知らなくていいなんて言わないで──塾で言われた「一言」の話
私の父は学習塾で働いていた。とはいっても、生徒の母親と不倫してそのまま家からいなくなってしまったので、その働きぶりのことはよく知らない。ただ、塾で働いていたということだけを知っている。
小学校の中学年になる頃にはもう父はいなかったので、家族としての思い出はそんなに多くない。幼い頃に「やっつけもんごっこ」と名付けた、戦隊モノと仮面ライダーを混ぜた上で希釈したオリジナルのヒーローごっこで、悪役として潔く倒されてくれたこと。地元の遊園地に遊びに行った際、アトラクションに乗るときにたまごっちを預けてそのまま返してもらっていないこと。そして、私を学習塾の体験講習に連れて行くために、電車に揺られる私の隣にいたこと。
父が勤めていた塾は中学受験の指導を主とする大手だったので、私が連れて行かれていたのも、やはり中学受験のための塾だったのだろう。自分がどこに連れて行かれていたのかすらもおぼろげなもので、あとの記憶も忘れてしまったか、思い出したくないものばかりだ。
勉強することが昔から好きだった。図書館司書として働く本好きの母の影響もあって家には多くの本があり、物心ついた頃から本棚に張り付いてばかりいた。お気に入りは「ドラえもん」の学習漫画シリーズで、中でも数学者の秋山仁先生が出てくるものを何度も読んだ。小学校を風邪で休んだときには、看病をしに来てくれた祖父に、教育テレビで放送されていた算数の番組を見ながら問題の解き方を教わるのが好きだった。祖父は学校のカリキュラムなんて知らなかったから、まだ自分が習っていない上の学年の内容をみんなより先に勉強できることが嬉しかった。
それでも、私が中学受験をすることはなかった。
母はしきりに「子供は遊ぶことも仕事のうちなのよ」と私に言って聞かせ、無理やり学習させるようなことをしなかった。本棚に並んだ易しい参考書の数々や祖父の力によって、小学校ではこれ以上頑張る必要のない「良い子」として扱われていたからかもしれない。でも、母の言う「遊びなさい」にはどことなく、離縁した父への反発のようなものも感じざるを得ないのだった。
それからしばらくが経ち、中学3年生になってからのこと。
高校受験のために、いつしか私は地元の塾に通うようになっていた。母子家庭で生活は裕福なものではなかったけれど、低所得者世帯向けの支援制度に通り、塾代に充てることができたのだった。(それは貸与型ではありつつ高校に合格すると返済しなくて済むとかいう、なんだか博打みたいな制度だった)中学校でも勉強はできたおかげで、自然と狙うのは上位の公立高になっていた。私学に進むには金銭的余裕はなかったし、取り立てて興味のある私立校もなかった。それは別によかった。1学期が終わって受講した夏期講習で、今でも覚えている出来事がある。
普段は公立高を目指す生徒たちのクラスで授業を受けていたものの、上位の公立高では特殊な入試問題が出されることもあり、それだけでは対策が難しい。だから、夏期講習では難関私立高を志願する生徒たちと一緒に受ける授業が存在していた。
その授業であるとき、少し難易度の高い数学の問題が出された。単元は詳しくは忘れてしまったけれど、視点を変えてグラフを見返さないといけないような、一種のひらめきが求められるような問題だったと思う。私はその1問を、偶然にもクラスの誰よりも早く正解することが出来たのだった。
喜びながら解法を発表する私を横目に、教師は言った。「これは私立の〇〇高校で出るようなタイプだから、受けない人は覚えなくていい」と。
その言葉を聞いて、私は自分が何のために勉強をしているのか、急にわからなくなってしまった。確かに塾という場所は、目標とする試験にあわせた勉強をする場所に違いない。けれど、元はといえば自分はただ勉強が楽しくて、多くを知ることが好きなだけだったのだ。なのに、この問題に答えることは自分のこの先には関係ない──"意味のないこと"だと何だか突きつけられてしまった気がしたのだ。どんな知識だって、知らなくていいだなんて言わないでほしい。以来、学ぶことが肯定される場所のことを、ずっと考えている。
今の私はQuizKnockという、世間的に見ても勉強のよくできる人たちが集う場所で働いている。東大出身でもない私がここに来た経緯はほとんど偶然のようなものであって、自分が「他のみんな」のようにやれているとはあまり思えたことがない。ここにいる多くの人は、あのときの塾の教室で数学の問題を解くことに「意味があった」側の人たちなんじゃないかと、そんなことを考えてしまうこともある。人のことを僻んでいてもしょうがないのは知った上で、彼らとの間にあるどうしようもなかった溝のことを思う。
学ぶ環境なんてものは、そこにいる本人の意思に関係なく簡単に奪われたり、ふいになくなってしまうものだ。元からその機会さえ与えられなかった人だって、大勢いる。その一方で、周りの力によって作り上げることができるものでもある。少なくとも、幸運にも親戚や行政に支えてもらって、ここまで来ることができた私はそう信じている。
正直、自分にとってQuizKnockは苦しい場所だ。演者は眩しい人たちで、彼らがするように何かをやってみせることはとても難しい。自分だって恵まれた場所にいたとは思いつつ、同じように学ぶことに苦労している誰かの力にもっとなれたらよかったと、力不足も日々痛感させられる。
それでもここにいるのは、学びの「接点」くらいは作れる自負があるからだ。ひとつのカリキュラム、ひとつの授業なんていう大きなものじゃなくてもいい。勉強を続けられる理由なんてものはもっと些細なもので、たまたま聞いたことのある歴史の用語が授業で出たとか、友達よりもちょっとだけ点数が良かったとか、そんなことばかりだ。良い環境に出会うにも、まずはそんなきっかけがないと始まらない。
どんな問題だって、解けたら嬉しいし、解けなかったら悲しい。それを屈託なく楽しめるようになりたいし、なってほしいとずっと思っている。

