ぼくは定期演奏会へ行く
ぼくは定期演奏会へ行く。少し前、といっても夏休みに入るだいぶ前のことだが、上野くんが所属する大学の吹奏楽部の定期演奏会があったので行ってきた。上野くんというのは、ぼくが去年に初体験を捧げた相手である。その当時の話は「ぼくはアプリで童貞を捨てる」という記事に書いたので、男子大学生の赤裸々な性事情を知りたい方はお読みください。
ぼくがこの吹奏楽部の演奏会に行くのはこれで二回目である。上野くんの吹奏楽部は年に2回、定期演奏会を開催していて、ぼくは去年のこの時期の定期演奏会にも行ったのだ(去年の暮れのやつには行けなかったけど)。ぼくは上野くんと初めて会った時に「6月に演奏会があるんだよ!」と教えられていたが、別にその時は行くつもりにならなかった。ただ、定期演奏会の2~3週間ほど前、「久しぶり! 元気?」という文章から始まる告知LINEを受け取って、こりゃ行かなきゃまずいなという気になったのである。
ぼくは大学の放送サークルで渉外を務めている。放送サークルの渉外というのは、「○月×日にうちの番組発表会があるので来てください」とお互いに告知し合う役職のことである。「告知し合う」というより「参加を強要し合う」と言ったほうが正確かもしれない(問題発言?)。上野くんは吹奏楽部の渉外ではないはずだし、そもそも上野くんの吹奏楽部は伝統も実績もある団体なので集客なんてわざわざする必要ないし、そういう意味ではぼくが行かなかったところでダメージ皆無だが、「サークルの発表会に誘ったのに来てもらえない」ことの切なさを一人の渉外として知っている以上、ぼくはその定期演奏会に参加することに決めたのである。まあ、久しぶりに上野くんに会いたかったっていうのもあったしね。
ただ、一つ心配だったのは、ぼくがクラシック音楽を楽しめるかどうかだった。ぼくの父親が中学時代にブラスバンド部に所属していて、社会人になってからもアマチュアの吹奏楽団でトロンボーンを吹いていた関係で、ぼくは小さい頃にクラシック音楽を聴かされていた。父親の楽団の演奏会へ行かされたこともあったし、自宅でクラシック音楽のCDを聴かされたこともあった。没交渉的な父子関係ではあったが、父親としてはぼくにクラシック音楽に興味を持たせようとしていたようでもあった。だからこそ、と言うべきかもしれない。ぼくはクラシック音楽に複雑な感情を抱いてきた。ぼくはクラシック音楽を聴くと父親の影が脳裏にチラつく。ぼくが高校一年生の時に家を出て行った、ぼくの苦手な中年男性の影が脳裏にチラつくのだ。
定期演奏会当日。上野くんとの友情(とGoogleマップ)だけを手がかりに、ぼくは上野くんの吹奏楽部の定期演奏会の会場へ向かう。「ぼくとヤッた男子が所属している吹奏楽部のコンサートに一緒に行こうぜ! あ、黙ってたけどぼくはゲイです!」なんて言って誰かを誘えるはずはないので、一人で向かう。その会場は立派なホールだった。Wikipediaにページがあるほどの立派なホールだ。さすがは名門吹奏楽部の演奏会である。同じ「部活の発表会」といっても、大学の教室か講堂で開かれる放送サークルの発表会とはわけが違う。ぼくもゆくゆくはこういうホールで自分の音声ドラマを上演したい。いや、できれば音声ドラマじゃなくてストレートプレイがいいけど……なんてことを思いながら、ぼくは二階の前のほうの席に座る。そう、このホールは二階席まであるほどの立派なホールなのである。
たくさんのお客さんで埋まった客席の照明が落ちて、舞台の下手(左手)から吹奏楽部の部員たちが楽器を持って出てくる。上野くんはどこだろう。視力がよろしくないせいもあってか、見つけるのに若干手こずってしまったが、ついにぼくは100%上野くんとしか言いようのない生き物を見つける。こんなに遠くの距離から上野くんを見たのは初めてだ。ついでに言うと、スーツ+蝶ネクタイ姿の上野くんを見たのも初めてだ。やっぱり上野くんは爽やかでかっこいい。
ぼくの懸念に反して、その定期演奏会で演奏された曲目に「クラシック音楽」はあんまりなかった。具体的にどんな曲が演奏されたかは忘れてしまったが、クラシック音楽というよりも現代の日本の音楽家(?)が作曲した交響曲みたいな曲が多かった。おかげさまでその日、ぼくは「ぼくの苦手な中年男性の影」にとらわれることなく、ステージの上の上野くんの姿を眺め続けることができた。クラリネットを吹く姿を見ながら、一瞬、ホテルでの出来事を思い出してしまったのはここだけの秘密だ。
その日はとんでもない数(1000人近くかも)のお客さんが来場していたので、ぼくは上野くんと面会するのはあきらめて、その日の晩に「お疲れさまでした。七夕の曲が軽やかで感動しました。よいものを聴かせていただきありがとうございました!」といった文面のLINEを送った。まあ、約束通りきちんと伺いましたよアピールである。
ほどなくして「(ぼくの下の名前)、来てくれてたんだね! 控室に寄ってくれたらよかったのに! 今度お礼をさせてね!」といった文面のLINEが返ってきた。「お礼」ってなんだろう。ぼくはよからぬことを連想してドキッとしたが、実際には、その数か月後に開かれたうちのサークルの番組発表会に上野くんが来場してくれたというのが「お礼」となった。まあ、これはこれでありがたいお礼である。放送サークルの発表会は吹奏楽部の演奏会と違って「界隈外のお客さん」が来ることを想定して作られていないので、上野くんには相当気まずい思いをさせてしまったと思う。それを考えると、ぼくは上野くんから「三倍返し」以上のお礼をしてもらったのかもしれない。なお、その時にぼくは久々に上野くんと対面したわけだが、もちろん、コンドームが必要になるような出来事は起こりませんでした。
さて、話はここでようやく冒頭に戻る。今年の初夏(?)の定期演奏会の話である。今年の定期演奏会も去年と同じホールで開かれた。自分の性的指向を周囲にカミングアウトしていないぼくとしては、やはり誰かを誘うことなどできないので一人で行ってきた。この一年でぼくはすっかり渉外上級者になってしまっているので、東急プラザ蒲田1階のお店で差し入れのお菓子を買って持っていく。そして受付のひとに差し出す。いつも他大の番組発表会に行く時のように、お菓子の箱と袋の上には「○○大学放送研究会」と書いたメモを貼っておいた。だって、ここでぼくの個人名を書いたら「誰の知り合い?」ということになって、上野くんに何らかのご迷惑をかけてしまうかもしれない。いや、「○○大学放送研究会」名義でもリスクは変わらないかもしれないが、他大学公認団体からの差し入れ(と偽装した差し入れ)だったら控室の隅に置いてあっても怪しさ控えめだろう。
今年の演奏会でもクラシック音楽の演奏は少なかった。というか、某有名アニメの楽曲メドレーや某世界的アニメの楽曲メドレーがメインで、前回以上に大衆性が強い演奏会になっていた。ただ、だからこそ、その中で披露された、ある有名なクラシック曲の演奏がぼくには衝撃を与えた。ここではその曲のタイトルを仮に『IFDD』としておこう。この『IFDD』という行進曲、何を隠そう、ぼくが子どもの頃に父親からCDでよく聴かされていた曲なのである。曲の出だしを聴いた瞬間、ぼくの脳裏に父親の影がチラついた。「苦手な中年男性の影」がチラついた。途端に胸がざわつき、ぼくは助けを求めるかのように、ステージ上の上野くんの姿を凝視する。上野くんは穏やかな表情でクラリネットを吹いている。上野くん、怖い、怖いよ。ぼくはこの曲が怖いんだ。この曲を聴くと父親がいた頃の家庭を思い出して緊張する。ぼくは右手で左手の親指の付け根をつねりながら、ステージ上の上野くんの顔を凝視し続けた。助けてー! 諒くーん!(上野くんの下の名前)
しばらくすると、ぼくのようすが変わってきた。『IFDD』の二回目のサビ(?)のあたりから少しずつ胸が落ち着いてきたのだ。それは上野くんの癒しオーラのおかげかもしれないし、左手の親指の付け根に自律神経調整的なツボがあるからかもしれないが、たぶん本当の正解はそのどちらでもない。数年間の関係断絶期間を経て、ぼくは今年から父親と月に一度会うようになった(「ぼくは月一で父に会う」)。いまの父親はぼくのことを半ば対等の大人のように扱っており、ぼくと父親の関係性は新たな枠組みの下にある。『IFDD』を聴かせていた/聴かされていた関係はもはや過去の遺物なのだ。もうぼくは『IFDD』を怖れる必要はない。クラシック音楽全般を怖れる必要がない。『IFDD』を聴きながらぼくの心はそのことに気付き、それでぼくの胸は少しずつ落ち着いていったのだろう。
演奏会終了後、ぼくは今年も控室に立ち寄らなかった。会場内は去年以上にたくさんのお客さんでごった返していて、その混雑をかき分けて上野くんに会いに行くほどの必然性がぼくにはなかったからである。っていうか、この際だからはっきり書きますけど、ぼくはそもそも控室に挨拶に行ったりするの苦手だし嫌いなんですよね。渉外だってやりたくてやっているわけじゃありませんし!
帰宅中、電車に乗っている時に上野くんから「(ぼくの大学の放送研究会の名前)のお菓子って(ぼくの下の名前)が持ってきてくれたものだよね? いまどこ?」というLINEのメッセージが届いた。「○○大学放送研究会」と書かれたメモが貼られた謎の差し入れに上野くんは気付いたようだ。ぼくは「そうだよ。挨拶行かなくてごめん!」と送ったあと、「今年は『IFDD』に特に感動しました。今日から人生を前向きに生きていける気がする」と送った。上野くんからは「過分なお言葉ありがたいよー!」と返ってきたが、全然過分じゃない。ぼくは『IFDD』生鑑賞という一種のショック療法のおかげで、間違いなく自分の中の何かを改善された。いや、自分の中の何かがすでに改善されていたことに気が付いたのだ。いまのぼくはもうクラシック音楽が怖くない。クラシックコンサートにだって威風堂々と行ける。
