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重力と引力 #35 |回廊Ⅳ 引力4:防波堤の機能と、熱の伝播

けたたましく震え続けるスマートフォンを手に取る。画面には「品質管理部長」の文字。 通話ボタンを押した瞬間、スピーカーから耳障りな怒声が漏れ出した。

「おい! 監視モニターがまた真っ赤だぞ! 昨夜直したんじゃなかったのか!」 「ええ、現在『戦略的フェーズ移行』に伴う、新基盤のストレステストを実施中です。一部の旧モジュールとの干渉を意図的に発生させて確認しておりまして」

私は、抑揚のない声ですらすらと嘘を並べた。

「テストだと? 聞いてないぞ! もし顧客データに影響が出たら誰が責任を――」 「本部長の指示で、午前中までに検証を終わらせるよう厳命されております。ご懸念の点については、テスト終了後に私が直接ご説明に上がりますので」 相手が息継ぎをした隙を突き、一方的に通話を切る。

息をつく間もなく、今度はPCの社内チャットが激しく点滅し始めた。営業部からのクレームだ。「デモ環境が不安定だ」「どうなっている」という矢継ぎ早のメッセージに対し、私は「現在、経営企画室主導の計画に基づき調整中。詳細は本部長へ」という魔法の定型文を返し続けた。

彼らの怒りや不安の矛先を、すべて私のデスクに集約させる。無菌室から降り注ぐ理不尽な重力を、ここで完全に食い止める。

「トランザクションの詰まり、第3ルーティングへ逃がします」 「了解。キャッシュの解放はこっちで叩く。監視を続けて」

背後から、熱を帯びた声が聞こえる。 振り返ると、二人のエンジニアは、私の泥まみれの電話対応になど見向きもしていなかった。彼らの視線はモニターに完全に固定され、互いに短い言葉を交わしながら、凄まじい速度でキーボードを叩いている。そこに、指示を待つゾンビの姿はもうない。

かつての私は、彼らとの関係を良くしようと、安い飲み会を開いたり、上辺だけの優しい言葉をかけたりしていた。だが、そんなものでは何も変わらなかったのだ。

彼らが真に求めていたのは、慰めではない。自分たちがプロとしてコードに没頭できる「安全な戦場」だった。 私が泥を被り、無菌室からの矢面に立つ(防波堤になる)ことで、彼らを縛り付けていた「失敗への恐怖」という重力が消え去った。 その事実だけが、彼らの暗く沈んでいた思考をクリアにし、誰に命じられるでもない自発的な行動(打鍵)の連鎖を、鮮やかに生み出していた。

カタカタカタカタ、ターン。

不完全なシステムが吐き出すエラーの波を、彼らは一つ一つ手作業で迎撃し、モジュールの隙間を縫うように新しい血(コード)を通していく。

だが、その順調な快進撃は、ある一点で不自然にピタリと止まった。

「……次、来ます。メモリ使用率、急上昇」 若手エンジニアの声に、微かな緊張が走った。 モニターの波形が、これまでとは違う異常な乱れを見せ始める。彼らがシステムを深く掘り進め、意図的にエラーを出させたことで、今まで奥底に隠れていた「本当の癌」がその正体を現したようだ。

「リーダー、これ……」 若手エンジニアが、信じられないものを見るように画面を指差した。若手リーダーの顔から、スッと血の気が引くのが見えた。

(引力5へ続く)


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