消えても消えないもの
亡くなった人のことはなぜ、
良い思い出ばかり思い出してしまうのだろう。
してくれなかったことより、
してくれたことばかり思い出す。
ちょっとずるいな、と思う。
父が「がん」で亡くなって十年経つ。
わたしはいつも、お墓参りは「父の日」と「父の誕生日」に行くことに決めている。
それは、生前「父の日」と「父の誕生日」に、
ささやかなプレゼントを持って父のいる実家に顔を出していた名残りで、
父が亡くなってからも、そのまま続けている。
父は仕事第一の、「昭和の頑固親父」だった。
朝はわたしが起きる前に出社して、
夜は仕事仲間と飲みに行くのが大好きで、
ちっとも家にいなかった。
育ててもらった記憶も、
遊んでもらった記憶もない。
わたしが保育園で作った、父の似顔絵とか、靴ベラとか、
飾ってくれたり、使ってくれたりしたこともない。
誕生日にケーキを買ってきてくれたり、
一緒にお祝いされたこともない。
短気で頑固でせっかちで、
母を怒鳴ったり、喧嘩することもしばしば。
母がどこか連れて行って欲しいと言っても、
連れて行ってあげたことはなかった。
そんな父の愚痴を、母はよく洩らしていた。
だから、わたしにとって父は長い間、
「母をいじめる悪い奴」だった。
父に対する思いが変化したのは、
自分が「社会」に出て、
「働く」ようになってから。
父が毎日平然としてきたことの、
「厳しさ」を知ったから。
父は定年退職するまで、
一日も休まず勤め上げた。
家族に、仕事に関する文句も愚痴も、
「疲れた」とか「大変だ」とかも、
一度も言ったことはない。
それがどんなにすごい事か、今は分かる。
父の背中は大きかった。
父の「がん」は、最初に「咽頭」に見つかった。
緊急で手術をし、全身を検査したとき、「大腸」にも「がん」があることが分かった。
だけど本当は、「大腸」のほうが先で、「咽頭」は転移したものだった。「大腸」の「がん」はすでに進行していて、助かる可能性は低かった。
一度目の大きな手術の後、
父は「三途の川」の夢を見たんだと言った。
岸には三人乗りの舟が迎えに来ていて、
一席空いている。
向こう岸には、父の母親が立っていて
父を見つめていた。
舟は三人揃うまで出発しない。
父は舟に乗らなかった。
目覚めると、
麻酔が切れていて、傷口が猛烈に痛い。
気付けば、病室の天井にあるエアコンの穴という穴から、人間の手が生えている。
病室の壁には、信じられないくらいの数の亡霊が
ぎゅうぎゅうに張り付いていて、
父に向かって手招きしている。
父の手を掴もうと、おびただしい数の手が伸びてくる。
父は怖くて必死で、掴まれた手を振りほどいたんだと言った。
大きな手術の後には、「術後せん妄」と言って、
痛みや侵襲のために、幻覚を見ることがあるらしい。
看護師さんに聞いた。
二度目の手術のあとは、
痛みで少し錯乱していて、
様子を見に来てくれた看護師さんを、
鬼の形相で、突き飛ばしてしまったことがあった。
その父の様子から、
「痛くて痛くて、どうしようもないんだ」と、
聞こえてくるようだった。
家族で平謝りしたが、
看護師さんは慣れている様子で、
「大丈夫です」と言って作業を続けていた。
父は我慢強いひとだった。
病院からもらっていた痛み止めは、
亡くなるまで一度しか手にしなかった。
放射線治療も、抗がん剤治療もやりきった。
「砂の味しかしない」と言って食欲がへり、
どんどん痩せていった。
ある日、病院の先生に告げられた。
「病院で出来る治療が無くなりました。
これからは緩和ケアに移行していくことになります。」
治療があるうちは、
どんな副作用にも耐えてきた父。
「がんを治してみせる」という強い気持ちだけが、父を支えていた。
だけどもう、闘う方法が無くなってしまった。
大きく見えていた父の背中は、
みるみる小さくなった。
しばらくして、
自宅で療養していた父が、
ホスピスへ入院することになった。
ホスピスへ移る前夜、
父と二人で話す機会があった。
母に怒鳴ってばかりいたあの父が、
「もっと早く入院してやってれば、
母さん楽だったかもしれないな。」
なんて言っていた。
わたしには兄がいるが、
若いころから引きこもっていて、
父とは折り合いが悪く、
二十年以上会話をしていない。
そんな兄に、
「外に出ていろんな経験をして、
人生を楽しんで欲しい。」
と言っていた。
わたしのことは「何も心配していない」と言って、自分がいなくなった後のことを話していた。
そして最後に、
「できるならもっと生きていたい。」
と言った。
ホスピスに入院したその日の夜に、
父は息を引き取った。
父の力がふっと抜けた時、
意識と同時に「魂」が抜けていくように見えた。
「がんに勝てない」と覚悟してから、
死が迎えに来るのはあまりに早かった。
父の手は重かった。
眠っているのとは違う、
もう二度と動かない手の重み。
「人が死ぬ」ということを、初めて知った。
子どもを産んだとき、
「命が生まれる」ということの、
あまりの「生々しさ」と「確かさ」に、
「幽霊なんて不確かなものはきっといない」
と思ったけど、
父の呼吸が止まったとき、
「幽霊でもいいから、
もう一度現れてくれないかな。」と思った。
だけどやっぱり「生」と同様に「死」も、
「生々しく確か」で、
もう二度と、父が目の前に現れることはないんだと思った。
父が闘病していた約二年の月日が、
今までで一番父と話し、過ごした時間だった。
大して仲良くもなかったけれど、
今生の別れには、やはり涙が出た。
飽きるほど時間はあったのに、
お酒でも飲みながらもっと話をして、
「父」という人をもっともっと知っておけばよかったと、少し後悔した。
病室から朝焼けを見た。
街がいそいそと今日の支度を始めている。
父がこの世からいなくなっても、
世界が何も変わらないことが、
悲しかった。
父は、
世界を苦しめた「コロナ」を知らずに逝った。
まさか自分が死んだ後に、
こんなことが起こるなんて想像もしなかっただろう。
気温が40℃を越える夏を、
お米が不足して値段が高騰することも、
知らずに逝った。
だからいつも教えてあげる。
「自粛だからお父さんしばらく飲みに行けないよ。」
「今日は殺人的な暑さだよ。」
「お米が高すぎて困ってるよ。」って。
お父さんは、「悪い奴」じゃなかった。
お父さんなりのやり方で、
家族を大事に思っていた。
そんな愛情の「残り香」みたいなものが、
わたしのまわりにずっとあたたかく残っている。
お父さんがこの世から消えても、
消えないもの。
お父さん、
いつか一緒に、お酒飲もうね。
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