お前のためになんか書かない
私がこの人生の中で一番最初に書いた文章は、「家で飼っているプレコがかわいいです」というなんとも拙いものだった。
父が趣味で飼っていた熱帯魚の中の新入り。大きな口を水槽にくっつけて一生懸命に動いているその姿を、ありのままに表現した。小学2年生の、夏休みの自由課題だ。その作文は何かしらの小さな賞をもらって、後日、誇らし気に私の手元に戻ってきた。
「しいもはやっぱり天才だよ!」
父はその作文を何度も読んでそう言った。
ではこの健気なプレコから私の「書く人生」がスタートしたのかというと、そうではない。
これは、「書けば褒めてくれるので味をしめた」私の話。
「書く」を「人生」に結びつけることになるのは。
書くことも嫌になるくらいの現実を、思い知ってからだった。
愛ゆえになんともまっすぐに自信を育てていった私は、その小さな花に水を与えられ続け、いつしか「小説家になるぞ」と夢を語るようになる。ノートに書き始める小さな物語すらすぐに飽きて完成させたこともないくせに。原稿用紙の10枚は簡単に埋められるだけのこの力をもってすれば、夢はいつか叶うような気がしていた。
「小説を学べる場所がいい」なんて言って、自宅から2時間かかる大学を選んだのんきな私はその後、しっかりと現実を目の当たりにする。
「高校生のときに書いた小説が受賞して。昨年それが本になって、出版されました」
え? ……なんて?
「もともとは香港に住んでいました。日本文学に興味がありここにきました。好きな作家は……」
……まじで……?
その、念願だった小説創作ゼミに集まったメンバーと最初の自己紹介をした瞬間から。私は理解した。
私は、圧倒的努力不足なのだ、と。
ただの夢見る少女のまま、ここにきてしまったのだ、と。
ゼミの教授の本業は批評家だった。
彼の授業はとてもためになったが、戻ってくる課題評価は散々なものだった。
『ありがちな雰囲気だけの文章』
『もっと具体性を取り入れないと読者はついてこない』
『なにか表現しているようでまったく表現していない』
身内のあたたかい言葉で育ってきた私にとって、それは衝撃だった。
私には足りない。
なにも足りていない。
これまでの私はなんにも、書いて生きてきていなかった。
そのときの私にあったのは、少しの絶望。
才能は、私にはなかったのだ。という現実。
そしてそれを上回る、興奮。
「こんな人たち、初めて会ったな……」
追いつきたい人が近くにいること。
授業の中で「書く」ことについて意見が交わせること。
それはかなり恵まれた環境だった。
そのゼミでは多くの出会いがあり、当時の私に力不足を思い知らせるだけではなく、その後の人生にも大きく影響してくるような人ばかりだった。
その中でも、特筆して不思議な人物がいた。
それが、ゼミ同期の女性メンバーのひとり。Fだった。
不自然なくらい真っ白な肌。少し押したら折れてしまいそうな細い手足。いつでもほのかに香る煙草のにおい。短く刈り上げられた漆黒の短髪。大きな瞳。自らを「ワシ」と呼称するしゃがれた声。北九州出身関西育ちだという訛り。
大学内でも異質な存在でずっと気にはしていたが、Fと初めて女子トイレで対面するまで、ずっと男性だと思っていた。
あとから聞くことになるが、Fは自らを「たぶん、性同一性障害なんよ」といった。でも恋愛対象は「おっさん」だという。なんともややこしいが、そういうこともあるんだなと思った。
けしてマジメな生徒ではなかったFだが、(実は)根っからの優等生タイプな私とウマが合った。
「町田康を読め、髙塚。おもろいぞ。作品にいい影響でるって絶対」
「この前の課題の。ええやんか。不穏なかんじでなあ。これまでとちゃうやん」
「髙塚。お前が次のゼミ長になれや」
硬派で、小説よりもむしろ批評を生業にしていたFから褒められることも増えてくると、私は素直にうれしかった。けして得もしないお世辞なんか言わない性格を理解していたからこそ、その言葉は、今更努力を重ね始めた私の背中をおしてくれた。
Fとゼミ以外の授業でもいっしょに過ごすことも増えた。Fは授業は全然聞いていなくて、いつもプリントの裏に達筆な文字で教授のあれがおかしいだのなんだの書いて笑っていた。
「今度、沖縄行こうや。海ぶどう食いたい。あっちでワシが運転したるわ。まあ、免許ないけどな。長ぇこと空き地でめっちゃ運転してん、うまいぞ」
「いや、免許ないんじゃあ乗るわけねえだろ」
ある日。いつもの喫煙所で、Fの薄い唇から吐き出される煙の行方を目で追いながら、私は言った。
煙草は昔から大っ嫌いだった。でも、Fといるときだけは、その空気の中に入っていくことができた。
沖縄には行きたかったけれど、結局ふたりして金がまったくなかったので、その話はまぼろしのように流れて行った。
ミニクーパーが愛車だと、Fは語った。あれはいいぞ、と。
その後、ミニクーパーを見かけるたびに、私はその運転手をみやるようになった。Fがいつ無免許運転で逮捕されるのか、興味があった。しかし、どのミニクーパーにもFの姿はないのだった。
ゼミの卒業制作は、各自の創作の提出だった。
私は、それまでゼミの教授から受け取った数々のアドバイスや、仲間たちから存分に受け取った刺激をもとに、小説に長らく向き合った。そして、自分なりの、そのとき出せる力を振り絞って書き上げた。
書き上げたとき。この世界のどこかに、私の作品の登場人物が息をして静かに暮らしをいとなんでいるイメージがわいた。
それは、初めての感覚だった。
「教授に提出する前に。アドバイス聞かせてほしい」
私はいつもの喫煙所でFに作品を見せた。Fは無言で原稿を受け取り、すぐにその場で目を走らせた。
パラ。パラ。パラ。
印刷したA3用紙が、静かに音を立てて流れていく。
「なあ」
沈黙に耐えかねて遠くの景色を見つめていた私の背中に、Fが声をかけた。
「これ。なんかの文学賞に出しぃや」
いつものように、ちょっとだけ口角をあげながら、Fが言った。
「……マジで言ってる?」
私は言った。
「マジよ。いけると思うわ」
正直、そんなこと考えてもいなかった。でも、Fに言われると。
私は妙に自信がわいてくるのだった。
いつだってそうだ。
親からの、当たり前のように降り注ぐ愛情ではなくて。
それは、お互いの「書く」と向き合ってきたこの2年間の間で培ってきた、「信頼」だった。
私はその後、ゼミの教授に卒業制作を提出。面談の際に、どこかの文学賞に出したい、と申し出た。
教授は「ああ、いいね」と言った。
「僕からじゃあ、いろいろ探して出してみるよ」とあっさりと受け取ってくれたのだ。
それは、あれよあれよと私の手をいつの間にか離れていき。卒業し、社会人になったころに、同人雑誌優秀賞を受賞。
「文學界」に掲載された。
地元の本屋にならぶその雑誌を手に取ったときの興奮を、今も覚えている。
──けれど。
そのまま私が作家の人生を歩めるはずもなく。
すでにそのとき、私の次の人生ははじまっていた。
専門学校での新しい仕事に苦戦している最中で、まったく書く時間は持てずにいた。
Fは、卒業後は大学院に進んだ。実は、私なんかよりもずっと文学にマジメだった、あいつらしいと思った。
卒業後も、ゼミの仲間と集まる機会はわりとあって。でもその後、結婚し子どもが生まれ、人生のステージが変わっていき……
いつしか、Fへのメールは届かなくなった。
あえてそうしているのかもしれないし。
たくさんのものをリセットしたのかもしれないし。
どこかで野垂れ死んでてもおかしくない。
ついにミニクーパー無免許運転で捕まったのかもしれない。
だとしたら、それはそれで、Fらしい。
──でもいつか。
このまま私が書き続けていたら。
どこかでふと、Fに届くかも、しれない。
そんな気がするのだ。
「ワシの自伝を書いてや」
いつかの授業の終わり。
Fがそう言って渡してきたのは、プリント10枚ほどに赤ペンで書き込まれた、自分のこれまでの数奇な半生の箇条書きだった。
どこまでが真実で、どこが嘘かもわからないような内容。
でもFなら。すべてが真実でもおかしくないとも思った。
「自伝なんだから、あんたが書け。私には無理だよ」
私は言った。これじゃ自伝にならないだろうと。
「いや。髙塚なら書ける」
Fは。私のことをまっすぐに見つめて、そう言うのだ。
「お前に、託すからな」
Fはそう言って、私にその人生を押しつけた。
プリントには縦書きで幼少期のころからの話がつらつらと連なっていた。自分の名前が可愛すぎて嫌いだと語るFは、そこでは自らのことを「F」と記載していた。Fの半生は、愛を求め、愛に狂わされ、変人がいつも寄ってくる、なんとも不思議で複雑なものだった。
多分それは私の実家の机のどこかに、今もまだ、なんとなく、隠してあるだろう。
だけど、Fよ。
私は書かない。
Fと出会って。
Fと「書く」時間を過ごして。
Fに背中をおされて。
たしかにはじまっていた。
私の「書く人生」はあのとき、はじまってしまったんだ。
なあFよ。
責任をとってくれよ。
責任として、もう一度、私の文章を読んでくれ。
あんたのために、あんたのおかしな人生なんて書きたくない。
私は書かない。書かないぞ。
私は私のために書く。
だって、あの作品もそうだった。
自分の「書く」を最大限に発揮しようと思えた。
自信なんて失っていた私が、私に向き合い続けたことで、書く人生をつかみなおした。
それは、F。
あんたが、「書ける」って言ったから。
だからまた、私の作品をあの喫煙所で読んでみてよ。
つまんねえなら、また「なんやこれ」と言って笑ってよ。
なあ。
死んでたら許さないからな。
私の文章をもう一度読んでくれるまでは、ちゃんと生きててよ。
私は、これからも書くから。
「髙塚なら書ける」
あんたが言ったあの言葉が、本当だったのかどうか。
その答えを。
私はまだ、書き続けている途中なんだから。
(3999字)
みくまゆさん、改めて出版おめでとうございます。
著書の「はじめに」からの熱量がほんとうにすごくて。それが、私にあの頃の熱い思いをまた焚きつけてくれた気がします。
私もまっすぐに、あの日々を思い返し書きました。
生半可には読めないのでまだまだじっくり拝読の途中ですが、読むたび胸がふるえてきます。
やはりまだまだ、書き続けたい。
書かねば。
その思いを改めてかかげることができたような気がします。
素敵な企画を、ありがとうございます。
***
過去にも一度書いていた、Fのはなし。
いいなと思ったら応援しよう!
もしこのような記事をサポートしたいという稀有な方がいらっしゃいましたら、ぜひともよろしくお願いいたします。5児の食費・学費にさせていただきます!