命のかたち
「幽霊なんていない」
わたしがこの世に、
息子を産み落としたときに感じたこと。
「命が生まれる」ということが、
こんなに生々しく「確か」ならば、
「命が亡くなる」瞬間も、
きっと「確か」なんだ。
幽霊なんて不確かなものはきっといない。
産婦人科の先生に
抱き上げられた赤ん坊を見ながら、
そんな事を考えていた。
出産は死ぬほど痛かった。
分娩中「もうやめて助けて」と何度も叫びそうになった。
陣痛の波がやって来るたび、
お腹が破裂してしまうかと思った。
自分の身体から命が生まれるという、
確かな痛み。
当たり前だけど、
産み落とした後は、
痛みがあっさりと嘘みたいに消える。
何時間も、何十時間も耐え忍んできた激痛が
急に跡形もなく消え去る。
あんなに痛かったのに、
何年かするともう忘れている。そんな痛み。
妊娠が分かったとき、
彼の口から出た一言目は、
「俺の子?」
二言目は、
「今回は諦めよう」だった。
そのせいもあってか、
わたしはその突然の妊娠を
素直に喜ぶことが出来なかった。
彼はギャンブルに明け暮れて仕事もなく、
生活がままならない上に借金もある。
産むことにも反対だし、きっと結婚する気もないだろう。
彼との暮らしには、
「わたしが働けなくなったら生活が詰む。」
そういう心配が常にあった。
「こんな状況で妊娠なんてどうしよう。」
不安しかなかった。
「来週までには決めてください。」
産婦人科の先生は厳しい顔で言った。
来週までに決めないと、
「産まない」という選択肢は無くなる。
時間切れだ。
つわりが始まっていた。
空腹になると吐き気がして、
吐けないのに吐きながら考え続けた。
産むのか、産まないのか。
そのあとのわたしの人生は、どうなってしまうのか。
いくら考えても堂々巡り。
追い詰められていた。
2回目の診察のとき、超音波の映像を見た。
勾玉のような形をした、
「赤ちゃん」と呼んでいいのか分からないような、
「命のかたち」
まだ人間のかたちはしていないけど、
ちゃんと生きている。
わたしは「ショック」だった。
知ってはいた。知識としては。
自分は「妊娠」する可能性のある生き物だって。
その「妊娠」を、
自分の体内に「命が宿る」という現実を、
体感した「衝撃」と「動揺」。
お腹を開いて実際に見たわけじゃないけど、
そこに確かに居ることが感覚として分かる。
今この瞬間も、わたしの中で着々と育っている。
「現実なんだ。」
みんなは考えていたんだろうか。
わたしだけがふわふわと
生きて来てしまっただけで、
自分の中に「命が宿る」ということ、
それが、どういうことなのか。
みんな「覚悟」はあったんだろうか。
わたしにとって「命が宿る」ということは、
一日中吐き気に見舞われるということで、
「諦めよう」と言われることで、
「決めてください」と言われることで、
震えるくらいの「衝撃」を食らうことで、
不安と孤独と弱さと、
向き合うということだった。
「あぁ、無理なんだ」
選択肢は、始めからなかったんだ。
わたしには、確かにそこに居る「命」を
産まない選択は出来ない。
「今回は諦めよう」
彼の言葉を反芻する。
もしも妊娠に「次回」があったとしても、
この子に「次回」はない。
彼が全てを放棄したとしても、構わない。
この子を産んで育てよう。
覚悟を決めた。
意外にも、彼はそれを受け入れた。
妊婦健診は病気ではないので保険がきかない。
だからどうしてもお金がかかる。
安定期に入るまでは、
最低2週間に1回は来なさいと言われていたけど、わたしが妊婦健診に行けたのは、
2カ月に一度くらい。
状態が安定していたからよかったものの、
この期間に命を落としてしまう場合もある。
先生にこっぴどく叱られた。
出産やその後のことを考えて、
わたしの実家から通える病院に転院することになった。
引越しのために、
長年住んだアパートの部屋を丁寧に掃除した。
ここへ越してきた時と同じように綺麗にしたかった。
初めて一人で住んだ、わたしの「居場所」。
わたしはこの町が好きだった。
近所を散策して、古いビデオ屋さんで借りた古い映画を朝まで見たり、
美味しそうなごはん屋さんに、思い切って一人で入ってみたり、
毎日が大冒険で、毎日わくわくしてた。
いつの間にか、
台風のような彼が転がり込んできて、
雨風に打たれる生活が始まって、
気が付けばこんなところまで来てしまっていた。
「さよなら。今までありがと。」
大きなお腹を抱えながら、
思い出の部屋に鍵をかけた。
夏の暑い日に、息子は小さく生まれた。
しばらく保育器に入っていたけれど、元気。
彼の仕事も決まって、ほっとした矢先、
一週間でまた辞めてきてしまった。
だから束の間だったけれど、
彼と暮らしてきた中でこの時が一番、
穏やかで幸せな日々だったと思う。
「母」は明るく強いほうがいい。
「生きる」ことに聡いほうが絶対にいい。
わたしみたいにぼんやり生きていては、
何も守れない。
この世に「生まれる」ことが、
はたして「幸せ」なことなのかも、
わたしには分からない。
ましてや、
わたしのもとに生まれてきた「命」が、
「幸せ」なのかも分からない。
だけど、
わたしから生まれた、
わたしではない「命」が、
「生まれてきてよかった」
とまでは思えなくても、
「楽しい」「嬉しい」「愛しい」って、
そう思えたらいいと、
生きている間に出来るだけたくさん
そう思えたらいいと、
わたしは今日も手探りで、命を育てている。
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