは現場が経営を否定するためではなく、経営層がサンクコストに引きずられず、正しい判断を取り戻すための、愛のある「アラート」として機能するのです。

人間は、真面目で、誠実で、そして感情に流されやすいからこそ、過ちを犯します。
だからこそ、私たちの組織には、感情の入り込む余地のない「冷たいしくみ」が必要なのです。

気合や根性でプロジェクトを延命させるのではなく、美しい撤退を設計すること。
それこそが、現場の呼吸を守り、システムと人が共生する組織を形作るための、業務設計者の大切な役割なのだと思います。

(マネジメント負債シリーズ・完)

もっと深く「スキマ」を覗きたい方へ
・現場の「阿吽の呼吸」や暗黙知が限界を迎えている現象を読み解く
AIに「いい感じで」が通じないもどかしさの正体

・気合や感情で解決するのではなく、あらかじめ「しくみ」として組織を描き直す視点
#業務設計者論|改善の裏にしくみを描く力

・システムと組織の間に、改めて明確な役割の輪郭を引く作業について
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